「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

 

~SRI H.W.L.POONJA

崎山綾子翻訳

 

 

 

第9章 世界は幻想 ☆Part2-b

 

(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)

☆Part1☆Part3☆Part4☆Part5

 

 

第9章は全体が長大なので、小見出しごとに☆Part分割したファイルを更に、a,b,c...と細分割して掲載します。

[a][c]

 

 

前ページ(Part2-a)からの続き・・・・

 

マーヤー:幻想の力

 

 

Q:サットサンガが始まる前にあなたはいつも「どうか生きとし生けるものに愛と平和を」と言っていますが…


 

 「どうか生きとし生けるものに愛と平和を」というのは印度古来の聖典、ヴェーダに書かれた宣言文だ。朝起きたときにこれを祈るように提案している。「世界に平和を、天国に平和を、地獄に平和を、存在のすべてに幸福と平和を」。25000年前に書かれたヴェーダからこれを引き出した。

 これを言っても平和にはならないが、毎日私達はこれを祈っているのだ。25000年前でさえ平和はなかった。平和と世界は一緒に座ったことがない。世界があるところには混乱がある。

 しかし、私達は人々が傷つけられるのを望まないので、人々の幸福を祈るのだ。毎朝私達は出会ってすべての人の平和を祈るのだが、平和がもたらされたためしがない。人々は一億年前と同じように混乱したままだ。平和を見つけたためしがない。

 すべての人が混乱している。どのようにマインドが走り回っているか見てごらん。マインドは静かにしていることはできない。私達はここで、マインドに無関心でいるように助言して一緒に探索しているのだ。猿のように走り回るのがマインドの習性だ。

 それを捕まえることはできないが、この猿がどこからやって来るのかは見つけだすことができる。これは非常に貴重な方法でうまくいっている。何人かがすでにこれをやり遂げて経験した。思考を追いかけて何億年もの間、幾世に転生して、あなたは今ここにいる。二度とこの悪循環に戻らないために何ができるか理解するようになるだろう。

 ここでは宗教によって提案されている方法は使わない。ただ単にどこから思考がやって来るのか見つけだすだけだ。これが最大の問題だ。思考が起こって来るのを見ただけで「それ」を実現して、「それ」と合流してしまうのだ。

 私は「それ」を無とは呼ばない。しかし「それ」を実現したときは、河が海に流れ込むようにあなたは「それ」に流れ込んで行くのだ。これがすべての終わりだ。そして、これは一瞬に終えることができる。

 そうすると、2兆年前、宇宙が始まったのは「この」瞬間にだということが分かる。「これ」が2兆年間が滞まったこの瞬間で、未来が滞まるその瞬間なのだ。それは同じ瞬間だ。そしてこの瞬間にはかって何も存在しなかった。

 探求しないとそれは続いて行く。その一瞬を止めると、何も存在していなかったということが分かる。私達の多くがこれを実践して存在するものは何もないと見つけだした。夫がいて三人の子供がいたと夢を見る。しかし、目覚めると彼らは消えていなくなるようなものだ。

 

  過去の夢を憶えていることがサンサーラだ。


 

 昔、優秀な弟子が賢明なグルに質問した。

 

 「マスター、あなたはすべてが幻想だといいますが、私にはすべてが実在して堅固に見えます。どうしてあなたが幻想でありえるのですか?どうして私が幻想でありえるのですか? 世界は全く幻想なのですか? マスター、どうか助けて下さい。私は混乱しています。」

 マスターは静かに聞いていてそれから「森に散歩に行こう」と言った。しばらく散歩した後でマスターは言った。「大変暑くなってきた、川に行って水を汲んできなさい。私はこの日陰で休んでいよう。」

 

 弟子が川に行って水を容器で汲もうとしたとき、川の向こう側にいる美しい女性を見た。その場で彼女に恋をして彼女に結婚を申し込んだ。

 「ここでは、これは習慣ではありません。結婚は両親によって決められます。」と彼女は言った。「しかし私もあなたに恋をしました。どうか父に話して下さい。私と一緒に来て下さい。父は村の所有者で、私達は広い土地と多くの牛と馬を持っています。あなたが父と話している間私はドアーの後ろに隠れて、父が何と言うか聞いています。」

 そうして二人は村に行った。彼女は指さして言った。「あそこに座って水タバコを吸っているのが私の父です。行って父と話して下さい。」
 彼は彼女の父に話しかけた。「一時間前、私は川であなたの娘さんに会い恋に落ちてしまいました。彼女と結婚したいのですが。」

 父親は尋ねた。「お前は一体誰なのか?」

 「私は近くの村に住むブラーミンです。」と彼は答えた。

 「どんな教育を受けたのかね?」

 「私は哲学、ヴェーダ、ウパニシャド、シャーストラを学びました。私は解剖学、地理学、海洋学、世界の8つの科学を知っています。」

 父親は言った。「大変結構だ、若くて婿としての資格がある。娘をお前に手渡すのを躊躇しないが一つだけ条件がある。娘は私の唯一の子供で、非常に執着している。娘と結婚したいのなら、ここで私と一緒に生活しなければならない。娘をお前の村へ連れて行くことはできない。」

 「分かりました。」と青年は言った。

 「近隣、親戚に知らせなければならないので、一ヶ月後に結婚式を挙げること。」と父親は言った。


 一ヶ月後彼らは結婚して、3年後に子供が生まれた。5年後に両親は婿にすべてを与えると遺言を書き残して、その二年後に両親は亡くなった。10年間にもう一人子供が生まれた。

 

 18年後、大洪水がやってきた。川は水嵩を増し続けている。農園のすべては破壊されて彼らは丘に避難したが、ここもゆっくりと水かさが増して行った。牛達は流されてすべてが破壊された。

 遂に水は彼の肩まで昇ってきて、子供の一人を肩に乗せ他の子供と妻を両手に掴んでいた。しかし流れは強く、彼の息子が押し流された。その息子に手をさしのべている間に妻が押し流され、妻を捕まえようとしたら他の息子が押し流された。

 

 そうして、すべてが失われ川の水が退いて行った。彼は川の渕に座って子供や妻を思って泣いていた。遂に川の水は元のレベルまで戻って行った。


 

 彼は肩に誰かの手が置かれたのを感じた。それは彼のマスターで「一体何を考えているのかね? 容器は水の中で、なぜ水を汲まないのかね。一分で済むところすでに五分も掛かっている。」

 彼はマスターの顔を見て驚いて、「ご、ご、五分? 五分と言ったのですか? 私の妻や子供達はどうなったのですか?」

 

 マスターが返答した。「これがお前の質問に対する答だ。」このすべてが幻想だ。たった今ここに来て女性と恋に落ちた。しかしその女性は今どこにいるのかね? あなたは私のために水を汲みに来ただけだ。

 

 これらすべてのことはマインドからやって来た。それらは決して存在しなかった。妻はいないし、子供達はいないし、結婚式は行われなかったし、村もない。

 マインドが一瞬の内に創造したのだ。その一瞬に二十年間が過ぎて、その同じ一瞬に容器が川の中に沈んでいた。


 これがどのように事が起こるかということだ。だから賢明でありなさい。

 


 

Q:仏陀が言ったように「形は空で、空は形だ」ですか?


 

 これが私が言っていることだ。空と形の間には何の違いもない。形が存在するなら、形を見るためには空が存在するに違いない。形が見えるところには空間があるに違いない。

 これらの形は空より生じ、空の中に存在する。だから、形があるためには、同時に形のないものがあるに違いない。サンサーラ、山、人、動物、鳥、これらの形を見るときは無形性が同時に存在する。

 さもないと見ることはできない。形を見るためには空の中にいなければならない。さて、形または無形とは何か?

 

 

Q:同じです。


 

 どのようにあなたがこれを理解することができるのか私には分からない。なぜなら理解するにはマインドが必要だ。だから、この理解はそれ自体でやって来るに違いない。それがやって来るなら幸運だ。やって来ないなら、あなたは不運と言うしかない。

 夢の中で蛇を見たり、夢の中で虎が襲いかかって来るという想像をどのようにして取り除くことができるか? 夢の中であなたは走り出して木に登る。しかし、虎も木に登ろうとしてあなたは逃げ場を失う。遂に虎はあなたを掴まえて引っぱり降す。

 この時点であなたは眼を覚ます。目を覚ましたら、どこに虎がいるのか? どこにあなたがいるのか? 虎も恐怖もなくてあなたのあるがままで目が覚める。

 このように、あなたには何の変わりもない。あなたには何も起こらなかった。サンサーラは全く存在しなかった。サンサーラは全く存在しなかった。これが究極の教えだ。

 

 

Q:無は形よりすぐれていると、ここにいる何人かの人々は思っています。彼らは微妙に惑わされているように思えます。無への切望が形を拒絶してしまったようです。


 

 有形、無形、そこには何の違いもない。仏陀が言うようにサンサーラと*1ニルヴァーナは同じだ。

 形を拒否したら、どこにこの形が行くのか。あなたはどうするのか、何かを拒否するためには何か他のものを受け入れているに違いない。受け入れることと拒否すること両方を拒否しなければならない。

 この両方の思考を拒絶しなさい。受け入れるのでも拒否するのでもない。このレベルで、あなたは誰か。
  


 

Q:私はいない。
  

 

 何かを受け入れるということは、その為に何かを拒否するということだ。何かを拒否することは、その代わりに何かを受け入れているに違いない。両方とも反対を持っている。

 だから、拒否も受け入れもしないことだ。すべてをあらしめなさい。あなたはそれらと何の関係もない。もし何かを拒否したら、その拒否がどこかに残るに違いない。

 そしていつもこの拒否を背負い続けて、「私はそれを、その人を拒否した」と思い悩み続けるだろう。これは「受け入れる」よりもっと顕著に現れる。

 

 

 

 

 

次ページ(Part2-c)に続く

 

 

 

 

 

用語解説 

 

*1ニルヴァーナ 消滅、絶滅、仏教用語、全ての欲望が消滅した悟りの状態。 

 

 

 

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