「熱く語る〜ラマナ=アルナーチャラへの信愛」第7回


・・・「聴く」ことによる「ラマナ・マハルシの臨在」サイト












「喋る道具?」マハナンディ・尚志かく語りき!(笑)
 

 

皆様へ・・・  


下記動画群は、コロナ・パンデミックが世界中を席巻していた時期に収録されました。

従って動画中の説明でも、アシュラムの状況も当時の状況を如実に反映した「語り」となっていますが、23年現在にありましては殆ど「コロナ以前」の状態に復旧しています!!




2020年の「ラマナ・ジャンティ(聖誕祭)」は西暦では12月30日、今回が第141回(1879年生まれ)となります。

そしてタミル暦計算では今年は12月31日となります・・実は今年の1月11日もジャンティ(第140回)でしたが(笑)。


ということで今回はこの「聖誕祭」の奉祝も兼ねまして、ずばり「ラマナ・マハルシ紹介・解説」という大命題についてあれこれ語ることにしました!!


・・・この「熱く語る」シリーズのクライマックスとも言えるわけですが、それだけに今回のトークは前回を更に上回り、全7部構成で総計162分・・・という「超ウルトラスーパー長広舌」となりましたが、宜しくお付き合いください(笑)。









トーク7・A





訂正 上記動画の冒頭にてタミル暦計算でも30日と述べていますが、実は31日が正解でした・・・印刷されたカレンダーの誤記によるものです。そして2021年は12月21日が第142回ジャンティと新たに判明しました・・「勇み足」をお詫びします。




上記動画中で言及している「参考ファイル群」




前回(第140回)のジャンティの様子










バガヴァーンの誕生日の祝典についての頌 〜「ラマナ・マハルシの言葉」柳田侃訳・東方出版 231・232P


誕生日を祝いたいと思うあなたは、まずあなたの生誕がどこから来たかを探求しなさい。人の真の誕生日は、彼が生と死を超越した「それー永遠の存在」の中に入る時なのだ。

少なくとも人は自分の誕生日に、この世界(サムサーラ)の中に入ることを嘆き悲しむべきだ。それに大喜びし、それを祝うことは、死体を大いに喜びそれを飾りたてるようなものだ。
人の真我を探求し真我に没入すること、それが知恵というものだ。」






アーカイブ・ミュージアム




 





ラマナの記念切手


 









「アルナーチャラがラマナを送りだした」という参考文献→
   












トーク7・B



上記動画中で言及している「参考ファイル群」




インドの紙幣(200ルピー)・・裏面赤枠内に各州の主要言語で紙幣価値が記載されている。

   









ラマナの通っていたマドゥラィの高校   










トーク7・C










上記動画中で言及している「参考ファイル群」




ラマナの所持していた3点セット・・・「ふんどし」・「水壺」・「杖」










「ナラヤーナ・セーヴァ」の様子










「アシュラムの食事に関する私的考察」→









トーク7・D










上記動画中で言及している「参考ファイル群」




パタラリンガム・・ラマナが完全なるサマディに浸られていた場所(大寺院の境内の中にある)、当時は損傷・崩壊が激しく「真っ暗な穴倉」だった。






現在ではラマナアシュラムのドネーションにより修復され、日常的にプージャが行われている。








現地発行日本語版ニューズレター「SIRENCE」→   






新聞を読むラマナ









「私は誰か」問答の一部








上記パンフレットの解説はこちら・・「その3」を参照→
   






「不滅の意識」に収録された問答









ラマナの「お写真」について→
   











トーク6・E







上記動画中で言及している「参考ファイル群」















「ラマナ・マハルシの伝記 賢者の軌跡」→ 







  





「舞原さなえ インド旅行記」→   エッセイより「ラマナを夢見る」→












トーク7・F








上記動画中で言及している「参考ファイル群」



反対尋問より 〜「不滅の意識」柳田侃訳・ナチュラルスピリット刊 364P


Q・あなたは誰か弟子を持っていますか。

M・私は、儀式ばった仕方で、たとえばクンバ(kumbha 聖水を入れておくつぼ)を保有したり、そのためにプージャを行ったり、人に(マントラを)ささやいたりして、ウパディーシャを授けることはしません。

人は自分を私の弟子とか信奉者と呼ぶかもしれません。私は誰も私の弟子とは考えません。私は誰からもウパディーシャを求めたことはありませんし、誰にも儀式ばったウパディーシャを授けることをしません。

もし人びとが自分たちを弟子と呼ぶならば、私はそれに賛成も不賛成もしません。私の考えではすべての人は同等なのです。彼らに何を言うことができますか。





ラアマナの元に集っていた人々・・・・ホール内及び戸外にて






「アルナ―チャラ・ラマナ 愛と明け渡し」→
   「文字の結婚花輪」紹介シリーズ→   




「Sri Arunachala Aksharamanamalai」・・・・聴けば元気が出てくる「アルナーチャラ・シヴァ・マーチ?」です

数々の演奏バージョンがありますが、これはかなり古い録音・・私が柳田先生から勧められて初めて聴いたもの。



















トーク7・G
























編集雑記




1・1879年生まれのメンバーの中では「事績の重要性」という点で、ラマナとアインシュタインは2大巨星と言い得るのではないか?・・と思います。

2・「ブッダ入滅から100年間のプロセスと同じような感覚」を現在の我々は体験している・・とも言えるのではないか?・・・とも思います。

3・ラマナの「完全なるサマディに没入→やがてこの現象世界へと戻ってくる」一連のプロセスは、「ブッダの梵天勧請〜初転法輪」に類似している・・・かもしれませんね。

4・ラマナが「いつでも写真OK」だったことを引き継ぎ、現在でもアシュラムのほとんどの場所で特別な許可を得ることなく撮影OKです(宗教施設としてはかなり珍しい)。

5・夢の中で「眼前にラマナが現れた時」に、案外こちらは平然淡々としてその事実を受け入れている・・・のが不思議だったりします。

6・「Sri Arunachala Aksharamanamalai」の今回紹介したバージョンでは、伴奏のリズムセクションのインパクトも強くてなんだか楽しくなってきます・・・この演奏を聴いていると、或いはサイト管理人は「過去生ではこの歌を唄いながら托鉢していた一行のしんがりに参加していたのでは?・・・」などという妄想に駆られたりします(笑)。

7・実はラマナ=アルナーチャラは「効き目が遅い?」などといわれますが、これは恩寵が「エゴの壁の厚さ」を貫通して現前化するまでのプロセスだろうと思われます。

8・その「比類無き臨在と恩寵」の波動に浸る体験は、案外予期せぬ時に訪れたりします・・・例えば「アシュラムの食事の後でただぼんやりとホールに座している」時など・・。

9・そのラマナ=アルナーチャラの「比類無き臨在と恩寵」が静かにひたひたとハートに浸透してくる状態を、今回も例によって?音楽でイメージすると、バッハの「無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番のアンダンテ」がぴったりきます。

というわけで、バッハ演奏の名手であった巨匠ヘンリク・シェリングの演奏でどうぞ!

















トーク第8回へ続く・・









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