「バクティ」という視点からのアプローチ
日本には70年代辺りから「ラマナ・マハルシ」についての情報が細々ともたらされ始めましたが、日本人で直接在世中のラマナ・マハルシにお会いした人がいない・・ということもあり、彼の存在と教えについての情報は欧米で出版されている書籍からの翻訳が殆どでした。これらは偉大な業績であるのですが、量的に極めて限定されたものであったために、いくつかの「偏向したイメージ」が形成される結果となり現在でもそれが流布されています。
とりわけ十分に浸透していない重要な真実として、
ラマナ・マハルシは確かにジュニャーニの道を説き、その教えと存在は「アドヴァイタ・ヴェーターンダ」の全き体現であることは間違いないですが、同時に彼がバクティの道を説いていることが積極的には紹介されて来なかった。
・・・という状況があります。
このような「偏向したイメージ」が生じてきた理由の一つとして、先駆的な翻訳作業をされた方々が、誠に残念ながら実際に現地に行かれたことがないことにも起因していたのではないか?・・・とも思われます。
もっとも90年代後半以降、柳田 侃(やなぎだただし・・・日本ラマナ協会会長・甲南大学名誉教授)氏や福間 巌氏による翻訳出版作業は、お二人ともに現地に長期滞在の経験がある信奉者であるので、これらの問題点についても改善され始めています。
このコーナーでは是正のための補足説明を、「バクティ」という視点からアプローチしてみたいと思います。
1ラマナ・マハルシの教えや生涯については多くの人によって研究・公表されていますが、彼のリアルな「恩寵」や「臨在」というような、直接的な信奉者としての視点からのものはあまり多くないように思われます。
2.聖アルナーチャラ山自体がラマナ・マハルシの存在と不可分のものであるのに、一体どのような山であるのか?という詳しい説明が殆どされてきませんでした。
・・・これらの点について当サイトでは「OM NAMO BHAGAVATE SRI RAMANAYA ARUNACHALA SHIVA」というコーナーを設けて補足説明します。
3・そしてラマナ・マハルシが機会あるごとに信奉者たちに奨励していた「ギリ・プラダクシナ〜『歩く瞑想』としての聖山巡回行」については全くといっていいくらい言及されて来なかった・・・という経緯を踏まえて、当サイトではこの「ギリプラダクシナ」についても詳細な解説をしております。
(・・サイト管理人はこのギリプラダクシナを21年6月現在までで計418回歩いています。)
「ギリプラダクシナ」総合解説・紹介コーナー→
「熱く語る〜ラマナ=アルナーチャラへの信愛」第5回より・・・・トーク前編
「場所としての」・「地理的な意味での」・「南インドの山である」アルナーチャラ山で何を体験するのか?
もちろんラマナ・マハルシの教えは普遍的なレヴェルのものであり、現地に行かなければ絶対に体得できないというわけではありません。
しかしながら、ラマナ・マハルシの「恩寵」&「臨在」というような直接感覚・体験・・・・いわば信奉者としてのある種の「絶対的感覚」とでも呼ぶべき至福は、やはり現地にあればこそより深く、またごく自然に感じられるということも真実です。
「熱く語る〜ラマナ=アルナーチャラへの信愛」第6回より・・・・トークA
これは、人様ざま千差万別で「こうすれば必ずこうなる」というものではないのですが(むしろ「何も起こらない」ことの方が多い・・かもしれない)、中には初回の訪問で「ラマナ=アルナーチャラ」の臨在と恩寵をリアルに体験された方も少なくありません。
肝心なのは「どうしても行きたい!」という情熱自体が、実は「ラマナ=アルナーチャラ」からの「お導き・招命」であり、それに対して「勇気を振り絞って(エゴが自己防衛のために感じている「不安」を乗り越えて)」行動することで、「臨在と恩寵」の祝福を受けられる準備が出来た・・と言えるのではないでしょうか?
参考までにいくつかの手記やレポートを紹介します。