・・・「聴く」ことによる「ラマナ・マハルシの臨在」サイト
「喋る道具?」マハナンディ・尚志かく語りき!(笑)
皆様へ・・・
下記動画群は、コロナ・パンデミックが世界中を席巻していた時期に収録されました。
従って動画中の説明でも、アシュラムの状況も当時の状況を如実に反映した「語り」となっていますが、23年現在にありましては殆ど「コロナ以前」の状態に復旧しています!!
トーク特2・A
上記動画中で言及している「参考ファイル群」
「現地発行日本語ニューズレター」→ 「ラマナ・ぺリヤ・プラーナム」→
「滞在日記より〜婆さん達との天地雲泥の差」→ 「熱く語る・第9回」→
最初期のラマナアシュラムの様子(「マザーシュライン」しかない!)
トーク特2・B
上記動画中で言及している「参考ファイル群」
「ラマナ・ミーティング」→
サイト管理人(運営主幹)の自宅仏間(瞑想ルーム)
JR東日本高崎線鴻巣駅・歩20分、東隣の北本駅からコミュニティバス(毎時2本運行・200円)に乗り10分強のバス停から歩5分、駐車スペース2台分あり。
以前「ラマナがやって来て、この部屋に端座されている・・・」という夢を見たことがあります(笑)。→
「クリシュナムリティ 人と教え」→
トーク特2・C
上記動画中で言及している「参考ファイル群」
「ラマナ・ジャンティ2021 オンライン連合イベント?」→
日本ラマナ協会発行ニューズレター(03年11月発行号)より
トーク特2・D
上記動画中で言及している「参考ファイル群」
「日本にも来て頂きたい!」→ 「青の洞門」→
小説「恩讐の彼方に」→
トーク特2・E
上記動画中で言及している「参考ファイル群」
明恵上人像と自筆と伝わる「あるべきようは」板書
「君自身がその『御山』である!」→
この山を持ち帰ってみよ!!
(ギリプラダクシナの途上、「バガヴァン橋」から見たアルナーチャラ)
トーク特2・F
ラマナアシュラムのサマディホール
(日本にもこのようなホールを作ろうではないか!!・・・そしてこのようなホールでぼんやりしながら死ねたら最上である)
(実際にここにたどり着いた後、ほっとした表情を浮かべて「そのまま逝去してしまった」巡礼者もいる・・・とのこと)
「オンライン・ラマナ・サットサンガ」紹介・ご案内ページ→
直近の開催日程&アクセスのご案内→
編集雑記
1・「対縁談の集積」ページが出来上がった段階で、「Sri Ramana Arunachala Satsanga Japan」としてのサイトトップページを制作する予定・・また「ラマナ・マハルシの臨在」サイトも将来的には個人の管理するホームページから、「Sri Ramana Arunachala Satsanga Japan」が管理する共同運用サイトにしていきたい・・と考えています。
2・ある方から「鈴木さんが国内のあちこちを旅しているのは、『本拠地に相応しい場所』を探していらっしゃる・・・からではありませんか?」と聞かれたことがあります・・・まあ「当たらずといえども遠からず」という感じかもしれません(笑)。
3・日本にも先駆け的な施設がありますが、個人所有物件ということもあってどうしても「使用制限」少々タイトなのが難点です。↓
「東京・高田馬場 RAMANA ARUL」」→
4・現状あくまで「冗談」ですが、何と言うか「至福のお神楽」とでもいうべき「身体技法」?をメインとする「踊る宗教?」みたいなグループ活動も夢見ています(笑)。↓
「大日本お気楽脳天気教?」→
5・明恵上人は「釈迦への憧れ」が昂じるあまり、生涯に二度本気で「インドへの渡航」を計画(詳細な「旅程計画」が残っています)しましたが、結局いずれも断念せざるを得ませんでした。「春日権現」が顕現され止められた・・というエピソードが有名ですが、アジア史を当てはめてみますと当時のインドでは「ムスリムに席巻されて仏教は壊滅状態」だっただけに、「春日権現」の御神意は順当だったのでしょう。
現在コロナでなかなかインドへ行けなくて残念なのですが、明恵上人のお気持ちが少しは分かるような気がします。明恵上人が晩年住まわれた「栂尾山高山寺」は京都・高雄地域にあり、観光シーズンでもかなり静かで落ち着ける山寺です(このお寺に「アルナーチャラの石とガンジス川の水」を献呈したことがあります、「怪しまれるかな?」と危惧しましたが気持ちよく受け取って頂きました・・笑)。↓
栂野山高山寺→
6例によって?人生終焉のその時に脳内に流れる「ニルヴァーナの風景」をイメージさせる音楽・・・・となると、こんな感じなのだろうか?
ブルックナー交響曲第9番第3楽章 1:03:01〜ラストの浄福感に満ちた静寂なる消え入り方は絶品!!である・・朝比奈隆指揮・大フィルの演奏(これが生涯最後のブルックナー演奏となった・・3か月後に逝去・享年93歳)。