「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

 

〜SRI H.W.L.POONJA

崎山綾子翻訳

 

 

 

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part4

 

(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)

☆Part1☆Part2☆Part3☆Part5

 

前ページ(Part3)からの続き・・・・

 

 

神聖さ:無垢と純粋性

 

   真理は神聖な人を誉め讃える。

   だから美しく、純粋で、汚点なしでいなさい。

   *1ヴァーサナが取り除かれた時、

   思考がない時、あなたは神聖だ。

 

    あなたが神聖なら、あなたは価値がある。

   しかし、価値があることだけでは十分ではない

   価値があるということは、誰かが見つけねばならない。

   そして価値があることと価値がないこと、両方から自由でありなさ   い。

   死者が「私は死んだ」と言えないように、

   価値がある人は「私は価値がある」とは言わない。

 

   静寂は絶対に必要だ。

   それは内側に向かう心だ。

   心が内側に向かうと感覚や思考や概念から自由になる。

   静かにしていなさい。

   心が快楽に向かって外に出るとサンサーラ、

   サンサーラにいる心は苦しみと死と誕生のサイクルを生み出す。

 

   外側の環境、即ち交際、肉体、心の浄化は重要だ。

   自由への燃える欲望が内側を洗い清める。

 

  

 サトヴィック、純粋で調和のとれたマインドは真我探求へと導く。正しい規律にのった生活様式と食事療法が推薦される。  

 

 ラジャスやタマス状態のマインドには真我探求は起こらない。ラジャス、活動的なマインドは怒りと活動的訓練に導く。

それはモンキーマインドで、本質を見ることはできない。

  

 タマス、鈍感でだるいマインドは眠け、疑い、恐れへと導びく。鈍いマインドはグルの言葉に耳を傾けない。

 

 マインドが何かで占有されてないときはグルの一言で十分だ。これがサトビックマインドだ。

 

    自由への燃えるような欲望、

   持続的な瞑想、真我探求、快楽を捨てること、

   静かにしていること、何も考えないこと、努力をしないこと、

   このような神聖な人が真理を得るのだ。

   神聖さは大切な条件だ。

 

 

Q:神聖さを持ちたいという強い欲望があります。

    

 この神聖さは自由でありたい人には絶対必要だ。あなたは神聖であらねばならない。「それ」は神聖な人に姿を現し、自由以外のものを望む人には姿を現さないからだ。

 

   神聖さがあなた自身の真我と恋に落ちるのだ。

   これが神への愛だ、献身だ。

   これは愛と何の違いもない。

   あなたは愛するものに献身する。

   あなたが献身するものをあなたは愛する。

 

    この愛が対象を持たず、どこにも行かず、

   それ自身に向かっていく時、

   「それ」があなたにそれ自身の姿を現す、

   あなたの望む形で、あるいは無形で現われる。

   

    

   もし、あなたがこの愛を望むなら、

   特定の誰かを愛そうとしないことだ。

   この愛には個性がない、形がない、名前がない。

   神がこの愛だ。

 

 

Q:昨夜、私のために時間をさいて下さってありがとうございます。それ以来、全ての私の問題は朝日で消えていく霞のように消え去ってしまいました。

 

  すばらしい、この即効はあなたが正直な人だということを意味している。

 

      正直な人だけがやり遂げることができる。

     真理は神聖な人を高揚するからだ。

     神聖な人が真理のハートに何の困難もなくはいって行ける。

 

      誰が神聖な人か?

     目を閉じて見てごらん。

     私は神聖か? 神に触れるに十分神聖か?

     神と神を見たいと望む人の間には何の違いもない。

 

 

Q: 私はまだ完全に純粋だとはいえません。それが内なる炎を見るのを遠ざけています。私は透明になって消えてしまいたい。

 

あなたは純粋だが、純粋でない何かがあると感じている限り炎を見ることはできない。この不純さは他の誰かに対する執着があるために違いない。

 

あなたの真我の炎を見たいのなら誰にも執着しないことだ。他の誰かに執着しているということはその執着している人の中に炎、美、愛を見ていることだ。

 

あなたはまず最初にあなた自身の美しさを見なければならない。そうすると、全ての存在の中に美を見ることができる。透明さと言うのはマインドに思考がないことだ。そのときあなたは透明になる。そう、しばらくの間、思考なしでいなさい。考えないこと、そのときあなたは透明になる。

 

 

Q:どのようにして自分自身を清め、美しくなることができますか?

    

美しくなるためには時間はかからない。それは皮膚の美しさではない。それは真理がもてはやすその美しさを言うのだ。マインドの中にどんな思考もないとき、あなたは美しい。マインドに思考がある時、あなたは醜い。思考がない時、毛穴から内なる光が輝き、あなたは全世界を美しくする。

 

    私の言う美しさは内なる美だ。

   思考がない時、あなたは美しい。

 

 

Q:どうか神を見せて下さい。

    

 これが、質問の中の質問だ。たくさんの質問があるが、これが尋ねることができる最高のものだ。

 

 ある話を思いだした。それはこれと同じ願い、同じ探索だ。

  

8才の少女が私の所にやって来て、神をみせてくれと頼んだ。私は彼女に今日は学校に行くように、明日、神を見せてあげようと告げた。そして、明日がやって来た。彼女は再び「神様を見せて」と頼んだ。

 

私は彼女に「運転手が君を学校に連れて行くために待っているから、今日は学校に行って、明日、神を見せてあげよう」と言った。

彼女は、「毎日、明日、明日と言っている。今日は学校には行かない。今日こそ見せてほしい」と言った。

 

私は、「O・K、この小さな部屋で神様を見せてあげよう。神様に会うためには何かあげなくてはいけない。何をあげるのかね。」

 「ママが昼食にくれたチョコレートをあげるよ」と、彼女は答えた。

 

私は「チョコレートをあげたら、神様がやって来るのだよ」と言った。

 「でもどこに神様がいるの。チョコレートをあげたいのに。」と彼女は尋ねた。

  

「チョコレートを先ずあげなさい。そうすると神様がやって来る。あなたが手を差し伸べてチョコレートを差し出さない限り、神様はやって来ないよ。」と私は答えた。

 

彼女は子供で何の疑いもないので彼女は手を差し伸べた。その時、部屋で大きな物音がしたので、彼女の母親が入って来て、「何があったの」と尋ねた。

  

「ママ、神様にチョコレートをあげたら全部取って私に半分も残してくれなかったの。だから、神様の顔をぶってやったの。ママ、神様を見なかったの? 私は見たよ、パパジも見たよ。」

 

母親は、娘の言うことに決して同意しなかったので、少女は彼女の見た神の絵を描いた。それは私が今までに見たこともない非常に美しい神の絵であった。

 

少女は私と一緒に外出し、散歩し、一緒に瞑想したものだ。私がどこにも行かないように、私の足をロープで結んでそのロープをつかんで眠ったものだ。

 

私が言いたいことは、その無垢についてだ。神はいたるところに存在する。無垢でない人は、神を見ることはできない。利口さは必要ない、それは問題を起こすだけだ。神はどこにでもいるからあなたは神をどこにでも見ることができる。

 

なぜ神を見ることができないのかね。もし疑いがあるなら、見ることはできない。あなたと神の間の仕切りは「神は見ることができない」という疑いだけだ。ヒマラヤの洞窟で長期間苦行した後に神を見ることが出来ると信じているのだ。さて、あなたは今、何を見ているのかね?

    

Q:何も見えません。 

    

  疑わないようにと言っただろう。「見えません」というのは疑いだ!!疑いを取り除きなさい!もう一度疑いなしに何が見えるかね?「見えない」は疑いだ。もう一度言ってごらん。疑いを持たないこと。何が見えるかね?

    

Q:神が見えます!!

 

 

次ページ(Part5)に続く

 

用語解説

 *1ヴァーサナ 心の潜在的傾向

 

 

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