余はいかにしてラマナ信奉者となりしか? その14













「ラマナを夢見る」〜夢十夜・前編









私は時々「ラマナの夢」を見ることがある。

ただ実際には「夢見る頻度」としては、「山としてのアルナーチャラ」や「ラマナアシュラム」が登場するケースの方が遙かに多い。

その場合いかにも夢にありがちな「アルナーチャラのお姿や建物の様子が実際とは随分異なっている」ことがかなりあるのだが、それでも夢の中の意識としては「自分はアルナーチャラに、ラマナアシュラムにいる」ということを全く疑うことなく行動しているのである。



そして「ラマナご自身が登場してくる夢」となると、残念ながら頻度は俄然少なくなる・・のだが、その分インパクトはかなり大きい感じではある。


私にはいわゆる霊能力というものは皆無だし、「夢の中でラマナから『スピリチュアルなお告げを受ける』というような宗教的・霊験的なものではない。

しかしながら「ラマナが登場する夢」というのは、その夢の中のリアリティに於いて「目の前にありありと『身体的存在としての』ラマナがいらっしゃる!」・・わけである。

そして場合によってはあれこれと「リアルなやりとりをする・・」こともあるので、この状況は信奉者として単純に嬉しかったりするのですな。



そもそも20世紀前半という時期におけるインドの聖者さんとしては、ラマナの場合は極めて例外的に「お写真&動画」が大量に残されている。

そして「沈黙の中でラマナの瞳に見つめられる」ことが、文字通り「グルの一瞥」としてのイニシェーションであっただけに、殆どの写真でラマナ
は(あるいは意識的に)「カメラ目線」で写っている事が多い。→





かくしてアシュラムではそこら中にラマナの大きな写真が掲げられていて、物理的にも「彼のまなざし」を嫌でも感じられる?ようになっているわけでもあり、実は我が家も似たようなもの・・・というかあるいはアシュラム以上に?ラマナのお写真が展示されている(笑)。




   








上の画像は私の書斎兼寝室のものであるが、その他の部屋だけでなく玄関・洗面所・台所・トイレ・風呂場に至るまで、「全ての区画にお写真が展示されている」のである(笑)。

こんな具合なので、家の中で何をしていようと「ラマナの視線」とぶつかる・・わけでもあり、それ故にこちらとしても必然的にバクタとして「ラマナ=アルナーチャラ」に「意識を向けている」時間が長くなる・・・ということにもなるので、それが「ラマナの夢」を見る原因の一つであるのだろう。


私は「懐疑主義者」でもあるので、これらの夢の「霊的な意味合い」には全く価値は置かない・・・のだが(笑)、しかしながら「深層心理学的な意味合い」はどうなるのだろうか?


この場合のラマナとは、私が「象徴として無意識的に選択した、オールドワイズマン(老賢人)原型イメージ」と言えるだろうし、そのことによって、果たして私の深層心理の中で何事が機能しているのかな?・・・とあれこれ考えてみるのは無意味ではない。

「夢見」自体のリアリティというのはこれはこれで興味深いもので、夢の中でラマナ(として表出されている原型)は、「なにがしかの啓示(としか思えないあれこれ)」・・時には明確に言語化されたメッセージまでも示されて下さったりもする・・のである。




・・・というわけで今回と次回のこのエッセイシリーズでは、これまでに見た「ラマナが登場する夢」をある程度系統立てて紹介し、そこに「なにがしかの意義が見いだせるかどうか?」を検証してみよう・・という趣旨である。

(注・・全部で10種の夢としてまとめてみたのだが、これらは内容ごとにカテゴライスしたものであり、「見た順番」の時系列に沿って並んでいるわけではない。)





           









                    「ラマナの夢」全十夜・前編・・・・・ 「こんな夢を見た」(第1夜から5夜)




第1夜 「喋る道具」




アシュラムの古いオフィスらしきところにラマナがいらっしゃって、どういうわけかご奉仕すべき私の方が、ラマナに何かしら「接待」されている?(細かい内容は忘れてしまった・・・が、そういう印象が強烈に残っている。)


そして場面が変わると、ラマナは椅子に腰掛けられて、テーブルの上に置かれている何かの機械・・・箱時計のような、あるいは蓄音機(78回転のSPレコードの再生装置)のような四角い機械を分解メンテナンスされている。











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これは「熱く語る」予告編の冒頭で紹介した夢であるが、私としてはその機械とは私自身の「身体的存在」なのだろうな・・と直感した。

モノが蓄音機だとすれば、つまりこの私は「喋る道具」ではないか!(笑)・・というわけで、 ちゃんとご用を果たせるように、不具合を修理してメンテナンスして下さっているのだろうなあ・・・・。

どちらかといえば「不具合」の方が多すぎて、なかなか真面目に働かない道具の身分としては、まことに汗顔恐縮せざるを得ない夢であった。





第2夜 「ラマナ復活」



マザー・テレサが主宰していたカルカッタの「死を待つ人の家」のような場所でボランティア活動をしていて(
実際にはそんな経験はない)、亡くなったインド人の爺さんの身体を湯灌した後で私がタオルで拭いてあげるのだが、気がつくといつの間にかその爺さんはラマナであり、生き返ってむくむく動き出す・・・。


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これが確か「定期的なアシュラム生活」を送るようになった最初期の頃に「初めて見たラマナの夢」なのだが、それから20年近く経った2019年のラマナ西暦命日(4月14日)の夜にも同じような夢を見ている。

テーマとしては正しく「復活」という内容であり、このテーマが深層心理学的に意味するところはなかなか深淵なものではないか?・・と思われる次第。





第3夜 「貴人への奉仕」



前後の情景の詳細はすっかり忘れてしまったが、「ラマナのお背中を
タオルで拭いて差し上げる」・・・というものだった。


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夢を見た当時には、現存するラマナのお写真には「後姿を撮影したもの」なんて見た事が無いよなあ・・・と思っていたのだが、実はあるのですな(笑)



                    




因みにこの「ラマナのお体を
タオルで拭く」、及びそれに類するモチーフは第2夜もそうだし他にも何度か繰り返して登場するイメージである。

更にはラマナだけではなく天皇陛下(現・上皇陛下)が上半身裸で座しておられ、私が陛下のお背中を
タオルで拭く夢とかも観たことがあり、

この「沐浴・
身体を拭く」という営為もまた、深層心理学的な象徴としてはなかなかに意味深であろう。

(現存する皇族方が登場する夢・・も希に見ることがある。)





第4夜 「空中に声あり」



聖地のパワーというのはやはり夢にも影響するようで、私の場合現地にいる時はちょっと尋常ではない「宇宙的スケールの神話的な夢」を見ることも多々あるのだが(因みにそれが「悪夢」の場合は最低最悪のおぞましさである・・笑)、この夢はそれほど大げさではないものの、いわゆる「幽体離脱」する夢であった。

実際の私にはこの「幽体離脱」始めとしたいわゆる
「霊的能力」なるものは一切有していないのだが、夢の中では何でもあり!なわけで・・・


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ぼわんと肉体から飛び出したのはいいが、一面暗いグリーンであんまり気持ちの良い世界ではない。

「ははあ、どうも心持の良くない幽明界だな」と感じた私は早速アルナーチャラを称えるマントラを唱え、そちらに誘導してもらえることを祈ったらその瞬間に、

「馬鹿者、お前が今いるところを忘れたのか?」

と誰かの声が聞こえ、びっくりして目が覚めた。

あはははは・・・・・そうだった、現在私はその身体的存在自体もアルナーチャラにいるではないか!!!


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この夢にはラマナのお姿は出てこなかったものの、聞こえてきた誰かの声とは状況的にラマナのもの・・・と考えたいわけである。





第5夜 「新発見!(3部構成)」



A・アシュラムの「アーカイブ・ミュージアム」(
画像は外観とロビー・・入館にはアシュラム幹部の許可が必要










の中にある視聴覚室(殆ど知られていないが実在する)」らしきところで何人かで「ラマナ動画」を鑑賞していると、当時のニュース映像のような動画となり、なんとラマナがカメラに向かって大きな声で明瞭に「英語で喋っている」ではないか!!


「存在しない」とされている「音声記録」があった!!・・・という大変驚きのインパクトが強くて、側にいたガネーシャンさん(
ラマナファミリーの一人で会長さんの弟、兄弟の祖父が「ラマナの実弟」となる)に「あったんですか?」と聞くと、ガネーシャンさんはにこにこしながら「あったんだねえ・・」と答える。

                                                         
参考資料・ガネーシャンさんのサイト→



これはどこが撮影・制作した動画だろうと調べると「ニューヨークのAKATSUKI」という映像プロダクションで、全部で4部作らしい



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・・というのが最初の夢だが、なんともインパクトが強かったですなあ。
夢の中での「ラマナの声」は、お写真から想像するイメージとはいささか異なって、

「大きく明るく明瞭な口跡で力強く野太い」声・・・であった。


ラマナは1950年に入滅してしまった上に「音声記録がない」以上、直接やりとりのあった方々(「記憶が残っている」という意味では70代後半以上の年代ですな)以外は、誰も実際の声を聞いたことがない・・・わけで、

その高齢の信奉者たちの述懐としては、「静かで優しい穏やかなお声」だった・・そうだが、我々としてはそれを頼りにイメージするしかなく、やはりどこかそれは「理想化」されたものになっていることであろう(例えば私自身の体験としては、「クリシュナムリティの講演の録音」を初めて聞いたときは、想像していた声とは随分違っていた・・・ということがあった。)


しかし体格が大柄だった方であるから、案外「野太い声」だった・・かもしれないし。

(タミル語で会話する現地周辺の爺婆たちを見ていると、「ラマナもこんな風に話されたのかしらん?」と思ったりもする・・笑)



因みに「英語で話す」というのは、これは実際にラマナは英語でのやりとり(読む・書く・聞く・話す)が出来る方だった・・・その当時のヒンドゥの聖者・隠者・修行者などは文盲の人もかなり多かった中で、

「現地のタミル語の読み書きだけでなく、英語も理解できる聖者さん」

というのはかなり異例な存在だったわけで、西洋人来訪者との会話も基本的に通訳無しで交流されていただけに、「ラマナの存在と教え」は西欧社会にはかなり早い段階で紹介されてきた・・・のでもある。


で、よくありがちな事だが、夢の中では「語られた内容」をしっかり理解していた・・筈なのだが、いざ目が覚めてみたら「全然思い出せない」・・のが非常に残念(笑・・英語だし)。


そして次のシークエンスは・・・



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B・同じ動画のなかで(第2部か?)、ラマナが小道具や衣装を身につけて、あたかもコメディアンのように振る舞い、面白おかしい所作を披露してくれる。

その映像を見ながら、「なるほど『ラマナは人まねなどが上手で、時々ホールに集まっている人たちを笑わせていた』という記述が残っているが、こんな感じだったんだな・・」と納得する私。



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この『ラマナは人まねなどが上手で、時々ホールに集まっている人たちを笑わせていた』という記述が残っている・・のは事実らしい(出典未確認)のだが、

夢の中でのその格好たるやまことに「珍妙かつアバンギャルド」な動きだった・・・もしこの夢を「スクェアな真面目で品行方正な信奉者」が観たらさぞかしがっくりくる、というか「そのような不遜で失礼な夢」を観てしまうことに「罪悪感」すら感じてしまうかも(笑)。



そして3つめのシークエンスは・・・


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C・これは記録映像(第3部としての)なのか、その光景自体を直に見ているのか?・・が判然としないのだが、

ラマナが沐浴された後なのか「素っ裸」のまま横たわり、従者が
タオルでお体を拭いている・・・のを見ている私。

お馴染みの褌すら締めていない全裸なので、「おちんちんも丸見え」なのが妙に印象的。



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例の「沐浴&
お身体を拭く」モチーフの変形バージョンであるが、この夢でのラマナが褌も締めずに「素っ裸でおちんちん丸見え」というのは、「ラマナ=アルナーチャラ」であり同時に「アルナーチャラ=シヴァ神」であるからには、当然「ラマナ=シヴァ神」であるわけで、

そうなると「シヴァ神のちんぽこ」とは、ヒンドゥにとっての「エネルギーの顕現としてのリンガム」を意味する・・ことになるのであろう。





                        








それにしても1番目の夢で「ニューヨークの『AKATSUKI』という映像プロダクションの制作で、全部で4部作らしい」と思った・・にしては、「4番目の映像」を見ることが出来なかった(あるいは完全に忘れてしまった?・・・というのは誠に残念である(笑)。














                                       次回後編・(第6夜から10夜)に続く・・・・。





















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