KYさんの手記より抜粋 ~現地発行日本語版ニューズレター「SILENSE」創刊号に収録

 

 

 

 

足元の岩・木々・草花など目に映る自然の一つ一つにラマナ・マハルシの存在を感じ、心の底から自然への愛しさが溢れてきました。自然との会話を心地よい高揚感の中で味わいながら歩き続けました。


部屋に戻り疲れた身体でベッドに横たわっていると、生物や自然だけでなく、無生物である天井のファン・干された洗濯物・クローゼットまで、注意を向けるもの全てがラマナ・マハルシに見えてきました。

時にそのお顔で視界が埋め尽くされ、ある時は全てにその存在を感じ、時折いつもの自分に戻り怖くなり、気付くとただ冷静に見ている…その状態がくるくると繰り返されました。私は自分が半ば狂ってしまったのではないかと思いました。


 

夕方過ぎ、アーシュラムのサマーディーホールの隅で座っていると『アルナーチャラ・シヴァ』のパーラーヤナが始まりました。私は全身が聴覚になったかようにその音を感じ始めました。一気に涙腺が崩壊し、涙と鼻水が滝のように流れ出しました。

すると、これまでいつもその瞳で私を真っ直ぐに見つめていたバガヴァーンが、まるで地面からせり上がってくるように現れ、私の身体と重なり共に座って下さいました。

そして気が付くと、ホールとホール内の人々の全てが横座りする大きなバガヴァーンにすっぽりと包まれていました。それは頭の中が吹き飛ばされそうな存在感で、激しく放たれた光のように鋭く眩しく、体験した事のない崇高さでした。

 

 

 

 

その美しさに、静かにしばらく浸っていると、私は不意にこのように理解しました。

 

「バガヴァーンはどこにでもいる。どこにいようとバガヴァーンは私と一緒にいる」と。


 

ラマナ・マハルシの眼差しの力によって、多くの人々がさまざまな体験を得ていることを知りました。私にとってその眼差しは、まさに「沈黙」の教えそのものでした。

 

訪問以前は、沈黙の力の意味するところがよくわかりませんでした。しかし実際に現地を訪れたことで、

 

バガヴァーンは肉体なしに今も強烈に臨在し、言語を超えた導きが得られる

という事実を身をもって知ることができました。


 

日本の生活に戻っても、身の回りの何かが変わるわけではないでしょう。ただ、アーシュラムでの滞在体験から私が理解したことは、揺らぐことはないでしょう。

私はこの旅を通じて、全てのご縁と出来事に神の計らいを感じずにはいられません。今後どのような残りの人生が待っているのかはわかりませんが、私はバガヴァーンに、神に、真我に、委ねたいと思います。