・・・「聴く」ことによる「ラマナ・マハルシの臨在」サイト
「喋る道具?」マハナンディ・尚志かく語りき!(笑)
皆様へ・・・
下記動画群は、コロナ・パンデミックが世界中を席巻していた時期に収録されました。
従って動画中の説明でも、アシュラムの状況も当時の状況を如実に反映した「語り」となっていますが、23年現在にありましては殆ど「コロナ以前」の状態に復旧しています!!
トーク4・前編
注記 トークでは「60年代になってぼちぼち・・・」と話してますが、実際には54年の段階で「真理の太陽(三浦関造著)」という書籍でかなり誤謬があるもののラマナについて説明されています。
また佐保田鶴治先生だけでなく、橋本創造氏や山田孝男氏らがそれぞれに主宰する瞑想グループのなかでも早い段階でラマナについて紹介されていました。
アシュラム図書館に収蔵されている「日本ヨーガ道禅友会」の機関誌「道友」創刊号。
14ページに渡り「Who am I われとはだれか 智的ヨーガのみち」という題名で佐保田鶴治氏によるラマナ・マハルシについての解説が掲載されている。
トーク4・中編
(注記 15:04のところで「不滅の意識」の現在状況に事実誤認がありました、正確にはこちらをどうぞ→
上記動画中で言及している「参考ファイル群」
先生がアシュラム敷地内に建築費をドネーションして建てられた住居(通称YANAGIDA HOUSE)。
現在ではアシュラムのグループ用ゲストルームとして運用されており、日本人グループが訪問するとここにあてがわれることが多い。
トーク4・後編
上記動画中で言及している「参考ファイル群」
ギリプラダクシナとは何か?→ 「ニルディ・リンガム」の周辺→
柳田先生の手記その1→ 柳田先生の手記その2(生涯の最後に書かれたもの)→
「ラマナ・マハルシとの対話」→
編集雑記
1・サイト管理人が最後に柳田先生にお会いしたのは逝去の約2ヶ月前・・入院先の京都の病院にお見舞いに行った時でした。
見かけはそんなに衰弱されているようには見えず、談論も活発でサイト管理人は相変わらず冗談を飛ばしていたのですが、途中先生が「ちょっと用足しに行ってきますので」とベッドから立ち上がりトイレに行かれた・・・のですが、その時の先生の足取りが「ふらふら・よたよた」状態になっていて、普通の「70代後半のヨボヨボ爺い」でしかなく、それを見た瞬間「あ、これはもうダメだ・・」と直感、一番最初のギリプラダクシナを案内して頂いた際の「颯爽とした歩き姿」とのあまりの落差が痛切で大変悲しく感じました。
2・「ラマナ・マハルシとの対話」の謝辞の最後には、「元日本ラマナ協会会長、故柳田侃先生の御霊にこの拙訳を捧ぐ。」という一文があります。
福間氏の話によれば、以前にも個人的に「Talks」を訳したことがあったものの、そのときは「翻訳は自分の仕事ではない」と感じてやめてしまったそうです。しかし柳田先生の強い熱意に促されて翻訳に乗り出したのだ・・・とのこと。柳田先生ご自身にも「Talks」翻訳のご意志があったのですが、最晩年は膵臓ガンの進行でそれが無理である事を悟り、最後のアルナーチャラ滞在の際に福間氏に「Talksの完訳」を熱烈に切望されたのでした。
「先生が私の目をじっと見つめられた時に、先生の瞳の中に『白い炎の光』がぱあっと浮かんで、それが私のハートの中に飛び込んできたのですよ・・・それで私も『これはバガヴァンの御意志なのだ』と感じたのです。」
・・・と福間氏は述懐されています。
3・サイト管理人は「アルナーチャラの宣伝・案内屋」などと嘯いて、ジェネラル・インフォメーション広報担当のような活動をしていますが、これらの実質的な内容というのは殆どが「柳田先生から教えて頂いた事柄」である・・・・わけでして(「先生の言説の受け売り」にそこそこ色を付けているだけ・・笑)読者の皆様が、この「ラマナ・マハルシの臨在」サイトから何かしら有益・有意義な情報を得られるとするならば、それらも全て柳田先生の恩恵である・・と言えるわけですね。
4・柳田先生の墓所は京都・嵯峨嵐山の名刹である「常寂光寺」にあります(先代のご住職が先生の高校時代の友人であった)。→