「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

 

〜SRI H.W.L.POONJA

崎山綾子翻訳

 

 

 

 

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-c

 

 

(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)

☆Part1☆Part2☆Part3☆Part5☆Part6

 

第6章は全体が長大なので、小見出しごとに☆Part分割したファイルを更に、a,b,c...と細分割して掲載します。

[a]・[b]

 

 

 前ページ(Part4-b)からの続き・・・・

 

 

 

真理に対する疑いと恐れを取り除く

 

 

 

 Q:瞑想が深くなるにつれて、死の恐怖が度々やってきます。

     

 

 

 この恐れは名前、形、意図、自己証明から離れて行く過程で起こって来る。

 

 河が海に合流するとき、その河の性質が失くなるように。崩壊することは、突然のジャンプだ。その時点では、恐れは恐れなしに変容する。恐れは障害だ。河の両岸という限界性の産物だ。この限界性がマインドだ。

 

 恐れはすべての過去の観念や自己証明を無くすときにやって来る。海と出会うときに恐れはあり、海になると恐れは消え去る。恐れは海から離れているという思考にすぎない。恐れというのは傲慢さの、エゴの、分離感の変形だ。これらの概念を捨てて自由でありなさい。

 

 すべての人が死を迎えなければならないのですべての人がこの恐れを持っている。恐れというのは、あなたが「ここ」に居ないとき、何かを無くすだろうという考えにすぎない。

 

 「私は死んで行くものではない」と知ることによって、この恐れを取り除きなさい。死ぬのは肉体だ。死は肉体の為にだけあって、あなたの為ではない。肉体が死ぬとき、あなたは死なない。肉体の内にある「それ」は決して死なない。ゆっくりこれを理解し死の恐怖を取り除きなさい。

 

 「私は肉体ではない」と知るだけでよい。時間は掛かるかもしれないが何度も何度も「私は肉体ではない、感覚でも、感覚の対象に対する活動でもない」とマインドに言い聞かせなさい。これを、マントラのように繰り返して唱えることでうまく行くだろう。

 

 肉体からあなたを分離させなさい。足から始めて、あなたは足ではないと認識しなさい。そこから順次あがって行って確かめなさい。「これらのすべては私ではない」と認識したら、「私は誰か」と真我探求しなさい。

 

 ゆっくりとあなたは真理に導かれてすべての恐れが失くなるだろう。

 

 

 

 

Q:あなたと居ると強烈に平和を感じて時々恐ろしくなります。

     

 

 

 何を恐れているのかね?

     

 

 

 

Q:強烈さです。しかし今はもう恐れていません。

     

 

 

 初めてマインドの平和を感じたので恐れたのだ。誰もかって平和を感じた人はいない。しかしそれを続けて感じているので恐れを感じたのだ。恐れる必要はない。

 

 友達や家族、誰もかつてこの経験をしたことがない。誰もこの美味を味わったことがない。エゴなしで人生を楽しみなさい。さもないとエゴはいつも蠍のようにあなたに噛みつくものだ。これがいつもあなたの経験だ。

 

 

  エゴの口づけは

  蠍の刺のようだ。

 

 

 

 

Q:私は気づき以外に何もないのを経験しました。しかし、恐れの為にこの存在の平地に落ちて戻ってきました。

     

 

 

 この経験で十分だ。あなたは考えた。その思考は過去からやって来たのであなたは過去に連れ戻された。何が起こったのか、あなたが得たものは何であったのかと考え始めた。誰もそれについては教えたことがないので、それを価値づけすることができなかった。

 

 「それ」はどこにでもあるけれども、「それ」を見つけることができる人は全くめずらしい。ポケットの中のダイヤモンドを見なければならない。そうすると浜辺で手に入れた貝殻ではないと分かる。それはダイヤモンドで貝殻ではないと知りなさい。それがダイヤモンドであると知ったら考える必要は何もない。あなたはこの宇宙で最も裕福な人になる。

 

 

 ある男がロバの背中にレンガをつんで建築場へ運んでいた。インドでは特に村ではまだこのようにして物を運ぶものだ。彼は丸一日働いても25パイサ(3セント)稼ぐだけ。

 

 ある日、ダイヤモンド商人が通り掛かってレンガの運び屋にロバの首を指さして、いくらほしいかと尋ねた。この貧しい男は「1ドル」といった。その当時で1ドルは20ルピーで、新しいロバは5ルピーで買えたので彼はよい取引だと思った。

 

 しかし、ダイヤモンド商人はロバの首からぶらさがって輝いているものを取って、ロバを残して去っていった。貧しい男は彼は気狂いだと思って訊ねた。「旦那、ロバはどうするのかね」

 

「私は馬鹿ではない。私はダイヤモンド商人だ。私はロバにお金を払ったのではない、このダイヤモンドに払ったのだ。お前はそれを知らなかったが、お前は一生働かずに暮らしていけるだけのお金を持っていたのだ。3代の家族に渡ってさえ働く必要はなかった。しかし、私はお前の愚かさに対し5000ルピーあげよう」

 

 そして、彼は地方のディーラーにそれを10,000ドルで売った。ディーラーは、カルカッタでその10倍の価格で売り払い、それがガルフシークのもとに来ると、その又10倍のねだんで取引きされた。その内に貧しい男は増々貧しくなり、彼の愚かさを悔やむばかりであった。

 

 

 だから、ダイヤモンドがあなたの所にやって来たら数ケ所に持って行って、一番高い値段を選びなさい。あなたはダイヤモンド商人ではないので、ダイヤモンドのことは分からない。その為にこのダイヤモンドに感謝することはない。

 

 ダイヤモンド商人にそれを見せなさい。ここに持って来なさい。私が鑑定しよう。そして、私は何カラットか言って、誰も払うことができないまさにその値段を支払おう。

 

 だから、間違いを起こさないこと。光るものを見つけたらラクナウに持って来なさい。ここには、正直なダイヤモンド商人がいる。彼は正しい値段を支払う。

 

 確かな値段はお金や宝石やドルではなく、誰も支払うことができない平和で支払われる。あなたはそれを10倍以上の価格で売るかもしれないがこの平和は他のどこにも見つけることはできないだろう。

 

 このマインドの平和のためにあなたがたはここに居るのだ。

 

 

 

 

Q:時々静寂がひとりでに私の前に現われますがそれを保持しようとすると消えてしまいます。

 

 

 

 この静寂を恐れているのか、それともこの静寂に困らされているのかね?

 

 

 

 

Q:いいえ。

 

 

 

 それなら、なぜ平和の代わりに混乱を選ぶのか? あなたは平和を望むと言っているが、それならなぜあなたのマインドを騒がせる場所に束縛されるのを許すのかね。

 

 たとえば、ラクナウは夏はとても暑くて気温が48Cまで上がるときがある。ここに留まることが難しいのならどうして他の場所に行かないのかね?

 

 一晩の夜行列車に乗ればアルモラ、ムスリ、ナイニタールに行ける。次の朝には震え上がる。状況や環境をどのように利用するかはあなたしだいだ。あなたはここに留まるように束縛されていない。あなたにとって快適なところに行くことができる。

 

 これは天候に関してだがマインドに関しても同じことだ。もしマインドの平和を望むなら、なぜある事情に関わってマインドを騒がせるのかね? マインドを何か美しい思考に切り替えなさい。これをするのに何が問題なのか? 考えなければならないときはあなたを騒がせるものを考えるのではなく、マインドにとって何か良いことを考えなさい。

 

 たとえば「私はいつも問題を引起す肉体ではない、私は真我、私は魂、私自身が神だ」と。マインドを利用しなければならないときはこのようにして役立てなさい。「私が死ぬ前に平和であらねばならない。」と固い決心をしなさい。そうすると成功するだろう。

 

 

 

 

Q:すべてを手放そうとしたら、恐ろしくなりました。

     

 

 

 すべてを手放すのは難しい。その理由はすべての人が彼ら自身の選択によって事が起こるように望むからだ。しかし、世界中でこのダイヤモンドより価値のあるものが他にあるだろうか?  永遠に、決して去っていかないものがこの世の中にあるだろうか?  この肉体でさえ去って行く。だから手放しなさい。

 

 

  不安定で永遠でないものは手放しなさい。

   そうすると、たった一つだけ残るものがある。

   世界や神は消えてしまうが、これは消え去らない。

   いつもこれを思い出して、それから目を離さないことだ。

   それを手に入れようとする意図なしで、ただ存在するということだ。

   あなたがほしいと思うものはすべて「手放し」の範疇に入る。

   家、妻、肉体、両親、神、手放しなさい。

   何が残っているか?  何を手放すことができないのか?

  あなたであるもの。あなたである「それ」!

  あなたは決してやって来なかったのだから去ることはできない。

  やって来るものは行かねばならない。

  やって来なかった「それ」は何か見つけ出しなさい。

 

 

 妻や家族ではなくエゴを手放しなさい。エゴと恐れは母と息子だ。エゴは恐れの母で、恐れはエゴの息子だ。この家族は手放すべきだ。妻や子供ではなく、エゴ、マインド、人々、関係、この古い家族を手放しなさい。

 

 もし幸福でありたいのなら、絶対これらと離婚しなさい。しかし、あなたの家族にはサットサンガについて話し、健康な人生を生きることを教えなさい。

 

 

 

 

Q:子供の時から恐れが問題で、恐れはただの思考だとはっきり解っていてもそれは定期的に私を支配します。ある思考は他の思考よりも強いということがあり得るのですか?

     

 

 

 あなたは正しい!ある思考は他の思考より弱くて、ある思考は他の思考より強い。「私はこれが欲しい、あれが欲しい」は弱い思考だ。「私は何も欲しくない」が強い思考だ。

 

 このようにして、どれが強い思考か分析しなさい。ある人と一緒に居たいと考えるなら、その人は明日去って行くかもしれない。その結果、トラブルに巻き込まれる。このような弱い思考はトラブルになる。現実にはどんな交際もトラブルを生み出す。これは世間でみんなが経験していることだ。

 

 交際があるところには苦しみがある。全く一人で眠りの中にいるときは幸福だ。しかし次の朝、人々と一緒に居たいので再びトラブルだ。だから、強い意志と弱い意志の間でどちらかを選ばなければならない。

 

 

 

 

Q:私はすべての恐れをあなたの足元に差し出したい。

 

 

 

 夢の中であなたは夢のタイガーに直面する、そして夢の恐怖に襲われる。あなたが目覚めたときタイガーも恐怖も存在しない。

     

 すべての状況に直面することがあなたの恐れを取り除く、それが神への奉仕だ。あなたの前にやって来るものは何でも受けいれなさい。

 

 風が吹いて行くように生きなさい。これが神の意志だ。風のように執着なしに生きなさい。

 

 

 

 

 

次ページ(Part5-a)に続く 

 

 

 

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