「熱く語る〜ラマナ=アルナーチャラへの信愛」第8回


・・・「聴く」ことによる「ラマナ・マハルシの臨在」サイト












「喋る道具?」マハナンディ・尚志かく語りき!(笑)
 

 

皆様へ・・・  


下記動画群は、コロナ・パンデミックが世界中を席巻していた時期に収録されました。

従って動画中の説明でも、アシュラムの状況も当時の状況を如実に反映した「語り」となっていますが、23年現在にありましては殆ど「コロナ以前」の状態に復旧しています!!




誰しも「あのときのことは鮮明に覚えている」というような、人生の中でも「特別な瞬間」としての出会い(その対象は何であれ・・)があることでしょうが、私にとっては1月24日というのはその中でも「最大級のエピソードが2つも重なっている」メモリアルデーです。


1つは96年に初めてアルナーチャラを訪問した時のエピソードであり、「ラマナ=アルナーチャラの比類なき臨在と恩寵」の元に「お気楽脳天気!に生かされ在る」・・・のも全てこの日から始まったわけで、

「あの日あの時こそがサットグルであるラマナ=アルナーチャラが、私をがっちりと『掴み捉えられた瞬間』であったのだ!」

・・・と、これは揺るぎなき確信として鮮明に覚えています。


そして2004年1月24日に「ラマナ・マハルシの臨在」サイトを立ち上げ運用開始しました・・・自他ともに認める「アルナーチャラの宣伝・案内屋」活動のスタートとなった日でもあります。


かくしてこのメモリアルデーを「天命記念日」と名付けているのですが、今回のトークではこの2つの出来事について語ります。









トーク8・前編






上記動画中で言及している「参考ファイル群」



「ラマナ・マハルシの教え」→


82年発刊の旧版(左・中)と19年再版書籍(右)
 
 



「上記書籍のあとがきに収録された長沢氏の詩」→   





96年1月 初のアルナーチャラ訪問時 宿(大寺院北側)の屋上で撮影した写真






ラマナアシュラムのシンボル? 樹齢400年の「イルパイ樹」





翌97年の「晴天霹靂的な事態の展開」・・アルナーチャラに取り込まれてしまう話(笑)→   







トーク8・後編













上記動画中で言及している「参考ファイル群」


故・柳田侃先生(日本ラマナ協会会長・甲南大学名誉教授)→




アルナ―チャラ&ラマナアシュラム訪問・滞在の為のガイダンス→



「肉体無きグルの臨在と恩寵」→




参考までに、バクティについての「アマチのお言葉」→



















「ラマナ・マハルシの臨在」サイトのトップページはこちら→








編集雑記



1・よく知られているように、「ブッダの出家は29歳・成道が35歳」ですが、私の場合は「初めてのインド旅、そしてヨーガの師匠に弟子入り」したのが29歳、35歳の時に今回紹介したように「ラマナ=アルナーチャラに捉えられる」ことになりました(笑)。


2・このリシケシのヨーガの師匠は大変厳しい方であり、「そこで修行したあれこれ」の蓄積が、結果的に「ラマナ=アルナーチャラに捉えられる」ことに導かれた・・わけでもあり、師匠は「私を鍛えてアルナーチャラへ送り出してくれた」のだ・・・と確信しています。


3・柳田先生の「懐深さ」の顕著な一例として、協会会報での会員便りへ投稿した私の「かなりぶっ飛んだ」文章もそのまま掲載されています。→


4・「アルナーチャラ一家のラマナ大親分」の三下&食客・・・というのは「任侠道」的表現ですが(他にも「筋を通す」とか「義理」とかも然り・・笑)、実際問題として任侠道とは「武士道の真似事・俗化」したものでもあるだけに、同時にバクティと相通じる側面があると感じます。


5・このシリーズの予告編動画にて冒頭に紹介した「喋る道具」としての夢もまた、数年前の1月24日朝方の夢見でした。→


6・「天命記念日」ということで恒例の?音楽紹介・・・ここはやはりベタですがベートーヴェンの第5交響曲です(笑・・日本においては「運命」交響曲と呼ばれています)。

偏屈孤高の偉大なる巨人的マエストロ、オットー・クレンペラーの最晩年のライブ動画を是非ご鑑賞下さい。













トーク第9回へ続く・・









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