「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
崎山綾子翻訳
第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part5
(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)
前ページ(Part4)からの続き・・・・
信念と信頼
Q:あなたの愛と恩寵を快く受け入れたいのですが、信頼がないのです。どうか助言してください。
私を信頼しないのなら、私の教えを受けることはできない。100%私を信頼しなければならない。その時のみ、教えがあなたのハートに届く。
信頼不足は神経症だ。あなたがまだ子宮にいる頃、両親が不仲で喧嘩をしていたためにこの病気に罹ったのだ。小さなテニスボールのようにあなたは両側から打たれた。
ここではみんなあなたを愛している。ここにやって来たことはとても幸運だ。だからただ真理に降伏しなさい。過去の習癖や両親や親戚は忘れてしまいなさい。
今あなたの親戚はここにいる。ここでは兄弟、姉妹があなたを快く受け入れる。これがあなたの家族だ。あなたの両親や国のことは忘れなさい。ここで生まれて、ここから始めなさい。
ただ静かにしていなさい。
そうすると、隠れているあなたの内なる光があなたに貴重な贈りものを与える。
過去に起こったことを心配する必要はない。
いつもこの瞬間から始めることがあなたの責任に目覚めることだ。
世界が泣き叫び続けても、笑って微笑んでいきなさい。真理を言葉なしに伝えなさい。信頼について話してあげよう。
私はグルを探してインド中を旅した。当時私は軍隊にいたので優越感があった。(くすくす笑い)グルを見つけて彼が私に神を見せてくれるかどうか訊ねるつもりであった。
私が訪ねた全てのグルの弟子達は私を見て、彼らのグルといた50年間に伸びた長い髭を示して、「我々は何十年と修業しているがいまだに神を見つけることはできない。靴をはいたままここに来て、神をすぐに見ることができると思ったら大間違いだ。」と言って、私を追放した。
どうしたものか? しかし、それを見つけるまで、食物も喉に通らないほど、真剣に何かを探し求めているなら、欲しいものは手に入るものだ。
さてこの話はラマナ・マハルシの足元で終わりになる。私は彼に訊ねた、
「私に神を見せてくれますか?」
マハルシ言わく、
「いいえ、神を見ることはできない。神は見ることができる感覚の対象ではありません。」
私はこれに仰天して、彼は次に何を言うのか不思議に思った。そして彼は言った、
「あなたが神なのだから神を見ることはできない。どのようにしてあなたである『それ』を探すことができるのですか?」
この瞬間、「私が神である」と完全に信頼した。そしてこの信頼は決して揺るがなかったし、いまだにそのままだ。あなたはあなたであるところのものを信頼しなさい。そうすると疑うべき何があるというのか? もう一度言おう。
私を信頼しなさい、私を完全に信頼しなさい。
私が言っていることを信頼しないのならあなたは間違った場所にいるということになる。
宇宙の法に従った生活とは
良いカルマをもたらす正しい行動をするということだ。
これは最初の段階では重要なことだ。
そうするとあなたのマインドが悪いカルマの結果によって騒がされることはない。
マインドが純粋になるかどうかはカルマによっている。
純粋なマインドと「自由」は同じことだ。
純粋なマインドはいつも瞑想的で
無垢な人が最初に「それ」を手に入れる。
Q:私の自由への探求は20年前無暴力の思想から始まりました。害を及ぼさないことと健康について話して下さいますか?
自由に向かっている人の最初の戒律は無暴力だ。「私は肉体的にも思考によっても誰にも害を与えない。」
内も外も潔癖であるべきだ。身体を清潔に保ち、真実を話し、盗みや他の人に害を及ぼすことはしないように。自由が欲しいならこれが立つべき基盤だ。内側の潔癖さとは他人の欠点について考えないことだ。考えるなら全ての人の長所について考えなさい。
朝、最初に口にする言葉は、
「全ての存在が幸福でありますように。地球の全ての生き物、天国の全ての生き物、地獄の全ての生き物が幸福でありますように。どうか全ての存在に祝福を!!」
こうするとあなたの顔つきが変わるだろう。
Q:時々、私達が愛している人を傷つけて、その結果私は自由に価しないと感じて、私を自由から遠ざけます。
誰も傷つけないこと。言葉や行為、思考によってでさえ。その理由はこれがその10倍にもなってあなたに跳ね返って来るからだ。もし誰かがあなたを傷つけたなら、その人を赦して、慈愛をもってその人に向かうべきだ。
そうするとあなたは平和を得る。誰かを傷つけようと考えないことだ。木や動物でさえ傷つけないことだ。あなたは木の言葉を理解できないが、もし葉や花を摘み取って虐待したら、彼女はあなたに幸せではなく、逆にあなたを虐待するかもしれない。
かって私はカルナータカ州のコーヒー園にいたことがある。丘の高い所にある木造のバンガローに滞在していた。朝、目がさめた時、農園の主人が料理人に朝食と昼食を用意させるために丘を降りていった。
私が外に出ると実をいっぱいつけたオレンジの木を見つけた。私は木の所に行って
「おはよう、お母さん。あなたは非常に幸運だ。こんなにたくさんの子供をもって...。」
私はオレンジの実を沢山つけた彼女に感謝の気持ちでいっぱいだった。実をとって食べる気など毛頭なかった。丘を降りていこうとした時、突然12個のオレンジが一瞬にして地に落ちた。私はまわりを見まわしたが風もないし鳥もいなかった。
それで私は木と話をした。木を大変愛する人にはこれが可能だ。彼女は私にこれをプレゼントしたのだからどうか受け取って下さいと言うのだ。
私は木の言葉を理解することができた。私は木を抱きしめ、キスをしてこのオレンジを受け取った。これがあなたにもして欲しいことだ。
第5章 内在する「自由」の徴候 終了