「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

 

~SRI H.W.L.POONJA

崎山綾子翻訳

 

 

 

第9章 世界は幻想 ☆Part5-a

 

(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)

☆Part1☆Part2☆Part3☆Part4

 

 

第9章は全体が長大なので、小見出しごとに☆Part分割したファイルを更に、a,b,c...と細分割して掲載します。

[b]

 

 

前ページ(Part4)からの続き・・・・

 

 

カルマ:幻想の筋書

 

 

 

 

   「行為者は彼の行為の報いを受けねばならない」
   

   これがカルマだ、因果応報。
   やり手がいなければ、カルマもない。これが自由だ。

   記憶がこのカルマの貯蔵庫だ。
   心に残された痕跡の一つ一つが来生を産みだす。
   何億という思考は一つの「私」と等しい。

   あなたが意識だと知らないと、
   生まれ変わりは、カルマによって支配され、
   あなたは再びやって来る。
   「意識」以外のものは想像で、この「意識」には始まりも終わりもない。
   
   生まれ変わりはマインドの中にあるだけだ。
   どうして、決して生まれたことのない「それ」が再び生まれることができるのか。

 

 

 

Q:絶対なるものと運命との関係は何ですか?
  

 

 

 絶対なるものは運命と何の関係もない。運命とはカルマの反応で、絶対なるものによって決められたものではない。あなたが行為するすべては、明日に向けての因果を創り出す。そして、明日が運命と呼ばれるのだ。


 今日の行為が明日の運命だ。


 今日、働いて$100得たとする、それをポケットにいれて眠る。次の日、昨日からの$100をポケットに見つける。この$100が昨日の行為の運命と呼ばれる。

 このようにすべてがカルマで、前世でおかした行為の結果をあなた自身のポケットの中に入れて、今生に生まれかわって来るのだ。誰もそれを変えることはできない。
  


 

 

Q:積極的に決定する事は幻想にすぎないのですか? 運命によってすべてがコントロールされているのですか?
  

 

 インドの賢人や聖人は、すべてが既に運命づけられていると言っている。事実は何も自分で決定することはできない。ラマナ・マハルシも又これを信じている。かつてある教授がこの同じ質問をラマナにしたとき、彼が運命論について質問することでさえ運命づけられていたと答えた。
  


 

 

Q:そうするとすべてが運命づけられているのですか?
  

 

 そうだ。太陽は昇り太陽は沈む。みかんの木にはみかんが、りんごの木にはりんごがなるように存在のすべては運命づけられたまさにその夢の通りに動いている。それを変えることはできない。すべてが予定されている。

 そこには何の疑いもない。蟻でさえ予定されたステップなしに歩くことは出来ない。この秘密はあなたが「光明」を得たとき明らかになるだろう。

 しかし、あなたのやり方でことが起こるように強制すると、あなたは苦しむことになる。物事はそれらが起こるように起こるのだ。ことはある決められた方法で起こるべきだと想像しないことだ。

 すべての人が自分の意志でやり遂げたいと苦労しているが、神に降伏したなら心配する原因は何もない。母なるものの意志に頼りなさい。彼女が行くところにあなたは行く。彼女があなたに乳房を与えるとき、ミルクを飲みなさい。

 このように行為する代わりに、ほとんどの人は状況に巻き込まれて道に迷っている。
  


 

Q:グルの恩寵によって、運命が変えられると言うのは本当ですか?
  

 グルの恩寵はすべてを可能にする。運命を変えることもできる。この恩寵も又、予定されている。
  


 

Q:自由は*1プララブダカルマのせいで起こるのですか?
  

 

 そうではない。自由はあなたのカルマと何の関係もない。カルマが起こるのはあなたが真理に眠っていて他の対象に欲望を持つときだ。解放されるときは、今世のカルマもない。今世のカルマは真理に眠っている人達のもので、目覚めた人々のものではない。

 夢を見ると多くのことがあなたの前にやって来るが、眠るとこれらのすべては消えてしまう。眠りの中では人や対象物や欲望がない。すべての欲望は、夢を見ているときか、目覚めているときにやって来る。

 だから、目覚めと夢見の間には何の違いもない。眠りの中では、何も存在しないが、至福・愛・美のみ存在する。この愛をどこから手に入れたのか? 欲望のないところからだ。

 欲望がないとあなたは幸福になる。どんな欲望も持たない方法を学んで、目覚め・夢・眠りすべての状態の中で幸福でいなさい。他の人達が欲望に目覚めているとき、欲望に眠ることによって欲望なしでいる。彼らが真理に眠っているとき、あなたは真理に目覚めているのだ。

 人々の目覚めの状態は無知の眠りの状態だ。なぜなら彼らは、自分は誰か知らないために幸福ではないからだ。だから「私は誰か」と探求しなさい。そうすると欲望はすべて消えてなくなるだろう。

 この探求をいつもしていなさい。座っていても、立っていても、歩いていても。これらの欲望が一体どこからやって来るのか、その源泉をたずねなさい。これは、欲望に対して眠るのと何の違いもない。

 

 

 

Q:起こることはすべて運命づけられているとしたら、このことに対する反応は自由意志ですか?それとも運命づけられたものですか?


  

 

 顔を叩かれたときのあなたの反応は何かね?
  

 

   ことはただ起こるのだ。
   運命又は自由意志という問題はそこにはない。
   物事は単に起こるのだ。そして、あなたはこれらの物事の一つにすぎない。
   すべては夢だが、唯一あなたが目覚めたとき、すべてが夢だとわかるのだ。


 

 形のすべて、二元性のすべては偽りだ。これをどのようにして理解するのか? この夢から目を覚ますことだ。そうすると自由意志と運命について理解できるだろう。自由意志を使える人はほんの少数だ。

 サットサンガですべてが幻想だと知るようになる。そうするとあなたは観照者で、夢と苦しみを越えている。すべてが幻想だと知る為の、第三の目が開く。

 それを開くことができる完璧な人がその目を開けるのだ。二つの目は形と真理でないものに導く。無形性を見るには第三の目が開かねばならない。


 

  しばらく静かに座っていなさい。
  そうすると真理とは何か分かるだろう。
  マインドの中で混乱しているものを見なさい。
  この概念がどこからやって来るのか見つけなさい。
  「それ」のポイントを見つめなさい。
  そうすると、信じられない何かと、
  欲望のすべてを満たしてくれる何かと出会うだろう。

 

 

 

Q:それでは、その瞬間に正しいか悪いかを選ぶ選択の自由でさえ運命づけられているのですか?
  

 

 

 あなたは「自由」そのものだから、選択の自由はない。あなたはいつも「自由」だから、自由か自由でないかの選択はない。


 

   選択は幻想だ。
   「自由」のみ存在するのだから。
   選ぶ「人」と選ばれるべき「もの」はすべて概念だ。

   存在のすべてのハートの内に存在する「それ」が
   まだ受胎されていない、生まれて来ない存在の内にさえ存在する
   「それ」がカルマのすべてを指揮している。
   唯一あなたの思考が宇宙を創造したと理解しなさい。
   すべての存在はマインドの中の概念だ。
   かつて何もなされたことはないし、これからも何もすることはない。

   あなたは誰の概念か見つけなさい

 

 山に登って休息している夢を見る。しかし目を覚ますと、山もないし山を登ったこともないし休息もない。しかし、あなたはこの活動を演じた。それはすべて夢であった。このように、あなたの責任や義務や活動はすべて夢で幻想に過ぎない。

 夢の砂漠の中での蜃気楼のようなものだ。想像上の潜水夫が想像の中に潜って行くと想像しているようなものだ。蜃気楼を追いかけるのをやめて、目を覚ましなさい。あなたを蜃気楼へと駆りたてる渇きさえも蜃気楼だ。想像だ。


 

   目を覚まして、平和は内にあると知りなさい。
   そうするとあなたの幻想は消えてなくなるだろう。

 

 

 

用語解説 

 

*1プララブダカルマ 過去世で果たされなかった行為の結果のうち,今世で果たされるように定められた宿命


 

次ページ(Part5-b)に続く

 

 

 

 

 

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