余はいかにしてラマナ信奉者となりしか? 特別号(21年12月)









このたび「特別号」を執筆・掲載することになった。



もとより前回で最終回としたものの、文中ラストで、

「今後は何か『書くに値する題材』が出来次第で散発的に展開する予定。」と予告していたのだが、つまりその機会が久々に登場したわけである。



エッセイ及び「熱く語る〜R=Aへの親愛」最終回で言及したように、今年前半の懸案事項であった「ラマナ・マハルシの臨在」サイトの恒久(無料・広告なし)化が6月に完了した。

かくして「ジェネラル・インフォメーション」の提供という役割に於いては、ある種の到達点に達したのではないか?・・というのが正直な感想である。

(もちろん今後も必要に応じての「更新・リニューアル・新設」作業を継続実施する。)


ではこれで今年後半は、安心して静かに「真我の探求」に没頭する・・・なんてことが出来るぐらいなら何ら問題はないはずだが、「そうは問屋がおろさなかった」のである(笑)。



あれこれと思うところあって、前回の最後に書いたように、


「アルナーチャラを日本へ勧請する!」というのが、最終的な私の生涯ビジョンなのではないだろうか?


という想いがこれまで以上に強くなってきたわけなのだが、ではその遠大なるビジョンに向かって「何から始めるのか?」そして「今ここですぐにでも着手出来ることは何か?」と考えを進めたさなかに、不意に訪れたアイディア・・・


それは「『ラマナ・サットサンガ』の定期定常的開催&継続」ということなのであった。



振り返ってみれば、これまで私は「アルナーチャラへ行きたい!」という方のサポートの為に、コンサルタント業務としての「ラマナ・ミーティング」活動は展開してきたものの、実は一度たりとも本来の意味での「ラマナ・サットサンガ」を主催したことは無かった。

その理由は簡単で「ラマナ・サットサンガ」の本来の意義それ自体においては、「宣伝屋・案内屋」として大変有用な「過剰な表現意欲&能力」は不要どころか弊害ですらあると自覚していたから・・なのだ(笑)。


しかしコロナ禍によりアルナーチャラへの訪問・滞在の機会が大幅に縮小規制されてしまった昨今ならばこそ、「宣伝屋・案内屋」が「ラマナ・サットサンガ」を発動する意義が新たに生じてきた・・のではないか?



「よし、ここから始めようではないか!」


と決意したのが今年(21年)の8月7日、自宅での「夕べの礼拝」中で、ちょうどこの日は「ラマナ・プナルバスデー(タミル暦での『その月のラマナの誕生日』を祝う)」の佳き日なのであった。



その頃は8月下旬から9月上旬にかけて「超ウルトラスーパー大巡礼」を予定していたので、その「ラマナ・サットサンガ」を「どのような形と内容で展開するのか?」という具体的な構想については、この大旅程中にじっくり考えることにしよう・・・ということで、今後の展開に一筋の光明を見いだして「夕べの礼拝」を終了。


そして夕食・入浴の後にネットにアクセスしたら某知人からメッセが入っていた・・・のだが、なんとそれは「(知人が住む地域での)定常的な『ラマナ・サットサンガ』開催を検討しているが、いかがなものでしょう?」というメッセージだったのである!!





そしてどうにかこうにか9月28日(同じく「ラマナ・プナルバスデー)最初の配信にこぎ着けたのが「プログラムA」である。


プログラムA (詠唱と瞑想)




「参集した皆さんで、一緒に歌いかつ瞑想し、ラマナ=アルナーチャラの比類無き臨在と恩寵に浸る」


という趣旨・命題を具現化するために、youtubeとOBSを利用した疑似ライブ形式として、
主催者も参加者も「顔出し・声出し」は一切行わず、配信画面の中のテロップにて進行展開を説明し、参加&退出の挨拶などは「チャット画面」のみでやりとりする・・というスタイルになった。

その点で「マウナ(沈黙戒)」に準拠する形になるのは、いかにもラマナ・サットサンガらしいではないか。



テキスト類の中では先行して
「文字の結婚花輪」&「教えの精髄」を取り上げた・・・おそらくはこの2つがアシュラムでは最も有名な?歌ではないかと思われるわけで、前者は「アルナーチャラへの熱烈なバクティ(神への信愛)」の・後者は「アートマ・ヴィチャーラ(真我の探求)」のエッセンスなのである。




    





「同時に歌う」ということが核であるからには、本来はその「合唱」状況をリアルに配信したい・・ところだが、これはそれなりに人数が集まった段階でないと難しいのでは?という感触があって、複数人の集まりの中で「声を出して歌う」のはなんだか「恥ずかしい」という(日本人的な)感覚を持つ方も少なくないのでは?・・・と思うわけでもある(カラオケならさておき・・笑)。


なので「参加者それぞれが歌う声や顔は(少なくとも当面は)配信しない」とした方が、むしろそれぞれがその場で「安心して?声を出せる」のではないか?・・・ということなのだが、単にそれだけならば動画をオンデマンドで公開しておいて、各個人で好きなときにアクセスすれば良いことになる。


しかし今回の企画は「ライブ・イベントとしてのサットサンガ」であるからには、


「今ここに(ラマナ=アルナーチャラの臨在の元に)集っているのだ!」という共存感覚


こそが必須ではないだろうか?.


・・・ならばこそ実際に流す動画は「録画」であり、お互いが見えない・聞こえないけれど、
今この瞬間に「一緒に歌う&瞑想している」ことを実感できるライブステージを何とか工夫して創出しようではないか!・・・ということで、youtubeライブ配信のスタイルを借り、

現地に設置されている「ライブカメラ」からの「リアルタイムのアルナーチャラ映像」を画面の一角に配置している他、全体の進行は毎回私が直接操作で「場面の切り替え」などをやっている(「舞台監督」みたいな仕事ですな)次第。


そして最後はアシュラムのオールドホールで撮影された動画をベースとした「瞑想用BG動画」を流して、20分ほどの瞑想タイムとした。














プログラムC 「礼拝・詠唱、そして祈り・観想」


プログラムAでは「詠唱と瞑想のシェア」というテーマを掲げたわけだが、プログラムCではAとはいささかニュアンスの異なる企画に仕上がった。


当初は後述するプログラムBの方で「牝牛ラクシュミー」絡みのコンテンツを紹介してみたのだが、Bの枠組み構成の性質上「どうにもおさまりが悪い」感が否めず、それならば・・・ということでプログラムCを立ち上げることになったわけだが、それに加えてAの方では取り上げなかった
「ミルクオファーリング」&「アルナーチャラへの五連の詩」の詠唱動画をこちらで編成することにしたわけでもある。

(最初のAの構想時点ではこの2つの動画はまだ制作されていなかったので、動画が完成したら先行した2点と隔月で入れ替えて配信しよう・・・という予定だった。)








    




そしてプログラムの最後はAと全く同じ「瞑想用BG動画」を流す…ということにして、Aと同じ「詠唱と瞑想のシェア」というテーマでの「別バージョン」としてデザインしていたのだが、ところが編成直前になって、なんと「ミルクオファーリング」誤謬問題?・・・が発覚してしまったではないか!!


「ミルクオファーリング」誤謬問題?の詳細はこちら→


そのあおりを食って?最後の動画はAとは全く異なるものになった・・のだが、この仕様では「瞑想」用というにはいささか「情報量過剰」なので、ニュアンスを変えて「観想」用ということにしたのである。

映像としては複数枚のアルナーチャラ画像の反復なので、さてその比類無きお姿を拝して意識を向けるのも良し・音声である「マントラ反復」をジャパとして唱和するも良し・テキストを読んで「ラマナの教え」を熟考するも良し・・という次第。












そして「ミルクオファーリング」はラマナアシュラムでの「毎朝の最初の行事」であり、「アルナーチャラへの五つの詩」は夕方のパラヤーナでの最後の詠唱であるので、アシュラム生活の一日の初めと終わりということになる・・・ので、

冒頭での「雌牛ラクシュミー奉祝(毎週金曜朝の行事・・ただし動画で紹介しているのは「命日当日の特別版」の映像)」動画を含め、
日常行事に比重を置いた「礼拝・詠唱、そして祈り・観想」というテーマでまとめることになった次第。





「日本語かな振り」について


今回の「オンライン・ラマナ・サットサンガ」のメインテーマは「一緒に歌う!」ということで、最大の特徴としては「サンスクリット」及び「タミル語」に
「日本語のフリガナ」を付けたわけである。


これに関しては、作業を担当された私の「友人というか同志」であるマディアミカさんは
「サンスクリット」も「タミル語」も全くの素人であり(私にしても然り)、その素人の日本人にとっては


「このように聞こえる」という「耳で聴きとった」音



であって、決して本来の
正確な発音を表わしているわけではない・・ことはあらかじめお断りしておきたい。


そもそもこれらの言語には「日本語では表現・表記できない音」も数多くあるわけで、無理は承知の作業なので「学究的正確さ」には全く欠けるのだが、ここで肝心なのは「一緒に歌う」ことであり、その為の便宜的処置である



たとえば日本人の我々が唱える不動明王真言は、本来のサンスクリット(のローマナイズド表記)では、

「Namah samanta-vajranam canda maharosana sphotaya hun trat ham man」

であるのを、空海さんがご存じのように、

「のうまくさーまんだー ばーざらーだーせんだん まーかろしゃーだー そわたやうんたらたー かんまん」

としたわけである。


空海さん自身は語学の才能も天才のレベルであり当時の中国語も自在に話せたそうだし、在唐中にインド人僧侶から直接サンスクリットを学び、おそらくその正確な発音も習得したことだろう。


しかし真言宗の布教にあたっては、それをあえて日本語で音写したものを広めたわけですな(自分の直弟子の僧侶には「サンスクリット」学習を推奨したであろうが・・)。



大げさに言えば今回の作業もそういうことなのだ・・・もちろん我々は空海さんのような大天才ではないにしても(笑)。


マントラを唱えるには正確な発音でないとその効用を十分に発揮しない・・・とされるが、「サットサンガとしての詠唱」は我々一般人(しかも外国人)にとっては、「効用を期待するための正確さ」よりも「唄うことによる信奉心の発露」こそが肝心ではないか?・・・というのがバクタとしての私の確信である。






「ローマナイズド・テロップの割愛」について



それだけに正確を期すためには各節の「ローマナイズド表記」も添付した方が良心的であり、最初に制作された動画ではその様な仕様で配信していたのだが、

画面上で「ローマナイズド」「日本語かな振り」「翻訳文」の3種類のテロップが同時進行するのを追いかける・・・というのは、、
視覚生理的には結構負担が大きいのではないか?という感触が出てきたのである。


またデザイン上のスペース配分の点でも情報量が多すぎて「ごちゃごちゃ」して読みにくい印象が否めないし、
「耳聞きの音」を優先してることもあって、むしろ「ローマナイズド」があるとスペルとカタカナの相違でかえって歌い難い・・・という実感もあるだけに、12月に入ってから入れ替えた「改訂版動画」では、この「ローマナイズド」を思い切って割愛してしまった次第。






「福間訳と柳田訳」それぞれについて


ラマナが書かれた文章の体系的な日本語翻訳としては、柳田侃先生と福間巌氏の業績2種類がメインとなるわけだが、

今回の作業を通じてあらためて感じるのは、
「歌いやすさ」イコール「文字の追いやすさ」だとした場合には、福間訳の方がこなれていて適していると思われる。

柳田訳は語感が硬いのと補足の語彙も多いので(これは先生の「学者的良心」故の結果だろう)、どうしても「1節辺りの文字数が多い」ことになるからなのだ(笑)。


しかし
柳田訳文を収録した書籍は現在殆どが絶版で、「なかなかそれに接する機会が無い」・・という事情があるだけに、私としては「柳田文献の紹介」という意義もあって配信したいわけであり、詠唱動画では「柳田訳・福間訳」それぞれのバージョンの制作が進行中であり、いずれは双方を「隔月交代」で配信していく予定なのでお楽しみに。






プログラムB 「オンラインお茶会(自由歓談)」



そして一方でプログラムBの方は「ズーム・ミーティング」を利用しての、顔出し・発言自在の「オンライン・ティータイム」としての運用である。


これまで国内をあちこち旅した際にラマナ関係者と会ったりすると、
「いやあ、ラマナの話ができるのは本当に久し振りですよ(周囲に話ができる人がいないので)!」と喜んで頂けるケースが結構あったりする・・・のも事実である。

なので、
そういう機会をオンライン上で提供しようではないか!・・というのがプログラムBの趣旨である。



そこでイメージしたのはラマナ・アシュラムの「お茶の時間」



各ホールでは「沈黙こそが最優先される」アシュラム・ライフにあって、毎日午後四時からの「旧食堂でのお茶の時間」は「自由な歓談が許されている希有な機会」なのだ(「食事」の際も同様である)。




そしてそこで振る舞われるのはチャイであり、それに使われているミルクはもちろんアシュラムの牧場から供給されているものであり、
それはすなわち
「大おっかさん牛」でもある「聖者・雌牛ラクシュミー」からのプラサードなのでもある(前述の「ミルクオファーリング」でラマナに献呈されるミルクもまた然り)。

であればこそ、各自持参した「ミルクティ」を飲みながら?あれこれと歓談する・・こと自体がメインであり、退出は各自の自由とし全体もズーム無料サービスのリミットである40分で終了ということにした(ここら辺も実際の「アシュラムのお茶の時間」と同じぐらいだし)。


・・のだが、何度か回数を重ねてくると「40分で自動リミット」がどうにも煩わしくなってきつつある。

性質上どうしても私のトークがメインになっている・・ものの、最近では参加された方がご自身の貴重な「ラマナ・アルナーチャラ体験」をシェアして下さったり、あれこれと積極的に発言して話題を提供してくださるようになってきて、

それに乗っかる形で話を展開すると「リミットの40分間」はあっという間に経過してしまう感じで、話が盛り上がってきたところで「いきなりぶつっと終了」になってしまう(終了の挨拶もできずに・・)・・・・(笑)。

こうなるとやはり枠組みとして1時間は欲しいかな?・・・という感触でもあり(話が一段落したところで、「では今回はこの辺で・・」と終了できるスタイル)、さて有償版に切り替えとなると毎月2千円の出費が必要だが、まあどうにかペイできないわけでもないかな?・・と検討中。


もっともこのような催しに「いきなり参加する」・・のは、どうしても躊躇してしまうのも無理はないのだが、その場合は「『顔出しNG・発言なし』で、話を聞いているだけ」・・でも構わないので、このプログラムBにも是非ともご参加願いたい次第。












「オンライン」としての「ラマナ・サットサンガ」では何が可能なのか?


私が以前から希求していたのは「散発的・一回性のイベント」ではなく、まごうことなき
「ラマナ・バクタ」「ラマナ信奉者」が主宰する「定常的なラマナ・サットサンガ」である。


かって柳田先生がいらっしゃった頃には、関東・関西交互の隔月で日本ラマナ協会の「勉強会&サットサンガ」が開かれていた・・のだが、現在では協会はほぼ活動停止状態となり、以降は時に有志諸兄各位発案による「ラマナ・サットサンガ」が開かれることがあっても、諸般の事情でそれらは「単発的な特別な」イベントという意味合いのものであったし、

一方でこの2年というものはコロナの影響で「集会」というものが忌避されるご時世で、「サットサンガ」を開催すること自体に躊躇する状況下にある・・・わけである。


その状況下にあって、「オンラインでの集まり・イベント」は会場を用意する必要もない上に「遠方に住む方々(海外であろうとも・・)」でも参集できる!!・・・というシステムの最大の特徴は、

「ラマナ・サットサンガ」をこれまでのような「特別なイベント」ではなく、むしろ
信奉者にとっての「ルーティーンとしてのごく普通の営為」の機会として提供する・・ことも可能になったのだ。


もちろん「ラマナ=アルナーチャラの臨在と恩寵」に触れる・・のは、ある意味かなり「非日常的で特殊」な出来事であるにしても、やはりそれはこちらが「そちらに(真我・神に)意識を向ける」機会があればこそでもあり、

この「そちらに意識を向ける」機会を、特別な集会イベントというよりも
「個人的な日常的営為」として回数的にもできるだけ多く提供する・・ことこそが、「オンライン・ラマナ・サットサンガ」運営の最大の目的である。

それだけに本来なら「毎日」実施するのが理想だが、とりあえずは「毎週3回」のぺースでやってみよう!!・・・ということになった次第。


中高齢者層の多いラマナ関係者には、どちらかといえば「オンラインに対する疑念・(新しいものへの)抵抗感や苦手意識など」のある方(私自身を含めて・・笑)も多いことであろうが、是非皆様のご都合が合うときにご参集して頂きたいものである。



そして提供されるのはあくまで「機会」であり、その「機会」に於いていかように「ラマナ=アルナーチャラの比類無き臨在と恩寵」に触れうるのか?・・は、参加者それぞれのハートへのダイレクトパス次第であることは言うまでもあるまい。

(なので、仮に
毎回参加したところで「その蓄積が何かをもたらす」わけではない・・・ことはあらかじめご承知おき願いたいポイントである。)




ではこの「オンライン・ラマナ・サットサンガ」に参加されることを契機として、皆様のハートにラマナ=アルナーチャラの比類無き臨在と恩寵が満ちあふれますように!!


OM NAMO BHAGAVATE SRI RAMANAYA,
ARUNACHALA SHIVA !!

OM SHANTI SHANTI SHANTI






参考リンク




「オンライン・ラマナ・サットサンガ」紹介・ご案内ページ→



直近の開催日程&アクセスのご案内→



「オンライン・ラマナ・サットサンガ」について「熱く語る」→



おまけ・・純然たる蛇足




この「オンライン・ラマナ・サットサンガ」企画の着想から実現までには、実際には「ジェットコースター的な?」紆余曲折の展開があって、時に「がっくりしてやる気を殺がれる」ような出来事もあったのだが、そんなときに大いに励ましとなったのが、

「ワイルド7・実写版」と「愛の戦士レインボーマン」の主題歌なのだ(笑)。

どちらも70年代初頭に制作されたテレビ番組で、当時小学校高学年だった私はリアルタイムで夢中になった・・ものだが、


「おまえがやれぬことならば、俺がこの手でやってやる」(ワイルド7)


「今更後には引けないぞ(止めては駄目なのだ)、だから行くのだ」(レインボーマン)




・・・といういかにも「昭和の熱いメッセージ」爆発!!・・・の歌詞は令和の現代にも、いや
現代だからこそ、孤軍奮闘する自分を激しく鼓舞してくれるのであるよ、わはははは・・・・!!





   





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