「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
崎山綾子翻訳
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part5-b
(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)
☆Part1・ ☆Part2・☆Part3・☆Part4・☆Part6
第6章は全体が長大なので、小見出しごとに☆Part分割したファイルを更に、a,b,c...と細分割して掲載します。
前ページ(Part5-a)からの続き・・・・
神の対象化の中止
Q:私は神に近づきたい。
あなたは、女性徒が教科書に書かれた神について話すように話している。神を興味深い対象に祭り上げている。神を対象化することはできない。神は主体そのものだ。
「私は存在だ」というのは「私は神だ」という意味だ。これを知ったなら、あなたの自己証明は失われる。これをサンスクリットで“Aham Brahmasmi”と言う。
「私は、神=Brahman=Atman=私自身」という意味だ。あなたが神に近づきたいのなら、分裂を生みだす神の対象化を止めることだ。「私は神だ」と言える位の強さを持ちなさい。
Q:それでは神は、この幻想を「見ている人」ですか?
再びあなたは「見る人」と「見られるもの」との間に関係を創り出した。
Q:真我とエゴ、現実と幻想の間には大きな違いがあるように思いますが。
「これが現実であれが幻想だ」というのはマインドの創造だ。「これがエゴ、それは真我」はマインドが創り出したものだ。
Q: 何も存在しないということを経験しましたが、突然私自身が大きなブラックホールの中に居るのを見つけました。
この経験をどうしたのかね? どれ位その経験が続いたのか? さて、この経験が再び起こったら、前の経験と比較して、又それを失ってしまうだろう。この経験をしたなら、なぜそれを分析しようとするのかね。理解しようとするためにマインドが戻って来て、それをなくしてしまうのだ。
Q:それを保とうと試みました。
どのようにして無を保つことができるのかね? 決して存在しないものをどうして保つことができるのかね? どこかで何かが間違っている。分かるかね?
マインドとこの経験は一緒に存在できない。どちらか一つの友情関係を絶たねばならない。神かマインドか、あなたが望む方を取りなさい。これをサットサンに座る前に決めるべきだ。
「何もかって存在したものはない」これが唯一の体験だということを見なければならない。40年前あなたはここに居なかったし、今から50年後にもここに居ないだろう。以前と以後にあるものが「今」も真理であるに違いない。
次回は注意深くしていなさい。マインドによって押し流されないように。「私は幻想」と「私はAtman」、それらはマインドの中でどんな違いもあるべきでない。なぜ理解したいのかね? 何もないのならどのようにして理解するのかね? あなたが理解することができる何があるのかね? とにかくあなたは宿題をしている。私はとても嬉しい。
Q:どうか私に神を信じさせて下さい。神を理解できません。私は何かに信仰を持ちたいのです。
神は人によって理解されることはない。誰が神を理解するのかね? 神を理解できると誰が言ったのかね? あなたは誰かでさえ理解していないのに。神が誰か放っておきなさい。最初にあなた自身を理解しなさい。
何も信仰しないことだ、すでにあるものを信頼すべきだ。信仰は宗教の創設者によって創りだされた言葉だ。もし信仰を持ったなら、天国に行き、持たないなら地獄に行く。この信仰は正しいものではない。
私はあなたは誰か見つけだすように頼んでいるのだ。この為には、何の信仰も必要ない。
あなたの衣服から始めなさい。私は衣服ではない。あなたの衣服、時計、指輪、あたなはこれらの物ではない。これらはあなたに属しているだけであなたはそれらではない。それを知りなさい。
私は髪の毛ではない、眼鏡ではない、鼻ではない、鼻は私に属するが私は鼻ではない、これは理屈にかなった理解だ。私は鼻だとは言わないだろう!!皮膚は私に属する。もし傷ついたら、整形外科でなおすことができる。私は血液ではない、骨ではない、骨髄ではない、体液ではない、これらは私ではない。私に属するものは私ではない。
この家は、私のものだが私は家ではない。それでは一体何が残っているのかね? 家の持ち主だ。持ち物以外に何が残っているかね? それは持ち主だ。
私はあなたの質問に答えているのだ。さて何が残った? 私はマインドではない。私は肉体ではない。私は感覚ではない。何が残っている?
Q:私の魂
あは!それはよい。しかし、それさえもあなたの持ち物として数えてしまった。私の家、私の手、私の魂、違いはない!魂が属しているあなたは誰か? 魂が肉体や血液に属しているというのは理屈にかなわない。理屈にかなった答は何か?
あなたは神を信じたい。それなら私はまず第一にあなたの「真我」を信じるようにと言いたい。それは「私は神だ」と同じことだ。そうするとあなたは決して失敗することはない。
神を信じることは神であることだ。神を知ることが神であることだ。神自身を除いて誰が神を理解することができるのかね? もしあなたが神を理解するのなら神はあなたの対象になり、誰が主体なのか? 神が主体なのだ。神は対象化される対象物ではない。神は主体そのものだ。
だから、あなたが神の対象になった方がよい。その時も又うまく行くだろう。しかし、「私は神だ」というのにどんな問題があるのかね? これが最高の信頼で最高の信仰だ。
他のものに信仰を持つかわりに、神であるあなたの「真我」を信仰しなさい。これが最も偉大な信仰だ。その時あなたは普通になる。さもないと、あなたは異常か通常以下だ。
Q:真我は臍の中心にあると言われていますが…
周りがあるところにセンターがあるにすぎない、違うかね? センターが臍なら何が周りかね?
Q:肉体。
真我は条件づけされない。真我は臍の中心にあるということは条件づけされない「それ」を条件づけしていることになる。センターはない。しかし、あなたが肉体であるという概念を持ち続けるのなら、臍に中心を置くという概念を持ち続けることができる。肉体の中心という概念は意識を集中するための対象として使われたのだ。
しかし、これらの中心からどんな利益をもたらしたのか見たことがない。センターと周りがあるという考えを捨てるとおそらくうまくいくだろう。周りがないとき、センターとは何か? 集中すべきものはなく、集中する人もいない。違うかね?
中心を固定しないこと。これはマインドのトリックにすぎない。思考がどこかに着陸するのを許さないこと。思考をどこにも定住させないこと。その時マインドはどこに行くのかね? これらの中心に時間を掛けないこと。
多くの人が40年、50年とこれらの「中心」に時間をかけてその結果は束縛を強めるだけだと私は見ている。
Q:私の神、真我を悟りたいのですが、私とそれの間には蔽いがあるように思います。
その蔽いとはこれだ。あなたはある欲望を持っている。より優れた意識に到達したいという欲望を持っている。これがあなたと「それ」の間の蔽いだ。
あなたは絶対的に欲望なし、思考なしでいなければならない。欲望は思考だ。欲望があるとき、マインドがある。欲望の対象がある。しかし神は対象ではない。神は主体だ。神は見ることも、到達することも、触れることもできない。神は見ている人だ! 神は対象物ではないのだから探そうとしないことだ。
すべての対象物には始まりと終わりがあるが、広大な意識にはそれがない。ほんの瞬間どんな欲望も持たないでいなさい。そして、どこにより優れた意識がありどこにより劣った意識があるのか言ってごらん。
さて、どこに蔽いがあるのかね? 「これ」や「あれ」を望むことで蔽いをつくっている。欲望がないとき、神が彼自身でやって来てあなたのハートの中に座る。
しかし、ハートの中の椅子が欲望のごみでいっぱいなら、神は一体どこに座るのかね? 神には完全に清められた席が必要だ。そうすると、神は招待しなくてもやって来てその席を永久に所有することになる。その時あなたが何をしようとも、それは神が行っていることになる。そうするとあなたに必要なものは何もない。
すべての名前と形態を取り除かねばならない。そうすると蔽いはなくなる。蔽いが取れると唯一残っているのは他の人の蔽いを取り除くための慈愛だけだ。この仕事は蔽いを取り除いた人に割当てられる。しかしエゴのある人がどうして他の人のエゴを取り除くことができるかね? 今蔽いを取り除きなさい。
人間として生まれて、自由への欲望を持っている。自由を熱望しない人間は尻尾のない動物だ。本当の人間はこの人間の一生で蔽いを取り除いた人だ。疑わないこと。それをやり遂げるのだ。
Q:真理を理解するのを妨げている壁があるようです。この壁は私の人生で学んだすべてのもので作られているように思われます。
この壁は観念でそれを壊したら内側も外側もなくなる。思考によってこの観念を取り除くことはできないので考えようとしないことだ。この観念は唯一想像に過ぎないので存在したことはない。
ロープはいつもロープで蛇になることはない。間違った想像力でロープを蛇と呼んだのだ。これはあなたがあなた自身の創造物の責任者だということを教えている。ロープは蛇を作らない。あなたが蛇を作り出したのだ。あなたを非常に困らせたこの蛇という観念は何か見つけだしなさい。
ただ静かにしてそれを見つめなさい。そうすると消えてなくなる。あなたを不幸に陥れるその観念を見つめなさい。ただ見つめなさい。何の努力も必要ない。あなたを困らせる観念が起こるのをただ見つめなさい。
あなたが存在しなかった蛇という観念を創り出したのだ。観念はまったく存在しないのと同じだ。あなたはいつも平和、愛、幸福、至福の中にいる。これがあなた生来の本質だ。
これ以外はすべて実在しない観念だ。あなたの両親、牧師、社会が投げ与えた観念や意図や考え方をすべて取り除きなさい。大量のこれらのごみがあなたに常に投げ捨てられた。
このごみだめの中であなた自身を見失った。さて、もう一度同じ質問をしてごらん。
Q:できません。質問のすべてがなくなりました。
すばらしい!!今あなたの中ですべてが変わったのがあなたの顔つきから分かる。
すばらしい!! これがあなたの本質だ。そこにいなさい。