第3部・ギリプラダクシナ アウタールート・ガイド Part3   

 

 

 

アシュラムの東側すぐ近くに「アグニ・リンガム(8方位の南東)」が位置しているので、アシュラム正門から歩き始めた場合は8方位リンガムに到着する毎に全ルートの8分の一を歩いたことになるため、「自分が全ルート上のどの位を歩いているか?」などのナビゲーションを把握しやすいので、このコーナーでは全ルートを8方位リンガム毎に8分割して紹介します。

 

☆Part1 ☆Part2☆Part4☆Part5☆Part6☆Part7☆Part8 

 

 

Part3では、ニルディ・リンガム(8方位の南西)ヴァルナ・リンガム(8方位の西)までの区画の紹介です。

 

掲載している写真は基本的に2019年12月撮影のものですが、一部に2014年10月及び2004年12月撮影のものも含まれています。

 

 

 

「聖山の周囲を歩いて巡礼する」と説明されると、人によっては「インドの山奥で修行して〜♪」と想像し、しかも山伏の如く「山岳修験道」のような凄い内容と思われることもあったりします(「虎とか蛇とかは大丈夫ですか?」と聞く人までいる・・笑)。

しかし実際にはアルナーチャラの鎮座まします周辺は決して深山幽谷の地ではありません。経済成長著しい「地方都市」なのであり、昔ならいざ知らず虎が住むようなジャングルなんて少なくともアシュラム近辺にはありません(毒蛇はいないわけではないですが)。

 

御山の周囲を囲む道の約3分の2はかなりの交通量であるし、かろうじて昔の面影を僅かながらとどめている「ギリプラダクシナ・パス」と呼ばれるあたりでも、現在ではその巡礼路はすっかり「舗装」された平坦な道で、全周「街路灯」が整備され夜も煌々と明るい道路です(ただしどこかしら「区間停電」する・・・新月時にそうなると真っ暗である)。

ルート全体の最後の方の3分の1ではバスターミナルの前の雑踏を通過し、交通量の激しい「国道」の一部ともなっています。

 

そのような21世紀の今日の現実に於いてなお、ギリプラダクシナを実践する信奉者は大勢います!!

 

「現代におけるギリプラダクシナの意義」とは→

 

 

 

 

 

 

ギリプラダクシナ・ルートマップ

 

Part3:ニルディ・リンガム(8方位の南西)〜ヴァルナ・リンガム(8方位の西)まで (下記地図の黄色のパート・時計回り)

 

 

 

 

 

 

 

引き続き「ギリプラダクシナ・パス」(地図緑色のパート)の区間ですが、この辺りからはお寺・お社・アシュラムなどの宗教施設が新旧混ざってひしめき合うかのような?「寺社仏閣銀座」とでも呼びたくなるようなゾーンです(笑)。そういうこともあってこの界隈ではサドゥさんたちが沢山いらしゃいますし、参拝する信奉者たちも多くて夕方から夜にかけてとか祭礼の日にはかなり賑わったりもします。

 

またアルナーチャラの西南西に位置する別の小山の手前側を歩いていくため、途中でその小山の陰にアルナーチャラが隠れるようになり(山頂は隠れない)再び姿を現すと隠れる前と「お姿が変わっている」・・・という変化を鑑賞できます。

 

 

道路に戻っていざ出発!!

「ギリプラダクシナ・パス」はほぼ全体が並木道で歩きやすい。

ルート全行程を裸足で歩くには躊躇する方でも、この区間だけでも「裸足歩き」を試してみてはいかがだろうか?

   19年撮影の道路右側の様子、かなり広い範囲で整備された。
   途上記地点の反対側からの光景、下記写真(14年撮影)と比べると違いが比べられるだろう。

14年撮影、右側にはまだ歩道が無い。

途上の寺院あれこれ点描。

   19年撮影の同じ寺院、建物が増築されている。

右側に見えてくるある女性聖者さんをお祭りした建物。かなり大昔にこの辺りに住まわれていた女性聖者さんらしい。

ラマナによって我々外国人にはアルナーチャラの存在が知れ渡るようになったが、ラマナ以前にも(そして現在でも)多くの聖賢がこのアルナーチャラを訪れ住まわれたりしてきた。

この辺りからのアルナーチャラ。

左側は別の小山でこの外側をぐるりと巻き込むように歩くことになるので、次第にアルナーチャラがこの小山の陰に隠れるようになって交錯していく。

   途この辺りでは「炊き出し&プラサード」風景に遭遇することが多い。

我々外国人でも列に並べば食事を頂くことができる。

途上にあるティルネールアンナ―マライ寺院。

この寺院についてはアルナーチャラ在住のシュンニャ(崎山綾子)さんによる寄稿文(「アルナーチャラ便り 2019年10月」)を参照されたし→




また上記寄稿文に登場するエンラッハ・スワミについては、柳田先生が97年4月に書かれた手記「アルナーチャラ便り」に詳しく描かれている。→

 

上記建物のすぐ隣に建てられたお社。

こちらはまだ新しい。

更にその隣の小さな祠。

更にお隣・・・以上4軒が連なっている。

この辺りは「自動車」で移動するインド人家族連れの巡礼さんも立ち寄っていくので、結構駐車する車の出入りが頻繁だったりもする(笑)

 

両方の山の位置関係が、先ほどよりも「接近して見える」のがお分かりだろうか?

右側に昔からあるハヌマン寺院。

詳細不明・・・アシュラムかな?

地元ではそれぞれの聖者さんやスワミ・ジの信奉者がいるわけで、必ずしもラマナだけが信奉されているのではない。

ますます接近する双方の山。

「寺社仏閣銀座」は続く・・・

   19年撮影の同じ寺院、建物そのものはほとんど変化が無いが、屋上にディスプレイに注目。
   これはタミル文字による「オーム」なのである。

こちらも然り・・・全ての施設を参拝する必要はないが、

「巡礼行」として歩くからには、通過する際には軽く一礼してご祭神にご挨拶するのが仁義?であろう。

   19年撮影、かなり大きなアシュラム。

左側のスワミジがグルなのだが、数年前までは、このスワミジではなく写真中ほどにある女性聖者さんがグルであったのだが。
   上記アシュラムが出来る前までは、ここには大きな牛舎があった・・2004年撮影。

現在は中学校になっているが、元々は「ゴータマ・アシュラム」と呼ばれていた建物。

この聖者ゴータマとはラマナが作られたアルナーチャラ賛歌の中でも歌われているが釈尊のことではない。

 

歩く時間帯によっては登下校中の中学生どもに取り巻かれ「質問攻撃」に見舞われる羽目になる(笑)

また選挙の際には投票会場となるので、エキサイトしたインド人たちも多いので外国人は要注意である。

これも新しい寺院かな?

アユルベーダ関係のアシュラムのようである。

ご覧のようにアルナーチャラが手前の山の陰に隠れてしまった。

こちらは古くから鎮座まします

「スーリヤ(インドの太陽神)・リンガム」。

「スーリャ・リンガム」正面。

ちょうど男性2人が出てきた奥の方にリンガムが安置された祠がある。

位置的には西南西にあるため、おそらく天文的な特別な日(冬至かな?)に、日の出の光がこの奥に差し込む・・・のではないか?と推察される。

   19年撮影。この辺りも右側に歩道が新設された。

「スーリヤ・リンガム」を越えてすぐのところにあるプラットホーム?

 

休憩場所にもってこいの場所でもあり、管理人が単独で歩く際はここが「第1休憩ポイント」。

目測ではおそらくアシュラム正門から4キロ半あたり(全体の約3分の1)・・・と思われる。

その対面にある石像制作工房。

   19年撮影、路面状況はこんな感じ。
   19年撮影、休憩地点での座りながら見る光景。
   19年撮影、同じく休憩地点での座りながらの光景(進行方向側)。

更に進むと左側にかなり広大な敷地と建物。

最近できた「サイババさん関連施設」である。

さすがにお金持ち団体ですなあ・・・。

 

近郊に超近代的に豪華なアシュラムを建造する計画があるらしい。

反対側に再びお姿を現したアルナーチャラ(左)。

交錯する前とは様相が異なっているのがお分かりであろう。

こちらも新しくできたモニュメント。

かなりインパクトがある巨大なおみ足ですなあ・・・!!

この辺りから臨むアルナーチャラは主峰と副峰の取り合わせが印象的なため、「シヴァとパールバティの夫婦」だと評されたり、

全体的な眺めが「象の頭(右を向いている)」にも見えるため、「ガネーシャ」と評されたりもする。

   途上の寺院あれこれ点描。
   全体のルートマップ、現在地を確認できる(ラマナ・アシュラムは地図の真下辺りになる)。

やがて前方左手に「ヴァルナ・リンガム」が見えてくる。

   「ヴァルナ・リンガム」の標識。

ここが「ヴァルナ・リンガム(8方位の西)」

正面の様子。

因みにヴァルナ神はサラスワッティ同様に「河の神様」とされていて、

「雨乞い」の際はここに祈願すると効果あり!!と言われている。

 

酷暑季に歩くときには、ここで是非「雨乞い祈願」をどうぞ!!

天蓋構造物の様子。

他のリンガムと同じく、この10年間に増築された。

何だか伊勢・二見浦の「夫婦岩」を連想してしまう。

配置が逆であるだけに「二見浦からみた『常世の海』の向こう側」は実はアルナーチャラだったら?・・などと可笑しなイメージが感じられるかも?(笑)

 

 

 

 

 

次ページ(ルートガイド・Part4)に続く

 

 

 

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