・・・「聴く」ことによる「ラマナ・マハルシの臨在」サイト
「喋る道具?」マハナンディ・尚志かく語りき!(笑)
皆様へ・・・
下記動画群は、コロナ・パンデミックが世界中を席巻していた時期に収録されました。
従って動画中の説明でも、アシュラムの状況も当時の状況を如実に反映した「語り」となっていますが、23年現在にありましては殆ど「コロナ以前」の状態に復旧しています!!
トーク8・前編
上記動画中で言及している「参考ファイル群」
「ラマナ・マハルシの教え」→
82年発刊の旧版(左・中)と19年再版書籍(右)
「上記書籍のあとがきに収録された長沢氏の詩」→
96年1月 初のアルナーチャラ訪問時 宿(大寺院北側)の屋上で撮影した写真
ラマナアシュラムのシンボル? 樹齢400年の「イルパイ樹」
翌97年の「晴天霹靂的な事態の展開」・・アルナーチャラに取り込まれてしまう話(笑)→
トーク8・後編
上記動画中で言及している「参考ファイル群」
故・柳田侃先生(日本ラマナ協会会長・甲南大学名誉教授)→
アルナ―チャラ&ラマナアシュラム訪問・滞在の為のガイダンス→
「肉体無きグルの臨在と恩寵」→
編集雑記
1・よく知られているように、「ブッダの出家は29歳・成道が35歳」ですが、私の場合は「初めてのインド旅、そしてヨーガの師匠に弟子入り」したのが29歳、35歳の時に今回紹介したように「ラマナ=アルナーチャラに捉えられる」ことになりました(笑)。
2・このリシケシのヨーガの師匠は大変厳しい方であり、「そこで修行したあれこれ」の蓄積が、結果的に「ラマナ=アルナーチャラに捉えられる」ことに導かれた・・わけでもあり、師匠は「私を鍛えてアルナーチャラへ送り出してくれた」のだ・・・と確信しています。
3・柳田先生の「懐深さ」の顕著な一例として、協会会報での会員便りへ投稿した私の「かなりぶっ飛んだ」文章もそのまま掲載されています。→
4・「アルナーチャラ一家のラマナ大親分」の三下&食客・・・というのは「任侠道」的表現ですが(他にも「筋を通す」とか「義理」とかも然り・・笑)、実際問題として任侠道とは「武士道の真似事・俗化」したものでもあるだけに、同時にバクティと相通じる側面があると感じます。
5・このシリーズの予告編動画にて冒頭に紹介した「喋る道具」としての夢もまた、数年前の1月24日朝方の夢見でした。→
6・「天命記念日」ということで恒例の?音楽紹介・・・ここはやはりベタですがベートーヴェンの第5交響曲です(笑・・日本においては「運命」交響曲と呼ばれています)。
偏屈孤高の偉大なる巨人的マエストロ、オットー・クレンペラーの最晩年のライブ動画を是非ご鑑賞下さい。