余はいかにしてラマナ信奉者となりしか? その15













「ラマナを夢見る」~夢十夜・後編









これは全ての夢に共通することであるが、「眼前にラマナがいらっしゃる」という状況に対して「畏敬の念」を抱く・・のは、目が覚めてからなのであって、

夢の中でラマナと対峙している最中には、

「ああ、ラマナがいらっしゃるなあ・・・」という具合にそれが至極当然普通のことという感じで、特に感動したり畏まったりとかするわけでもなく、実に淡々とラマナと関わっている・・のが不思議だったりもする。


というわけで前回に引き続き、






「ラマナの夢」全十夜・後編・・・・・ 「こんな夢を見た」(第6夜から10夜)




第6夜 「雨具」




夢の中でラマナアシュラムでオールドホールに座っていたら雨になった。

「そういえば雨具を持ってないなあ・・どうしたものかしらん?」と思ったら、いつの間にか眼前にラマナがいらっしゃって「雨具は貸してあげるから心配するな!」と仰った・・因みに私一人でなく誰かと3人でいたが、それが誰かはわからない。





                                    








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こんな具合に夢の中でラマナが直接・具体的に「語りかけられる」・「働きかけられる」ようなケースもあり、今回の後半ではそのような夢を紹介していくことにしよう。










第7夜 「会話」



この夢は実際にメデテーション・ホールで座っていた時の話、まじめな瞑想ではなく単に「うとうとして」いたら(笑)・・・


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長椅子の上にラマナが座っているイメージが見えてきた(
実際に私はその長椅子の前に座っていた)。





 







やおらラマナは立ち上がると、外に出て行こうとされる・・・。

「ははあ、これはきっと裏門から御山の方へ歩いて行かれるのであろう」

と、感じた私も「ではお供して付いて行こう」と後に従うと、やはり予想したようにラマナは裏門から御山の中に入っていかれる・・・。






                     










「ええと、『水差し』は私がお持ちした方が良いのかな?」とか考えているうちに、ラマナは大きな岩のところで腰を下ろして休まれた。


もちろん私も腰を下ろす・・・「さてどうしたものかしらん、折角だから何かお尋ねした方が良いのかな?」


しかしどうにも「こちらから何かを質問する」気持ちになれない(
これは全ての夢に共通する心理である)。








                                
                                












そこで「身体詩ワークショップ」で学んだ「自分の意識を相手に移す→相手の側になって、自分を対象化して会話する」というテクニックを思いだし、「自分の意識を『ラマナのイメージ』の方に移し」て、さあそれでひょいと口に出た言葉とは・・・


「君(私のこと)、相変わらずだねえ!」

(私に戻って)「はあ、すいません、例によって馬鹿なことばかりやってまして・・・ええと『私の計画』は御神意に適ってるのでしょうか?」

「まあ、やってみたまえ」


・・という会話なのであった。



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このとき抱いていた「私の計画」が何だったのか?を今となっては全く思い出せない・・ということは、おそらくこの計画は実現しなかったのだろう(笑)。

残された記録からうかがえることとして、ラマナは相手が抱いている計画に賛同出来ない際に、反対しても相手が聞き入れないだろうという状況下では、「まあ、やってみたまえ(どうせ実現しないから)」的なニュアンスでお答えになるケースが少なくない・・ように思われるわけで、この夢ではそれが投影されているのであろう。







第8夜 「重荷」




私はラマナのアテンダント(従者)として、どこかの建物の中にあるオフィス(出版社みたいな感じ?)をラマナとご一緒に訪問して、相手方とあれこれ歓談している感じ。

何かしらやりとりがあるのだが、そのうちに話題が私自身のことになる。今回の用件では「自分のことを表には出さないようにしたいので云々・・」と固辞するが、先方が「いやいやそこを是非!」みたいに譲らない。


そして何か「私に関する情報がごっそり収録されている」ファイル?を相手が開こうとする・・のだが、そのファイルのようなものの上にラマナが覆い被さって開く事が出来ないように、身を挺してそれを阻止してくれている・・という感じである。

そのうち先方が何かのウエイトのようなものをラマナの背中の上に載せ始める。

ラマナは平然とされているが、私は「体の丈夫な方ではないのだから、こんな風にすべきではないのだがなあ・・・」と傍観している。



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この夢のポイントとしては、

1・私のなにがしかについてそれが表に出ることを私は望まないのだが、それにラマナが同意して相手の行動を身を挺して阻止してくれる。

2・ラマナの背中にウエイトが置かれ、私はそれを否定的に見ているがラマナご自身は平然とされている。


ということになるが、肝心なのは2の方であろう。

「重荷」に関してはあれこれの問答の中でラマナご自身が言及されていて、もっとも有名な比喩としては、

「汽車に乗ったなら荷物は汽車が運んでくれる。どうして頭の上にのせておく必要があろうか?(インドでは荷物を頭の上に乗せて運ぶのが一般的光景) 荷物を降ろして休めば良いのだ。」

あるいは、


「神は一切の重荷に耐える、どうして神に任せずに自分で抱えようとするのか?」


・・・というお言葉もあったように記憶している。


要するにこの夢の場合、ラマナが私の「重荷」を背負って下さっているのだ!!・・ということでもあり(ファイルとはこれまでに私がやらかしてきた「表に出したくない」諸々の所業かな?・・笑)、まだ私自身が執着している「重荷」でしかないあれやこれや・・・を「明け渡せ」ということを示唆されているのかも?

・・・という風に私には感じられたのだ。









第9夜 「ラマナ来日!」



この夢は一晩での単体の夢ではなく、同じモチーフでの複数回の夢でありそれぞれの夢を見た間隔はかなり離れている。

(言うまでもないが、ラマナは日本はもとより「外国」に行かれたことはない・・・どころか、マドゥライからの到着以降「マハー・ニルヴァーナ」に至るまで、アルナーチャラから決して離れることが無かった。)


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1・それは私が何かをやろうとしている?夢だったのだが、そこに登場したラマナは、「私はそこには行かないよ」と極めて明確に否定された。


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・この夢を見た時期は東京・東中野に在住していて、独自の「ヨーガ教室」の活動を始めた頃だったので内心かなりがっくりした・・・のであるが(10年後に教室は終了・・笑)、夢にはまだ続きがある。


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何か大勢の「白いユニフォームを着た体育会系?」の皆さんと一緒に、引越しらしきもの?をやっていて、その作業が終わってやれやれと一息ついていたら、一本道の向こうから誰かがやって来る。


誰だろう?と見ていると、それはどこかで見たことがあるような特徴的な歩き方、片手に水差しを持ち杖をついてよたよた歩く「ふんどし1丁」だけの爺さんである。

そうなのだ、ラマナが我々のいるところに向かって、リウマチで不自由な脚で歩いて来られるのである!!・・よく見ると従者なしで一人でお出でになるではないか!!





                           









「ああ、ここには来てくださったのだ!!」と私はラマナを出迎えに行き、そこでラマナから持ち歩いている「水差し」を渡される・・・のだが、ふと気がつくと手の中のそれはいつのまにか「お鉢・・僧侶が托鉢の際に用いるようなそれ」に変化している。







  
 










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ラマナから直接「托鉢用の鉢」を頂くということ・・実際問題として私は現在「無為徒食の遊び人」でありながら全く路頭に迷っていない・・という事実から鑑みると、これは大変重要な象徴的シーンであろうと思われる。



2・ラマナが鴻巣の我が家にやってくる夢

前回の夢ではラマナが来て下さった「ここ」がどこだかは分からなかったのだが、それからずいぶん年月が過ぎた後で、今回はなんと現在居住している埼玉・鴻巣市の家にラマナがやって来た!・・という夢である。


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玄関のドアを開けて駅方面へ向かう道を眺めていたら、1で紹介した夢同様にラマナがこちらに向かって歩いて来られるではないか。


「ははあ、これはうちにお出でになるのだな・・」と思った私だが、やはりいつものようにラマナは裸足で歩かれているわけで、さすがにそのまま家の中に上がって頂くわけにもいかないので、これは「足をすすいで差し上げねば・・」と考えた私は、ラマナが到着するまでに水を用意しようと急いで浴室に行く。

なぜか特大のポリバケツ(ゴミを溜めるような大きさのもの)に浴槽の残り湯を洗面器で汲み始めるのだが、一方で「こんなでかいバケツに目一杯汲んだら果たして玄関まで持っていけるのかしらん?・・」などと考えている。


場面が変わり(ラマナが到着され、私が「足をすすぐ」場面は無しOR忘却)、ラマナは仏間に端然と座していらっしゃる。



                




・・・ので、さて何かしらご接待しなければと思った私は先ず日本茶を用意する・・多分それを「差し上げる場面」もあったように思うが定かではない。

続いて「お茶請け」には何が良いかな?・・と考えた私は「お煎餅」があることを思いだすものの、「あ、この煎餅には味付けに『かつおだし』は使ってないだろうか?」と気にし始める(
「ピュア・ヴェジタリアン」は魚も禁忌であるため)・・・・。






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因みに「ラマナにお煎餅を差し上げようとして、『かつおだし』が入っていては不適切だよなあ・・・と焦る」というシークエンスは、全く別の機会(かなり初期)に見た夢(ラマナはオールドホールに座しておられ、私はその前にいてバッグの中を探したら日本から持ってきた煎餅が出てきた・・)でも登場したことがある(笑)。



3・「瞬間的白日夢」に登場したラマナが、


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どうやら浜松の「母の居住している施設」の周辺であろうと思われる田舎の道を、まさしく施設のある方へ向かって歩かれている・・。








                            





その光景を遠くから見ている私は(別の場所にいるらしい)、酷暑厳しい日中なのにラマナはやはり裸足で歩かれているので、「さて、どうしたものか・・・それとせめて『日傘』をご用意しなければ!!」

と慌てている・・。




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ところで目が覚めたのだが、これは母が老人福祉施設に居住するようになり、健康状態への懸念からこれまでのように「アルナーチャラでの長期滞在」が困難になった近年になってから見た夢である。

そんな状況下でアルナーチャラへ赴くというのは、いくら主治医が「まあすぐにどうこうという状況ではないから、短期なら問題ないでしょう」と言ってくれていても心中決して穏やかではない状態なわけで、どこかこう「忸怩たる罪悪感」を払拭できないのだが、この夢を見たときは「ああ、ラマナが母の面倒も見てくれているのだ」と素直に安心してしまった(笑)。

実際にこれまで「母に関するあれこれの問題」が生じた際に、「これはラマナ=アルナーチャラの恩寵としか思えない!」ような、かなり「強運・幸運な展開」となったことがしばしばある・・まあ、母自身は「自分が信仰している宗教のおかげ」だと思っているにしても。




第10夜 「無明を斬る」


いよいよラストであるが、私自身としては最も印象的な内容として記憶に残っている夢である。




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なんとラマナが私が滞在しているビーチ(タイ・パンガン島シトヌービーチ・・2014年の実話、下記写真)にいらっしゃるのである!!

「おや、ラマナがお出でになったのだなあ・・こんなところに何でまた?」




                           





ラマナはバンガローのあんまり綺麗ではない、むしろ「ぼろい」と言った方が適切な朽ち果てそうなコテージ(当時実在した)の中で端然と座っていらっしゃるのだが、きっと「私にはこれで充分だ」と言われるであろう・・ことを、私はごく自然に感じている。

(別の時に、伊勢外宮正殿の現在空位の御敷地内の「真の御柱を囲う小屋?」の中に、ラマナがいらっしゃる・・というヴィジョンを見たこともある)


場面は変わって、ラマナはビーチを散歩され始めた・・ので私もお供してご一緒に海の方へ(在世中のラマナは、その生涯で「海をご覧になったことはない」のでは?・・・と思われる)。


もとより「普段からふんどし一丁」の方であるから、そのまま海水浴を始められた・・・私ももちろんお供する(ご自身が述懐されているが、少年時代のラマナは水泳は大変得意だった)。

海から上がって真水で身体を洗われた際に身体をタオルで拭くのを、私がお手伝いをした・・・様な記憶もあるがこの情景はちょっとぼんやりしてしまった。


また場面が変わって、今度は私の泊まっているコテージのベランダでラマナが椅子に座られ、私は床に腰を下ろして一緒にいる。








  






で、この旅の最中にあれこれと書き溜めたノートブック(実在したがその後破棄)・・あれこれの個人的な「気づき」に基づく心理学的アプローチによる「自己探求」の記録などが綴られているのだが、

「これを読んで頂いたらどうかな?」とふと思って、ノートブックをラマナに手渡す私。 ラマナはしばらく目を通されていた・・・が特に何を言われる風でもない。

やがて足元にある「歩行用の杖」を手にされると、それを私の方に差し向けて促している・・・

???と思って、恐る恐るその杖を握ると、



「これで無明を斬りなさい」


・・・というお言葉が頭の中に閃いた。



私は身体奏法の一環として、以前少しだけ習ったことのある「剣術の型」をあれこれまとめて時々実践しているので(実話・・現在も然り)、ここでも棒切れを拾って毎日振り回していた(これも実話)・・・のだが、

なんとラマナは、ご自身がお使いになっている「歩行用の杖」でそれをやってみよ・・・とおっしゃるのかしらん?

何だか「御前試合」に臨む武者みたいに緊張しながら、私は「ラマナの杖」で剣術の型をやっている・・・。





                              






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実際には既に70年前に「肉体を放棄」され、時空に制限されないサットグルであるが故に「いつでも・どこにあっても臨在されている」わけではあるものの、こんな具合に夢の中とはいえ「身体的存在であるラマナ」からの具体的な働きかけ?という場面に何度か遭遇してくると、単にサットグルに対する「畏敬・崇拝」の念だけでなく、ある種の親近感?とでもいう感情が生起してくる・・・わけでもある。


私の「ラマナのことを好きで好きでたまらない!」という感覚も、案外こんな風に「おじいちゃんに遊んでもらっている孫」と同様の心理状態なのかもしれない(笑)。



しかしこの夢での「これで無明を斬りなさい」というのは、「霊性の道」を歩む者にとっては大変本質的な、力強い啓示として働きかけられた内容ではないだろうか?




「衣鉢を継いだら、山頂に登ろうではないか!」




第9夜の夢でラマナは手にされている「水差し」を私に手渡して下さり、第10夜では「杖」を手渡されている・・・となると(これらの「解釈」はあまりに牽強付会になってしまうので省略)、ラマナが身に着けている「3点セット?」のうち2つまで頂いたことになる?・・のだが、

残りの一つ・・・いうまでもなくそれは、「ふんどし」である。

(もっとも別の機会に「『ラマナのふんどし』そのものが出てくる夢」・・は見たことがあるのだが、この時は確かご当人は登場していないし、その褌を私が「手に取る」ということもなく見ていただけ?・・であった。)



さてさて、いつの日かまたラマナが夢に現れて、「ふんどしを頂く」ことになったら大変嬉しい!・・・のだが、もしそれが成就したら「それを契機に実施しよう!」と考えていることが一つある。


それは、「アルナーチャラ山頂に登る」こと・・なのですな。






                              





アルナーチャラへ訪問・滞在するようになって四半世紀になりなんとする現在であるが、実はこれまでにまだ一度も「山頂」には登頂したことがない・・のである。

1つには単純に面倒くさいということがあり(標高は820メートルだが道のりは結構ハードであるらしい)、2つには「何かやり残しておくと再びアルナーチャラに招かれる」という言い回しがあるので、その「験かつぎ」で登らずにいた・・ということもあるのだが、最大の理由は、



「アルナーチャラは『登ることにあまり意味がない』とされている」からである→




恩師である故・柳田先生も確か一度も山頂へは登頂されていないと思うし、出来の悪い信奉者である私が山頂へ登る・・のはやはりどこか「おこがましい」・「畏れ多い」という感触を払拭できないのである。

幸いにもラマナは信奉者に対しては「登頂」ではなく、「周回=ギリプラダクシナ」こそを機会あるごとに推奨されていたわけでもあるのだし。


しかしながら俗に「衣鉢を継ぐ」という言葉があるだけに(「鉢」はすでに頂いている)、もし「ふんどしを頂ける」ことになったら、それは「ラマナ=アルナーチャラ」からの「登頂許可」に相応しい唯一のイニシェーションではないだろうか?


・・・とご都合主義的に妄想を巡らしているわけなのだ。

(あるいはそのレポートこそは、このエッセイ・シリーズの最終号となる・・のかも知れない。)











「ふんどし担ぎ」&「他人のふんどしで相撲を取る」


さすがにそうそう簡単にふんどしをいただける・・とは到底思われないものの、よくよく考えてみれば、アルナーチャラの「宣伝・案内屋」としては、いうなれば「ラマナのふんどしで相撲を取る」みたいな局面もしばしばある?・・わけで、

なんのことはない現在であっても、とりあえず「ラマナのふんどし担ぎ」である・・のは、まこうことなき事実だったりするのですなあ、わはははは・・・・・!!







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