「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
崎山綾子翻訳
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-b
(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)
☆Part1・ ☆Part2・☆Part3・☆Part5・☆Part6
第6章は全体が長大なので、小見出しごとに☆Part分割したファイルを更に、a,b,c...と細分割して掲載します。
前ページ(Part4-a)からの続き・・・・
真理に対する疑いと恐れを取り除く
Q:疑い、欲望、マインドと呼ばれるこの機械にうんざりしています。たぶん私は恩寵がやって来るのを待たねばならないのでしょう。私に何かすることができますか?
恩寵なしには何もうまくいかない。あなたには恩寵が必要だ。そして、あなたの人生に恩寵がないとどうして言えるのかね?
ラクナウにやって来たことをどう思うのかね。恩寵があなたをここに呼んだに違いない。
さもなければ、あなたの国にいる友達のようにここにやってこなかっただろう。恩寵がないと言うのはマインドだ。なぜならマインドは努力して初めて手にいれることができると信じたいからだ。
しかし、何千年も努力し続けて来て「今」真我の恩寵で努力から自由になる時がやって来たのだ。この恩寵があなたの活動を指導してどこに行くべきか、どこに居るべきか教えてくれるだろう。
もし、内なる指令によってあなたはここにいるのだという事実を受けいれるなら、これがこの恩寵に対する降伏だ。一度降伏したら、道は簡単だ。ただ何もしないこと、考えることさえしないこと。ただ恩寵が湧き上がるのを待ちなさい。
Q:私はあなたの恩寵にとても圧倒されています。私のハートはあなたの足元にひれ伏し、私のすべての恐れは消えてしまいました。感謝に値する言葉はありません。そして、私の最後の疑いをどのようにして完全に取り除くことができますか?
どんな疑いがまだ残っているのかね? あなたが私を愛しているならどんな疑いがまだ残っているのかね? 疑いは愚かな人を愛するとき起こって来る。その時、疑いと恐れがある。
私を愛しているなら、あなたは「それ」を信頼すべきだ。私があなたを愛していることを疑わないことだ。他の人を愛する場合は、あなたが愛しているその人は他の誰かを愛している。あなたはこれを世界で経験したに違いない。
ある話を思い出した。
ある男が宮殿の門前にあらわれて、宮廷に入ることを許された。この男は王に言った。
「私は、ヒマラヤからやって来たヨギです。私の苦行と信頼の結果、天人によって天国にだけ育つ聖なる果物を与えられました。
この果実を食べると若さを保つことができます。私は350歳です。ずっと以前にこれを食べてあなたにも分かるように私は25歳ぐらいにしか見えません。私にはもうこの果実を持っている必要がありません。
あなたは非常にりっぱな寛大な王だときいたので、あなたが民衆を長期間助けることができるように、あなたにこの果物をあげたい。」
さて、王はこの果物を受け取ったあと、彼の若いクィーンにこれを与えることに決めた。彼女がいつも25歳の若さを保っていられるなら、彼は彼女をもっと楽しんでいられると思ったからだ。
彼女はそれを受取った。彼女は年老いた王に満足していなかったので、馬屋で働いている若い愛人を持っていた。それで彼女は彼の若さをいつまでも楽しめるようにと、彼にその果物を与えた。
さて、この果物は宮廷の召し使いの手に落ちた。しかし、この青年はクィーンと一緒にいるのを見つけられるのを恐れている。たぶん見つかれば縛り首になるだろう。
その恐れからただの娼婦と関係を持ち始めていた。彼女となら疑いも恐れもないので、彼女がいつも若くいられるようにと彼女にその果物を与えた。
さて、この娼婦はもし彼女がいつまでも若くいると、いつまでも娼婦でトラブルに巻き込まれる、自然に年をとっていった方が彼女の人生はよくなるだろうと考えた。
それで彼女は若さを保つことによって多くの人が本当に利益を蒙る誰かにその果物をあげようと決心した。それは王だ!
王はそれがヨギが持って来たのと同じ果物だと知った。しかし、娼婦がこの果物を持っていたとは。王はこの果物をどのように利用したらよいものかと答えを見つけ出す為にヨギを呼んだ。
「これはあなたが私にくれた果物と同じものか?」と王は尋ねた。
「はい、確かに同じものです」とヨギは答えた。
「しかし、娼婦でさえこれを持っていた」
「いいえ、それは信じられません。それは、確かですか? 私があなた にあげた果物を食べましたか?」
「いや、私のクィーンに手渡した」
「クィーンをお呼びになり、果物を食べたかどうかお尋ねなさい」
とヨギは命令した。
王はクィーンにそれを食べたかどうか尋ねた。彼女は正直に答えて、王が彼女に若くいてほしいと望んだように彼女も又彼女の愛人、馬屋の青年に若くいてほしいと望んだ。彼女は年老いた王よりこの愛人をもっと楽しんだからだと。
この馬屋の青年は呼ばれて、クイーンの愛人であることを恐れて彼の愛する娼婦にその果物を手渡したことを認めた。娼婦は呼ばれて、彼女は彼女の話を告げた。
「この果物は何人もの人の手を渡って行ったことか。しかし、誰もそれを食べる功徳がなかった。あなたがた誰もそれを役立てなかったのだから私がそれを持って帰るとしましょう」
その果物はヨギと一緒に宮殿から去っていった。
さて、王はある事を教えられた。この世の中、誰も信頼することはできないと学んで、宝石、大臣、象、国家を二人のクイーンに分け与え平和を探す為に宮殿を去って森に入った。
この話は、世間によくある話だ。これは全宇宙の話だ。何人かはこれを早く理解するだろうし、何人かは後で理解するだろう。だから、あなたがしなければならないことは、今日やりなさい。
真我探求に伴って起こってくる「消えさること」への恐怖は、
「私は肉体」という古い感覚からやって来る。
これは、未知への恐れではなく過去を離れる時に起こる恐れだ。
恐れなしにあなたの存在に飛びこみなさい。
「あなた」が消えてなくなると、すべての恐れも又消えてなくなる。
静かにしていなさい。「ここ」にいなさい。
あなたのハートの中で存在としていなさい。
真我に出会うのを恐れないこと。
真我がいつもあなたであったものだ。
失うべきものは何もない。恐れないことだ。
「それをなくすこと」への恐れも存在する。
何かを所有すると、失くすことへの恐れが起こって来る。
真我は所有されえないので、失くすこともない。
恐れをさける唯一の方法は内なる美に戻っていくことだ。
マインドなしでは気が狂うという恐れを持つかもしれない。
しかし、マインドがあるところに二元性がある。
二元性があるところには、欲望、怒り、憎しみ、恐れ、つまり狂気が ある。
だから、マインドを失うのを恐れることはない。
ノーマインドが正常なのだから。
ノーマインドにはやり手はいない、批判もせず、怒りもない、
これが至高の知恵と平和だ。
すべての恐れは、「存・在・し・な・い『他人』」に基づいているので、
すべての恐れは、基盤なしだ。
目覚めと夢の二元性の中に恐れは住んでいる。
恐れがある所には偽りがある。
それを克服するには毎日瞑想することだ。
真我探求の過程で起こって来る恐れは、「これやあれ」が欲しいという眠っている欲望が現れる為だ。
それは抑圧されて、平穏になる。潜在意識の中で抑圧されてもそれは再び湧き上がって来るだろう。それらを抑圧しないこと。ただそれらは存在しないと理解しなさい。
あなたはまだ「これ」も「あれ」も手にいれることができるが、それらは存在しないということをただ知っていなさい。
浜辺での子供と砂の城のようなものだ。子供は一日中遊んで、終わりに砂をポケットに入れて持ち帰ろうとはしない。彼らは海にそれを蹴り返すのを楽しむか、潮が満ちてそれを崩し去るのをただ見ているだけだ。
何もあなたに属さない!それはすべてそよ風のようだ。
何にも執着しないでマインドをそよ風のように自由にさせなさい。
これが幸福への秘密だ。庭を楽しみなさい。
しかし、何にも執着しないこと。
真理を知るには恐れのない清純な知性が必要だ。
ヴァーサナや混乱や恐れを背負っていては真我探求はできない。
マインドは習癖と恐れから自由であらねばならない。
これはあなたがどの程度、真理を熱望しているかにかかっている。
利己的な「私」を無視しなさい。