「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
~SRI H.W.L.POONJA
崎山綾子翻訳
第9章 世界は幻想 ☆Part2-c
(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)
第9章は全体が長大なので、小見出しごとに☆Part分割したファイルを更に、a,b,c...と細分割して掲載します。
前ページ(Part2-b)からの続き・・・・
マーヤー:幻想の力
Q:どのようにして、「私は肉体ではない」と確信することができますか?
あなたは単に肉体ではないのだ。確信するべきものは何もない。静かにして、この肉体をいつ手にしたのか考えて見なさい。そうするとカレンダーを見て1960年、1970年だったと言う。
これらの誕生と死はカレンダーの上のことでカレンダーがないとしたら、いつあなたは生まれたのかね? いつ生まれたか知るためにはキリストの誕生日を見るに違いない。
彼の誕生日からあなたの誕生日を数え出すのだ。他の誰かと取引して計算が始まるのだ。これらの計算はマインドの習癖だ。誰かの誕生や死を見ないとき、あなたは誰か分かるだろう。
Q:目覚めの状態であろうが、夢の状態であろうが、眠りの状態であろうが、私には平和がありません。私はどこにも行くことができません。どうか助けて下さい。
これは非常によい経験だ。これらの三つの状態に平和を見つけることができないなら、これらの三つの状態をこえた第四の状態に行かねばならない。
これがあなたのハートだ。「ここ」にいなさい。どの三つの状態にいようとも「ここ:ハート」にいることができる。肉体の活動はハートの妨げにはならない。ここにいる何人かの人は第四の状態を楽しんでいる。
Q:私はこのハートであると知っているのにどうして水が喉を渇かしているのですか。どうして自由でありたいと望むのですか?
このような経験をするあなたは、功徳に恵まれた人に違いない。これについて面白いジョークを行ったカビールのことを思い出した。
「水の中に住んでいる魚がどうして『私は喉が渇いている』と叫ぶことができるのか? これを言うために口を開いたときには、水は口の中にあるのに。」
私達のすべては真我の恩寵の中で生きている。
しかし、「私達は苦しんでいる」とみんな叫んでいる。
すべての人が神の恩寵の中にいる。
恩寵はすべての人を取り囲んでいる。
内側、外側、いたるところ。
しかし、私達は満足することを知らない。
だから、カビールは笑っているだけだ。彼は魚を見て笑っている。あなたはその叫んでいる魚ではない。あなたは叫び終えて水の中にいる。他には何も必要ないのだ。
Q:どうして肉体が思考でありえるのですか。そして、それは誰の思考ですか?
あなたが考えるとき、肉体がある。吐く息の前、吸う息の前には思考がない。この「私」という思考はそこから起こって来る。人や対象に対する欲望のため、呼気と吸気の間から思考が起こって来る。
眠っているときは無思考で肉体を見ることはない。眠りの状態ではマーヤーのエネルギーが落ちるからだ。しかしまだベールで覆うエネルギーが残っているので、あなたは誰か悟ることはない。
肉体は単なる夢の物体、思考にすぎない。探求してこれは誰の思考か見つけることだ。
思考を作用することなしに夢の肉体で夢の中にいることができる。しかも人生が要求するすべてのことをなし遂げていける。私はいつも「ここ」にいるという思考を内側に保っていると、肉体は単にその反応に応じて行動して行くだろう。
そのとき、責任や義務という観念はそこに入り込むことができないので、あなたの行動に対して責任はない。他人との関係性の中にいるとき、肉体やエゴと同一化するとき、あなたには責任がある。
だから、目を覚ましなさい!! 解放された後に「何も存在しない」ということが、また「何も存在しない」ということも存在しない、と分かる時点が来る。
肉体は一時的な思考だと知りなさい。このポイントをただ意識しているだけでよい。これが完全な解放と言われている。
Q:私は完全に眠っていないということを知っていますが、かといって完全に目覚めているわけでもありません。
眠らない方がよい。4つのカテゴリーの人が眠らない。一つは愛人、最愛の人と一緒にいられない人だ。二つ目は盗人、家を漁るのに忙しい。三つ目は病人、病気と苦痛のために眠れない。これらの三つはその欲望のために目覚めている。性欲、貪欲、苦痛。
しかしまた、ヨーギは眠らない。彼はこの幻想から自由になろうと瞑想しているからだ。残りのすべての人は目覚めの状況でも眠っている。
あなたが砂漠に行って美しい川を見る。これが蜃気楼と呼ばれる。喉が渇いていて、川で泳ぎたい、川から水を飲みたいという欲望のために、それを追い求めて行く。それに向かって行く度に、それは遠くに離れて行く。
今ともかくそれは幻想にすぎないと、マインドの創造物だと知った。世界中がその欲望を満たすためにこの川に向かって走っている。彼らは過去二兆年間もそこで泳ごうと急いで走り続けて来た。
少数の人々が川には行きつくことができない、欲望は満たすことができない、喉の渇きを癒やすことはできないと決断した。だから、どこにいようとも「ここ」にいるのがよい。これを決断すると空から雨が降って来る。これが恩寵の雨だ。
「ここ」ですべては満たされるのだからどこにも走る必要はない。「そこ」に行くなら熱によって倒れて誰も助けてはくれない。しかし「ここ」にいるなら、雲でさえあなたをかばってくれる。だから「ここ」にいなさい。マインドに何の欲望もなく、それを誰かに話そうという欲望さえ持たず、「ここ」にいなさい。そうするとすべてが供給されるだろう。
実在するものは何もない。あなたが見るものはすべて実在しない。対象であったものが対象でなくなるときが、主体と対象、両方とも幻想だと知るときがやって来る。
これが特別な知識だ。すべてが幻想だと知ること以外の知識はありえない。西洋に帰ったら子供達や友人にサットサンガで学んだことを教えなさい。
Q:なぜ蜃気楼が起こり続けるのでしょうか?
どこから起こって来るのかね?
Q:どこからともなく。
何もないところから何が起こって来るのかね? 何もないところから起こって来るとしたらそれは一体何かね? 起こって来るものは何かから起こって来るに違いない。さもないと起こらなかったはずだ。
この「私」、この幻想の母親は何かね? エゴが母親で、欲望が父親だ。これらの両親は必要ない、それから逃げ出しなさい。愛が最良の母親で、無が最良の父親だ。
Q:真我を実現するためには、マインドは落とさなければならないとあなたは言いますが、どうしてマインドが真我から離れてありえるでしょうか? マインドは人生体験を豊かに創造的にしてくれるのではないのですか?
何かを落とすためにはそれを確認しければならない。海で泳ぐ前に、あなたの首飾りをはずして財布の中に落とすように。存在しないものをどうして落とすことができるのかね? それはあなたの概念だ。マインドは存在しないのだから落とす必要はない。それをあらしめなさい、役に立つに違いない。
Q:真我を実現する為の唯一の手段だから、人間の姿は貴重なのですか?
形は全く存在しない。人間や動物や鳥で満ちた宇宙があるというのは概念だ。この概念で35億年もかかって人間になる。しかし、ほとんどの人間は人間でない。彼らはゴリラのように二足で歩いている尻尾のない動物にすぎない。
人間として生まれて来るのが大切なのは、疑いを持つことができ、私は誰かと質問することが出来るためだ。豚やロバはこれを質問することができなくて屠殺場に連れて行かれるだけだ。
生まれた人はすべて屠殺者に、死神(Yama)に直面しなければならない。人々が死神とは何か悟るまで死神から離れることはできない。だから、「私は誰か」と探求する機会をえるために人間として生まれてきたのだ。
これは非常にめずらしいことだ。6兆億の人類の中で、60人が彼らは本当に誰か知っているにすぎない。ここサットサンガでは多くの国々から人々がやって来るが、ここにやってきた人はなぜ少数なのか? 自分が本当に誰か知っている人はその国の1%にも満たない。
悟った人の例を挙げるなら2600年前に仏陀になったゴータマまで戻らなければならない。しかし、このラクナウサットサンガは悟りを簡単にした。ヒマラヤで瞑想する必要はないし、マントラを唱える必要もないし、巡礼に行く必要もない。慈善を施す必要もない。
あなたの人生の時間から一秒必要なだけだ。私はその一秒間であなたが自由になるのを保障する。この一秒間にやりなさい、なぜ延期するのか?
大昔は王でさえ王国を去って苦行に出かけたものだ。苦行中、ある*1マニカが美しい女性の姿をとって彼らの前に現れる。そして苦行は終わりになる。しかし、ここサットサンガでは多くのマニカがここにいて、彼女達も又自由になっている。
マニカと恋をするのは何の問題もない。悟りはあなたと真我との関係で、マニカとの肉体的な関係ではないからだ。もしマニカがやって来るなら彼女と一緒に暮らしなさい。しかし、誰もあなたのハートに触れることはできない。
用語解説
*1マニカ 感覚的魅力の具現者。