余はいかにしてラマナ信奉者となりしか? その16(最終回)





「食客」は果たして「勧請世話役」へと変貌するであろうか?


故・柳田先生の絶大なる後ろ盾により、ラマナ・アシュラムで異例の長期滞在をしていた私であるが、これは「サーダカ(修行者)」というよりも「食客」的な立場になるのだろう・・・ということで今回は『お役立ち』エピソードの紹介である。

(「食客」・・とりあえず飯を食わせておけば何かの役に立つだろう・・・ということで起居を認められている人・・笑)

☆旱魃事態での畑と庭木の水やり

かって柳田先生の住居の留守番屋をしていた時には「水の管理」もしていたことがある。水道と井戸の2系統のポンプで建物2箇所だけでなく、敷地内の庭木&「牧草畑」への給水管理であった。



(当時の敷地内の様子の一部・・・・牛に食べさせる牧草が生い茂っている)


その時分は2年続けての雨不足で渇水状態となり、アシュラムでも給水車を頼む(水道局の支給ではなく、近郊の村から「水を買う」のだ)ような状況だったから、この「給水管理」は結構頭を使う作業ではあった。


(公営の水道局からの給水は全面ストップとなり、ほぼ毎日「有料の給水車」が来ていた。)


(干上がってしまいそうな井戸の底と沐浴場の様子)

特に牧草畑への水遣りというのが井戸の水位の関係で1回では無理(「水位の回復」に時間を要するので・・)であり、やむなく4区間に仕切って「午前午後の2回を2日間」でという具合、井戸水をポンプで汲み上げて水路に流し、それぞれの区画の畦を切って畑に流し込む・・という完全に「百姓仕事」であった。

暑いさなか結構大変だったが、バチャバチャ水浴びしながらでもあり、気分は悪くなかった記憶がある(「蛇が出るぞ」・・と脅かされたが一度も遭遇しなかった)。


☆「ワッチマン?」的貢献エピソード

アシュラムで起きたちょっとした事件で、たまたまその場に居合わせたため「手柄を立てた?」ことが3回ある・・何故かそういう巡り合わせになるらしい(笑)。

泥棒逮捕

これはたまたま偶然なのだが、アシュラム内で「泥棒」を捕まえたことがあるのだ・・・オールド・ホールで私のウエストポーチを盗んだ奴がいて、そいつを大追走して取り押さえ、やってきた警察に引き渡した・・という事件。

ただしこれは盗られた時点での追跡ではなく、「盗難現場」を目撃した人が「(現物を持ったままで)アシュラム内に留まっていた犯人」を私に教えてくれたので、問いつめたら犯人は脱兎のごとく逃走し裏門から逃亡を図ったが、行く手に人がいて阻まれたところに私が追いついた・・という成り行きの大変幸運な状況であった。

結果的に「お手柄」という格好になったものの、久々に全力疾走(しかも事前の準備なしで)となったので、犯人を警察に引き渡した後はへたへたと倒れ込んでしまった(笑)。


ニュー・ホールでの乱闘事件

ある日「ドラックでラリったインド人」がやってきてニューホールで暴れだし、人を殴ったり(前会長さんも被害を受けた)物を壊したりした事件が発生、この時たまたま近くに居た私はこの乱闘に参入して、幸いにも「そ奴を投げ飛ばして組み伏せる!」という戦果を挙げた。

・・もっともこれは、「ラリってヨタヨタの腰高インド人」相手だから通用した完全なるハッタリであり、格闘技の経験は皆無に等しい。ヤナギダハウス屋上でインチキ臭い「武術鍛錬エキササイズ?」を「空き巣対策アピール」としてやっていただけなのだが、この事件以来私は「空手使いの怪しげな日本人」だと思われている・・のである(笑)。

ゲストルームの小火事件

ある日の午前中の出来事である・・例によって?私は部屋の中でごろごろしていたのだが、そのうちなんだか妙に焦げ臭い匂いが漂ってきた。

たまたま停電していて扇風機が止まっていたこともあり、そのうちに煙まで窓から侵入してくる・・・そしてかなり大きな爆発音がドスンと建物を直撃し(虫除けスプレー缶に引火して爆発した)、「大木の枝が折れて屋根に落ちたのかな?(これはたまにある)」と思って部屋の外に出た。しかし木が折れたようでもない・・で、ひょいと隣の部屋を見たら窓から煙が噴出しているではないか!

何じゃこりゃ?と部屋の中を覗いたら、木製テーブルやら何かが盛大に燃えて、黒煙を吐き出している・・・これはどう見たって火事、ドアの外側に南京錠が掛かっているから住人は不在なのは明白、明らかに失火である。急いで広場側に走ってその辺に散在していた人たちに大声で火災発生を知らせる・・とともに自分の部屋に戻って水バケツの用意、何人がとりあえず駆けつけ事態を把握、さらに知らせに走る。

南京錠を壊したくても旅先では何も道具がない・・何か代用品はないか?と探していたが、そのうちに大勢が消火器やら砂バケツやらもって集まってきた・・ハンマーを持ってきた人がいてそれで南京錠を壊す・・ドア本体の施錠がしてなかったのは大いに幸い(そうだったらドアを蹴破らねばならない)だった。前会長さんやドクター・ムルティも駆けつける中、数人がもうもうたる黒煙立ち込める部屋の中に突入して消火作業、私も成り行き上現場に突入し作業に協力した・・私はかって「海上自衛隊の機関科要員」として本格的な火災消火訓練も体験していたので、この時もまずまず冷静に機敏に動けたかな?・・と思う。

原因はどうやら蝋燭の火の不始末の模様で、燃えたのは机と住人の衣類などだけで済み、ベッドに燃え移らなかったのが幸いである。かくして「第1発見者・通報者・消火作業協力」ということで、またまた「手柄を立てた」格好になってしまった訳である・・この時はゼネラルマネージャーのマニさんが「スズキ、今度は消防官か!」と、にこにこ笑いながら関心されてしまった(笑)。


☆「ラマナ手書き原稿」修繕用ペーパー補充でのつなぎ役

ラマナがマドゥライから出発する際に「家族あてに書き残した手紙」から始まって、その生涯に書かれた「手書き文章」というのは全部残されているのだが、どれも100年ほど昔の「紙」であるからインドの苛烈な気候と相まって、やはり「経年劣化」が進行している。




世界中どこの博物館や研究機関においても、これらの「歴史的古文書」の補修作業に当たっては「日本の特殊な和紙」が使われていて、アシュラムでもそれが使われているのだが、それらは故・柳田先生が日本ラマナ協会のミッションとして寄贈したものである。

17年夏の段階でその「補修用特殊和紙」の在庫が尽きかけてきて、アシュラムが日本のメーカーに注文したものの、銀行のシステム上の都合か何かのせいで「決済が出来ず」、話が宙に浮いたまま(メーカー側では発送準備完了していた)になってしまったのだが、折悪しくシュンニャさん他定住する日本人がたまたま長期不在OR動けない状況の上に、柳田先生と親交があり日本ラマナ協会との窓口的な存在でもあるゼネラル・マネージャーのマニさんも、ご子息が住んでいらっしゃるアメリカに逗留中・・・という状況。


そんな時にたまたま私が滞在していたわけで、アシュラム側としてはいわば「藁にもすがる」思いで私に「何か良いアイディアはないか?」とダメ元で相談してきたのであった。そして私は単に「日本側の関係者」に状況を連絡しただけ・・なのだが、その方々が(日本ラマナ協会があらためて寄贈する形として)快く事態を収拾して下さっただけでなく、結果的に解決したのが丁度柳田先生のご命日と重なり、関係者からも「これは柳田先生にはめられましたね(笑)」と評された次第。

「アシュラムの代理人」でも「日本側の窓口」でもない私が何となく「コーディネーター」みたいな役割となり、結果的に「点数稼ぎ?」みたいな格好になってしまった次第(笑・・これもラマナが私を「道具として使っていらっしゃる」ということなのだろう)。


かくしてあれこれと紹介したような「お手柄?」もあって、「真理へのサーダカ(修行者)」としてはどうにも「出来の悪い」私でも、アシュラムで毎度毎度の美味しいご飯を食べ続けられる・・のであろう(笑)。


さて3月23日は私の誕生日であり、今年(2021年)はいよいよ還暦なのだが、現在に置いて私に課せられている「世俗上の義務」は1つだけである。

それは、今年4月に米寿を迎える母をいずれ看取る・・ことである。

母は浜松のグループホームに居住中だが、要介護4で心身ともに衰弱してきて「寝たきり」近い状態になってきた・・まあ90歳までいくかどうか?というところであろう。私には兄弟はいないので「母を看取る&その後の一切合切を始末する」必要があり、それこそが唯一の「世俗上の義務」である。

そしてもう一つ、「アルナーチャラの宣伝・案内屋」を全うする!・・という「役割上の義務」があり、その一環として「臨在」サイトの運用を「恒久化」しておきたい・・という懸案事項がある。

というのも「臨在」サイトは現状「有料プロバイダ契約」で運営しているため、ひょっこり私が突然死してしまうと契約料金滞納となって、いずれ「自動的にクローズしてしまう」のですな(笑)。

誰か信頼の置ける個人もしくはグループが「臨在」サイトの管理運営を引き継いで下さる・・ということになれば申し分ないが、なんせこのサイトは「個人の熱烈なる大いなるおせっかい」で始めた道楽に過ぎない?ものであるから、そうそう簡単に「引き受け手」が出現するとは思えないわけでもある。

ということで、利用料金「恒久無料」というプロバイダに引っ越しする必要があるのだが、普通は「無料」であるのは「広告が入る」からなのですな・・しかし「ラマナ=アルナーチャラ」を紹介するサイトにあれこれの広告が入るというのは、バクタとしてはどうにも肯じ難い。

しかし誠に幸いなことに、2018年3月のヤフーからの引っ越しの際に、特典として「恒久無料かつ広告無し」というプロバイダーとも契約することが出来て、そちらではアルナーチャラ在住のシュンニャ(崎山綾子)さん翻訳によるパパジの「真理のみ」のウェブ公開版を公開管理している。→
この「真理のみ」サイトも「臨在」サイトも基本的にはテキスト主体であんまり容量を食うものではないだけに、多分同じプロバイダーで両方を運営していけるだろう・・・ということで、

今年(21年)夏頃までにそちらへの引っ越しを実施する予定である。


21年6月追記
   

「ラマナ・マハルシの臨在」サイトは引っ越し完了しURLが変わりました・・・このページはその新しいURLで表示されています。



☆今後の活動展開について・・・


というわけで上記2件の作業に目処がついたならば、それから先は「余生」であり「特に生きている必要もない」・・別段生きているのが「辛い・苦しい」とは思わないが、どうにも「あれこれと面倒臭い」とはつくづく感じる次第ではあるのですな。

ところが、大変信頼のおける占い師の友人(アルナーチャラ仲間の一人)の手相鑑定によれば、私は「90歳を越えて生き、最後は穏やかに故郷の土に還る」とのことではないか!・・この友人だけでなく、誰に見てもらっても&どんな占いでも、私は長命らしい(笑・・しかも最近「100歳まで生きる」という夢まで見たし)。

かくしてそれでもなお、「御神意によりこの現象世界に在らしめられる」のならば、近未来のヴィジョンとしては・・

・22年12月の「ラマナ・アシュラム創建100周年」に際して現地で祝福する。

・ギリプラダクシナ500回マーク(残82回)&山頂への登頂(前回言及した「ラマナからふんどしをもらう」夢をみたならば・・という条件付きで)。→


・・というところだが、これらは要するに「個人的野望」に過ぎない・・・しかし実は「極めつけの最終ビジョン」があるのだ!!


☆「極め付きの」最終ヴィジョンとは何か?

「ヤマトアンナマライ&SIN日本ラマナKYO会」実現!!
これは以前から「通奏低音」的に響き続けているある種のヴィジョンであり、実は何とも大それたことに・・・・

「アルナーチャラを日本に『勧請』しようではないか!!」

というテーマなのである。


「勧請」・・神仏の分霊を別の所に移して祭ること、である。多くの場合、お社にしろお寺にしろ御本地から(何らかの)要請により「勧請」されて、その分け御霊なり仏様なりが「御神体」・「御本尊」として鎮座・安置され、信仰の拠点となっているわけである。(キリスト教やムスリムでは様式が異なるにしても各地に「教会」や「モスク」があるのだし。)

もちろん「真我の探求(アートマ・ヴィチャーラ)」にアプローチする場合、そんなことは誰も考えないだろうし必要でもない・・しかし「信仰の道」を歩むものには、アルナーチャラの「そのような有り様」・・つまり真の意味で「ヤマトアンナマライ」として機能する何らかの物的対象・表象的オブジェ&スペースが、「日本というエリア」にあったって良いのではないか?


「日本にもアルナーチャラがあれば良いのになあ・・・」・・・というのは、一介のバクタとしての自然な感情の発露なのだ。

因みに欧米の「ラマナ・ケンドラ」では、そういう場所としての建物があったりもする・・・例えばアシュラムの「オールド・ホール」を完全コピーしたもの(下の写真)まであるのはびっくり!!








もちろん「山としてのアルナーチャラ」が南インド・ティルヴァンナマライからの離れることは不可能だが、「勧請」して霊的なレベルとしてご本地から来ていただく・・ことは出きるのではないか?
「アルナーチャラには是非日本にも来ていただきたい!&日本の神様にもその件を是非ご了承をお願いしたい!」

という「純粋なるバクタ的発露」を起点として、


信奉者たちが集まって恒常的にサットサンガを営むことが出来る「活動の拠点」とでもいうべき場所があればどんなに素敵であろうか?


・・・と夢想するわけなのだが、では誰がこの「勧請」をコーディネートというよりお世話をするのか?

もしかしたらそれは、その「誇大妄想的荒唐無稽」なヴィジョンに相応しいのは、この「アルナーチャラの三下」&「ラマナのふんどし担ぎ」である私シリウス・マハナンダかもしれないではないか?

ラマナと同じく1879年に生まれたサー・トマス・ビーチャムという有名なイギリスの指揮者がいるのだが、実は彼は音楽家としては「正規のキャリアの持ち主」では全然なかった。しかし彼はただただ「音楽が好きで好きでたまらない!」という情熱的道楽だけで、なんと「自前のオーケストラ(「ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団及びロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団)」を作って指揮者(プロの!)として大活躍した・・というウルトラな変人傑物である、もっともそれは彼が「大富豪」の御曹司であり、あり余る財産を投資したが故の力業であるが(笑)。






私も「ラマナ=アルナーチャラが好きで好きでたまらない!」という情熱に関しては大いに自負するところであり、ならばこそ「ヤマトアンナマライ」勧請というヴィジョンこそは、還暦以降における「第2の天命」だと勝手に妄想しているのである。



(遊びで作って配布している名刺・・渡された方は大概????となること請け合い・・・笑)

もっとも残念ながら私は「大富豪の子息」ではないどころか、将来は野垂れ死にしかねない「貧乏人」の境遇である・・のだが、なあにそのヴィジョン実現には「宝くじ高額当選で10億円」あればお釣りがくるざんすよ、わはははは・・・・!!


さてさて「食客」は果たして「勧請世話役」へと変貌するであろうか?

このエッセイ「余はいかにしてラマナ信奉者となりしか?」シリーズはとりあえずこの第16回で終了し、今後は何か「書くに値する」題材が出来次第で散発的に展開する予定。




 

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