「熱く語る〜ラマナ=アルナーチャラへの信愛」第3回

・・・「聴く」ことによる「ラマナ・マハルシの臨在」サイト












「喋る道具?」マハナンディ・尚志かく語りき!(笑)
 

 

皆様へ・・・  


下記動画群は、コロナ・パンデミックが世界中を席巻していた時期に収録されました。

従って動画中の説明でも、アシュラムの状況も当時の状況を如実に反映した「語り」となっていますが、23年現在にありましては殆ど「コロナ以前」の状態に復旧しています!!




6月18日は「牛だけど聖者さん」である牝牛ラクシュミーの御命日(西暦)となります。

今回はこのラクシュミーやアシュラムの牧場、朝一番の儀式である「ミルク・オファーリング」を紹介するとともに、「バクティという見地から見たラクシュミーという存在をの意味を、「大死一番、絶後に再蘇」という禅語をキーワードにして語りました。







 







トーク3・前編







注記・訂正 12:01~の説明に誤謬がありました。

ミルクオファーリングで詠唱されるのは、ガナパティ・ムニにより作られた「Forty Verses in Adoration of Sri Ramana」というテキストであり、

日本語翻訳で「40頌の実在」として紹介されている「Forty Verses on Realty」ではありません。
 



上記動画中で言及している「参考ファイル群」











牝牛ラクシュミーのサマディ(お墓)→


アシュラムの牧場→



「ミルク・オファーリング」のライヴ配信動画→












 



 







トーク3・後編




後編では「大死一番、絶後に再蘇」をテーマとして、第2回のトークに引き続き「不安と恐怖」について、サイト管理人の「死にかかった事件」2つを引き合いにして語りました。










上記動画中で言及している「参考ファイル群」








「刃傷事件」・・・エッセイ「余はいかにしてラマナ信奉者となりしか?」その10→


「対象に直面するまでの時間」・・・ブログ記事より→


「安心立命を確立する極意とは?」・・・ブログ記事より→













           





            「山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ」 〜「空也上人絵詞伝」より
































編集雑記


1・「インドの牛事情」はあれこれと有名ですが、各地に奇特な金持ちが寄付して作られた「牛の養老院?」的な施設があり、年老いて働けなくなった牛たちが殺処分されずにそういう施設で余生を過ごていたりします。ラマナアシュラムでもそのような施設を持っていて、ミルクが出なくなった年老いた牝牛や牛車を引けなくなった雄牛たちはそこに移されます。
以前イギリスで「狂牛病」が問題になった際、インド政府が「輸送費を出してくれるなら、殺処分予定の牛たちは我々が引き取ってもよいのだが・・・」的な申し出をしたらしい・・・という都市伝説がありますが、かように
「牛として生まれるならばインドに、そしてアシュラムの牛が最上!」となる感じですね。


2・この「刃傷事件」の加害者は
「あの男(サイト管理人のこと)は俺をこのアパートからおいだそうとしている」という妄想を抱いていました(私は実際には何もアクションしていないにも関わらず)、そして常日頃から「アパートから追い出されたらどうしよう?」という不安に怯え続け、そういう「想念」を強化し続けた挙句に事件が起きたわけです。そして緊急逮捕され裁判で「殺人未遂罪」となり6年間の服役となり、家主からはもちろん退去を命じられ家族が引き揚げ作業に来ました。

結果的に彼が怯え続けていた
「このアパートから追い出されてしまう」事態が実現してしまった・・わけです。

つまり「想念にエネルギーを与え続けるとやがて実体化する」ということですが、この事件ではそれもまさに真実であることを知ることにもなった次第。



3・この「刃傷事件」を契機として、それ以来「完全禁煙」が続いています(笑)。

 

 

 

トーク第4回へ続く・・ 




 

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