アルナーチャラ通信 第3号 (24.NOV.2016) 

                             

    

 

 

 

唯物論から真我探求の道へ~日本ラマナ協会会長柳田侃氏インタビュー

     

取材・構成 生島裕

 

 

 

 

 

~サイト管理人より前説

 

今回の記事は、ナチュラル・スピリット発刊の季刊誌「Star People」第4号(01年10月31日刊行)に掲載された、故・柳田侃先生への「インタビュー記事」である。

 

 

 

 

  

 

 

 

柳田先生は94年にラマナアシュラムの敷地内に建築費をドネーションする形で「専用住居」を建築(当初から所有・管理はアシュラムに帰属)し、04年に逝去するまで現地での長期滞在を重ねながらアシュラムとの親密な関係を築き上げ、日本ラマナ協会会長として「ラマナ=アルナーチャラ」を精力的に日本に紹介されていた。

また日本のラマナ研究者として第一人者であっただけでなく、ギリプラダクシナ(聖アルナーチャラ山巡礼行)を700回以上歩く・・という熱烈な信奉者でもあった。

 

「生死の理」への真摯な懐疑や体験と、アイデンティティを支えてきた世界観の崩壊が重なった時、宗教やスピリチュアリティに目覚めるきっかけとなった・・・というのはよくあるケースだが、柳田先生がその人生の上でいかようにして「永遠の臨在」であるラマナ=アルナーチャラに深く感動して帰依していくことになったのか?

・・ということを忌憚なく語られている。

 

インタビューであるだけに軽快な口語のままの記事となっていて、先生の熱烈な想いがビビッドに伝わってくる感があり、生前の先生を直接知る者にとっては先生の人柄を懐かしく回顧させる記事でもあるだろう。

 

 

 

>>>>>>

 

 

日本ラマナ協会会長 柳田侃氏 インタビュー

 

唯物論から真我探求の道へ

 

唯物論で有名なマルクス経済学の学者から、一転してマハルシの真我探求の道の虜となった人がいる。ラマナ・マハルシ研究の第一人者にして経済学博士の柳田氏に、氏の人生とマハルシのかかわりを聞いた。   

 

取材・構成 生島裕

 

 

 

インドで癒された心

 

ー先生はマルクス経済学の学者だったそうですが、唯物論から百八十度転向したわけですね。では、どういうきっかけでこの道に?

 

 

柳田 私の長男が、自殺したんです。大学の入学式の日の晩だったんですが・・・それが非常にショッキングな出来事だったんですね。全然そういうことを考えてなかったもんですから。それがいちばん大きな転機と言いますか・・・・。

人間てのは、いろんな本を読んだりしてなんだかんだ偉そうなことを言いますが、やっぱり自分の身近な人の死がその人の思想とか、人生のあり方を決定するわけですよね。

 

 

ーそうですか・・・・

 

 

柳田 それまで仕事が人生の目的だと思っていたけれど、そうしたことがきっかけになって、そうではないんだな、と気づくわけですよね。

 

もう一つは、日本も戦後大きく変わってきて大学紛争や赤軍派事件がありましたね。そうした出来事を見ているうちに社会主義やマルクス主義への疑問や、人間不信が芽生えてきたことが大きいですね。

それまでは現世、つまり自分の外の世界ばかり見ていて、自分の内側を見るということがなかったわけです。それで自分の学問である経済学というものに展望がなくなってしまって、することがなくなっちゃったんですね。それが五十歳を過ぎた頃でしょうか。

 

息子をなくして落ち込んでいる私を見て、インド経済を専門にしている友人が「柳田さん、インドへ行きませんか」と誘ってくれたんです。その頃はまだインドの思想には興味はなくて、経済の専門家として見ていたわけですが、サードゥたちの姿が心にこびりついてしまいましてね。それでインドの虜になってしまいまして、それ以来インドから離れられなくなったんです。

 

 

 

ロシア革命と、洞窟の瞑想者

 

 

柳田 二年後にもう一度インドへ行ってサードゥたちを見ているうちに、ますますインドの宗教や思想に惹かれていきました。数ヶ月で帰国してから、京都にある佐保田鶴治先生のヨーガアシュラムに行ったんです。佐保田先生は大阪大学のインド哲学の先生で定年後にヨーガを始められたんですが、私が行く前年に亡くなっておられたんです。

その「ヨーガ道禅友会」という会の会誌の第1号で佐保田先生はラマナ・マハルシを紹介されているんですね。先生は結局ラマナアシュラムに行かれることはなかったけれども、ものすごく関心を持っておられたんです。

 

これがきっかけでラマナ・マハルシを知って『秘められたインド』(日本ヴェーダーンタ協会刊)や『南インドの瞑想』を読むようになったんですね。そうした本につられてマハルシのアシュラムに行ってみようと思ったんですね。行ったらいっぺんにはまっちゃった(笑)

 

それまではスピリチュアルな体験には無縁でしたから、ストーンと入ってきたんです。ほんの一週間足らずだったんですが、何というか「こんな平和なところがあるだろうか」というような感じで・・・・行くまでは息子のことでけっこう寂しい思いがあったんですが、そこへ行くと全然寂しさがないんですよ。

冬だったんですけどぽかぽか暖かいし、平和で何か開放感もありますし・・・途端に「これだ!」と思って、初めて行ったのにもう「将来ここに住まなくちゃいけない」と思って帰ってきちゃった(笑)

 

 

 

ーラマナアシュラムでは、どんな体験をされました?

 

 

柳田 その頃アシュラムはまだそんなに人が来ていなくて、非常に静かなところでした。肉体を持ったマハルシには会えなかったんですが、実際におられるような体験はできますよね。最近は人が多くて混雑してますが、今でも行けば体験できますよ。

 

私はマハルシが若い頃六年間過ごしたスカンダ・アシュラムがすごく気に入って、朝暗いうちから毎日瞑想していました。そこに飾られているマハルシの写真が、私にとっては忘れられないですね。

 

 

 

 

その写真はマハルシの若い頃に撮られたもので、一九一七年という日付が書かれていました。私にとって一九一七年というのは大変重要な年なんです。

 

これはロシア革命が起こった年で、われわれにとってはその年を境に世界の歴史が変わったという、世界史的な転換の年だったわけです。その歴史的な年、ロシアで革命の嵐が吹き荒れているときに、洞窟の中で瞑想している人がいたというのは、僕にとってすごくショックでしたね。

 

たまたまその頃にベルリンの壁が崩壊しましたから、なんてすごい英知なんだろう、智慧っていうのはこういうものなんだな、って思いましたね。

 

 

 

 

聖山アルナーチャラの神秘

 

 

 

柳田 その時はまだアシュラムの中とその周辺だけしか行きませんでしたが、2回目に訪ねたときにアルナーチャラ山を巡るギリプラダクシナ(聖山巡回)をしながらアルナーチャラを見たら、また違う感慨があるんです。それからは行くたびに山の周りを一周四時間くらいかけて毎日回ってたんです。

 

やはりすごいエネルギーなんですよね、迫力っていうかね。山の中にはトンネルがあって、そこには大勢のリシ(賢者)たちが瞑想している、といったヴィジョンを、マハルシも見たそうですよ。

 

実際にギリプラダクシナをしていると、それはすごく感じるんです。不思議なことに、あの山のまわりを四時間も歩くと、体中に元気が湧いてくるんですよ。私は朝の二時から明け方にかけて歩くんですが、帰ってきて寝ようなんて気にならないです。アルナーチャラは世界のハートセンタと言われていますが、そうした感じはすごく良くわかります。

 

裸足で歩くんですが、そうするとこの土地がすごく身近な感じがしましたね。「アルナーチャラの半径23マイル(約36・8km)以内に住んでいた人は、イニシェーションを受けなくとも解脱する)と言われているんですが、そういうことが本当かもしれない、とけっこう感じられます。ホーリービューティフル・マウンテンっていうんだけど、やっぱりここ住まなくちゃいけない、っていう気がすごく強くしました。

 

ラマナ・マハルシって言う人の魅力は、あの山と切り離せない、あの山と結びついているんです。マハルシが亡くなったときに、大きな流れ星が山に消えていったというヴィジョンを見た人がたくさんいるわけですから、インドではみんなの心の中にマハルシがいるわけですが、それはあの山とまったく結びついているんです。

 

だから非常に簡潔でわかりやすいんです。あの山のまわりを歩く、それだけでいいんです。アルナーチャラは南インドでは有名な山で、昔の文献にも「カイラースはシヴァが住んでいるところにすぎない、アルナーチャラはシヴァそのものである」とあるんです。それから、仏教で世界の中心と言われる須弥山という伝説上の山がありますね。シャンカラ(八世紀インドの聖者)は「須弥山はアルナーチャラである」と言っています。

 

 

 

 

真我の体験

 

 

ー先生はふだんどんな瞑想をされてるんですか?

 

 

柳田 インドでわかったことを忘れないようにしていく、その程度のことはしていますけどね。ラマナ・マハルシは「仕事と真我の探求は両立する」といった意味のことをいってますから。

 

 

 

ーインドでわかったことって、どういうことですか。

 

 

柳田 真我ってものを体験した、っていうことでしょうね。ただそれをいつまでも持ち続けるっていうことは大変難しいことでね。だけど一度体験したことは忘れませんからね。

 

僕の場合は瞑想っていうより、毎日ギリプラダクシナをしているうちに、そういうものが身についちゃった。ああいうものはある時いっぺんにパッとわかっちゃうわけで、少しづつわかってきて、ああ今日でわかった、というものじゃないんです。

 

僕は毎朝ギリプラダクシナをしていて、一日の生活はそれを中心に組み立てられていたから、その間に身についたっていうか、そういうものなんです。瞑想していて、急にわかったとか、神秘体験とか、そういうものともちょっと違います。

 

 

 

ーはい・・・こういうものってなかなか言葉にできないんでしょうね。

 

 

柳田 (笑)そうですね。でも、そういうものを垣間見るっていうことは、誰でもしているわけですよ。ぐっすり眠って起きた瞬間、くたくたになっていつ寝たかもわからない状態で目が覚めたとき、すごく気持ちいいでしょ? マハルシはそれを「真我のひと浴び」っていうんですよ(笑)。風呂をひと浴びしたような、それはその一瞬で終わってしまいますが。

 

 

 

ー先生はそれを目覚めたまま、持続的に体験されたわけですよね。

 

 

柳田 毎日歩いてましたから、割と持続していましたね。

 

 

 

ーどれくらいギリプラダクシナをされたんですか?

 

 

柳田 二年半くらいインドに住んでましたから、七〇〇回以上ですね。

 

 

 

ーそれはすごいですね。今日はどうもありがとうございました。

 

 

 

>>>>>

 

 

柳田侃先生のプロフィール紹介 

 

1926(昭和2年)8月20日 大阪府北河内郡嵯陀村(現在の枚方市)に生まれる。

 

東京大学法学部卒。経済学博士。甲南大学名誉教授。日本ラマナ協会会長。

 

2004年8月16日 膵臓ガンにより逝去

 

主な訳書 

 

「ラマナ・マハルシの言葉」(東方出版)「沈黙の聖者ラマナ・マハルシーその生涯と教え」(出帆新社)「不滅の意識」(ナチュラルスピリット)