「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
崎山綾子翻訳
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-a
(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)
☆Part1・ ☆Part2・☆Part4・☆Part5・☆Part6
第6章は全体が長大なので、小見出しごとに☆Part分割したファイルを更に、a,b,c...と細分割して掲載します。
前ページ(Part2-e)からの続き・・・・
真我探求についての疑問を取り除く
過去や思考によって押し流されない為には
非常な努力と決断が要求される。
さもないとマインドは不純性と災いの中に後ずさりすることになる。
この自己努力なしには何もありえない。
この非常な努力は簡単だ。それは努力でないからだ。
ヴァーサナに適した環境がやって来ると眠っているヴァーサナも又目覚めてしまう。
だから、熱心な自己努力で真我に献身しなさい。
神への信頼が唯一あなたを助けることができる、海に飛び込みなさい。
神に降伏しなさい、 そうすると内なる救いがやって来る。
「私」というのは真我探求で破壊される幻想だ。
何をしていようとも、いつも自然と「私」という思考に注目しなさい。
いつも正しい方向を見ていなさい。
「それ」に入るには、半歩必要なだけだ。
完全に一歩踏みだしたら活動になる。
雲が太陽を隠してしまうように「私」思考は真我を隠してしまう。
だから、真我探求で、この思考の源泉を見つけなさい。
真我探求をしている間、他のことは何も考えないこと
「私」という思考でさえも起こさないこと。
他の物事に没頭するのをやめるとそれが見える。
いつも注意深くマインドの傾向を調べなさい。
あなたが考えるものにあなたは同一化するのだから、
思考なしに行いなさい。
そうするとあなたの自然な状態に戻ることができる。
思考から切り離された自然な状態に留まりなさい。
「警戒する」ということは、何がマインドの家に入って来るのか注意深く見守っているということだ。
起こって来る思考と戦わないこと、ただ見守りなさい。
マインドを騒がせず分割しないこと。
しかし、この「見守ること」もマインドを通してだ。
だから、「誰がこの思考を見守っているのか?」
探求して幻想の根元を断ち切ることだ。
さもないと、観察者としての「やり手」が生き残る。
これはマインドだ。
同じように、マインドを殺そうとする欲望は単に「殺し屋」を創り出すだけだ。
それらは努力や活動を通して行われるので、それはマインドそのものだ。
だから、静かにしていなさい、ただ静かにしていなさい。
「私」という考えの重荷を背負おうと努力しないことだ。
絶え間なく「何もなし」と一緒にいなさい。
これより他によいパートナーはいない。
活動に巻き込まれない「それ」と友達になりなさい。
一時的な、取るに足らない快楽を切望するのではなく、
去っていかない「それ」を切望しなさい。
警戒と注意深さが習癖にならねばならない。
起こってくる思考はサンサーラ、
しかしこの思考が起こってくるのを見ていることはニルヴァーナ。
これは「それ」との美しいダンス、ロマンスだ。
「それ」がそれ自体で現われてこないのは、
一時的なものを愛する習癖を持った「私」がそれを隠しているからだ。
この無知を取り除くと真理はそれ自体で現われてくる。
肉体とマインドはあなたに属さない。
賢明でありなさい、あなたに属すものだけ保持しなさい。
未知なるもの、あなたの最愛の人から逃げ出さないことだ。
執着している対象に向かって外に向かおうとする傾向を阻止することが、幻想から幻想性を取り除くことだ。
対象に向かおうとする根強い傾向から身を引いて、源泉に戻りなさい。
沈黙から離れようとする全てを見つめて警戒していなさい。
そして、努力をしないこと。
思考と対象は限界だ、無限界に接触しなさい。
好き・嫌いは表面的だ、好き・嫌いの真ん中を見なさい。
思考に占有されたマインドの奴隷にならないことだ。
過去に向かうとあなたを見失う。
マインドが飢えているなら一日24時間、真我探求という食べ物を与えなさい。
そして真我に、愛に直面しなさい。
「私は誰か?」と調査しなさい。
忍耐強く、賢明に、正直に調査しなさい。
顔を内なる気づきに向けなさい。
真我と顔を突き合わせたなら、ただ静かにしていなさい。
この静けさが永遠の住家だ。