「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

 

〜SRI H.W.L.POONJA

崎山綾子翻訳

 

 

 

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1

 

(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)

☆Part2☆Part3☆Part4☆Part5

 

 

 

内在する「自由」の徴候

 

 

    グルの恩寵がその人をサットサンガに連れて来るまえに、

   すでにその人の人生に自由が起こる兆しや

   自由を得るための資格が現れている。

   自由のために更に更に準備ができるにつれて、

   幻想の膜が薄く薄くなるにつれてそれらは現れる。

 

    最も重要な資格は神聖さと強烈な自由への欲望だ。

   次に識別する能力、

   真実と不真実・永遠性と一時性・平和と苦しみの違いを見分ける能力。

 

   次にやって来るのは冷静さと放棄だ。

   真実でない一時的な世界に執着しないこと、

   感覚の対象物に対する拒絶だ。

 

    他の徴候は、謙遜・不動性・法(ダルマ)にかなった生活・健康な肉体・真我探求・神への愛・無暴力があげられる。

   

   これらの徴候の全ては同じものの異なる様相だ。

   即ち、内在する真我が真我に対して真我の姿を現しているのだ。

 

    これらの徴候はひとりでに現れる。

   これらに焦点を合わせないで

   これらに惑わされないで

   絶えず真我にのみ焦点を合わせていることだ。

 

 

「自由」への欲望

   

   *1サンサーラの海を乗り切ることができる筏は

   自由になりたいという強固な決心だ。

   この強烈な欲望は絶対に必要だ。

   この欲望の強烈さ自体がサットグルだ。

   ハートの痛みは真我が呼んでいる証拠だ。

 

    いつも真我だけを望みなさい。

   あなたが最も望むものはいつも手に入るのだから、

   自由への燃えるような欲望をもつことで十分だ。

   そして、それが祝福された徴だ。

 

   *2モクシャへの欲望がモクシャだ。

   今あなたは自由とのみ関係を持つ。

   今自由と「私」を識別しなさい。

   そして「私」は自由からどれだけ離れているか見てみなさい。

   行くべき場所がないとき、そこへ行くべき「私」は存在しない。

   

   ツーリストは去っていった。

   今この自由に、岩のような信念を持ちなさい。

   そうすると思考や疑いの水や風がやってきても不動だ。

 

   自由への欲望を持ち続けると、

   習癖の全てやマインドの妨害が落ちていく。

   自由だけを考えていなさい、そうするとあなたは自由になる。

   あなたはあなたが考えているところのものになるのだから。

   歯痛の持続性のようにいつも真我について考えていなさい。

 

    自由への欲望が高潮だ。

   それは疑いでできた砂の城を押し流してしまう。

   ・・この欲望のない人間は、尻尾のない動物にすぎない。

 

 

Q: 全ての束縛から自由でありたいという燃えるような欲望を持っています。

    

  自由への燃えるような欲望を持ってるのならそれで十分だ。その炎は、あなた・マインド・エゴ・肉体も含めて宇宙の全てを焼き尽くすだろう。燃やしなさい、そして燃え残ったものも全て火に投げ返しなさい。

  

火の中に投げ入れられたものは全て火になる。自由への欲望でさえも、この火の中に入れると燃え尽きて「それ」になる。非常に簡単だが自由でありたいと燃えている人は数少ない。ほとんどの人が感覚の対象物にとり憑かれている。

 

    あなたの意志をこの火の中で燃やしなさい。

   そうするとどこに行く意志もなくなる。

   あなた自身を永遠・愛・平和のこの火の中で燃やし尽すのだ。

   この火を恐れることはない、それは愛そのものだから。

   この自由への欲望が愛の炎だ。

 

  ほとんどの人がこの火を恐れている。少数の人がこの自由を愛してしまった。この愛の火の中で自分自身を燃やし尽くした人はいまだに生きている。仏陀は2600年前にそれをやり遂げた。

  

 この自由への思いがやって来たのは、彼が彼の父が手配した若くて美しい女性にとり囲まれて、快楽の園にいたときだ。星占いによると彼は苦行者の王となるだろうと予見された。

 

 そのために彼の父は快楽の牢獄に彼を閉じ込めたのだ。しかしこの愛の炎は、彼の内に激しく燃えあがっていた。そして彼は覚醒を得て、いまだに生き続けている。

  

 このようにあなたはやり遂げねばならない。仏陀もまた人間であった。彼がやり遂げたのだから、私たちも確かにやり遂げることができる。全ての人が仏陀になることができる。たった一つ必要なのは自由への炎だ。

 

 そうすると、あなたが「静寂」であり、その仏陀であると認めることになる。

 

    自由を勝ち得るには、

   あなた自身の深遠さを測り知るには、

   塩の人形になってガンガ(ガンジス河)に飛び込むことだ。

   あなたは人形であることを忘れて、

   あなたはガンガになるだろう。

 

  これがベンガルのラーマクリシュナが言ったことだ。これが永遠性との絶対的な一体化だ。あなたは決して存在したことのない岸に戻って来ることはない。

    

 

Q:私の本質の中に溶けて、決して戻ってきたくありません。

    

  よく決心した。ここにいなさい。この決心は非常に堅いので即座にその結果を得るだろう。熱意を失わないことだ。

  

昔、マトワラと呼ばれる男がいた。彼は樹の下に座って決心した。

「私が悟るまでこの樹から立ち上がらない。」

それで、彼はいつも樹の下に座って瞑想し、食事のために席を外すこともなかった。そこへある人がやって来て、彼が何をしているのかと尋ねた。

  

 「私は瞑想しているのだ」とマトワラは言った。

  「何のために?」

  「幸福になるためだ。」

  

 「教えてあげよう。このバニヤンの樹にはどれ位の葉が茂っているかね? 自由になるためにはこの葉の数のように何回も生まれ変わらなくてはならないのだよ。」とその人は言った。

 

  「問題ない」と自信に満ちた瞑想者は言った。

 

 「この樹には何千もの葉がついている。生まれ変わりなど気にしない。私はただここに座っているのだ。」この決心で彼は瞑想しつづけた。

  

 しばらくして次に聖者がやって来て尋ねた。

  

 「何をしているのかね?」マトワラは瞑想しているのだと答えた。

 「なぜ?」と聖人が尋ねた。

 「全ての人が苦しんでいる、苦しみを取り除くためには瞑想するようにと私のグルが言ったのだ。」と答えた。

  

 「教えてあげよう。このバニヤンの樹から最後の一葉が落ちるまでここで瞑想しなさい。最後の一葉が落ちたときあなたは悟るだろう。」と聖人は言った。

  

 その時マトワラは大声で叫び返した。

 

 「私は葉が落ちるのを待つ必要はない。葉が落ちるのと私の光と知恵の間にどんな関係があるのか?」彼は立ちあがって踊りだした。

 

 幸福は今ここにある。彼は悟ったのだ。

 

この話の意味していることは、あなたは待つ必要がないということだ。悟りは時間に依存しているのではない。何年待てばよいというものではない。あなたはすでに35億年も費やしてここにいるのだ。

 

 この樹は絶えず葉を繁らせ続ける。もし一葉が落ちても他の葉が繁る。どれ位待つつもりだ。立ち上がって「私は自由だ!」と叫んだらどうだ。あなたが自由になれば結局は人生を楽しむのだ。

 

 それならなぜ今楽しまないのか? ほとんどの人が死を恐れて、「私は死んでいく。」と叫んでいる。私は人が道に飛び出して「私は自由だ。」と叫んでいるのを見たことがない。だからもしあなたが本当のマトワラなら道に出て叫びなさい、

 

 「私は自由だ!!」と。

 

 

Q:私のエゴは非常に強固です。どうか私のエゴを破壊して下さい。私は自由を経験したいのです。

 

 あなたのエゴを見せてくれるかね。そうしたら、私の強さとあなたのエゴの強さを比べることができる。彼女に会ったことがあるのかね?

    

Q:それを感じただけです。 

    

  このガールフレンドに会ったことがないのかね。彼女はよい友達だ。彼女の強さを試してごらん。おそらく彼女は象のように強靭なのであなたは逃げ出してしまうだろう。

 

 だから愛でエゴを飼い慣らしなさい。もし愛で飼い慣らしたら、彼女はあなたを困らせないだろう。彼女を一人にしておきなさい。

 

「私は自由になりたい」という大きな望みにはエゴが必要だ。このエゴを許しなさい。自由が欲しいのはエゴだから。明日にではなく今日、自由を望みなさい。今日にではなく今、自由を望みなさい。

 

 彼女が強ければ強いほど、「私は自由になりたい」という欲望も強くなる。その時、この強さはあなたの助けになる。欲望も又エゴだ。何かを欲しがるのはエゴだ。他の欲望が同時に起こることはないので、エゴの強さを利用して自由への欲望をかき立てるのだ。

 

 今それを言ってごらん。

    

 

Q:私は自由になりたい!

    

  このように昼も夜も言い続けなさい。そうするとそれを手に入れることができる。仏陀は手に入れた。あなたも手に入れることができる。こう言いなさい、

 

 「彼は人間だった、私も人間だ。彼は手に入れたのだから私にできないはずはない」と。樹の下に座って自由になるまで立ちあがらない。これが彼の決心で、彼は自由を得た。

 

 何事も決心しないとうまくいかない。あなたは決めなければならない。今が一番よい時期だ。あなたの決定は確かでサットサンガにやって来た。そこに座って修行も努力もなしで自由になりなさい。

 

 何も考えないでただ静かにしていなさい。マインドを掻き混ぜないこと。どんなに簡単か、あなたは若いのだからそれをやり遂げることができる!!

 

   世界中で自由を求める人は数少ない。

   自由に焦がれている人はもっと少ない。

   自由だけに一点集中している人はもっと少ない。

   感覚に戻ってこない人はもっと少ない。

   危険を厭わない人はそれよりもっと少ない。

   この危険を逃れられる人はもっと少ない。

   真我を実現する人はまったく少ない。

   

 望みなさい、求めなさい、あなたがここに居ることはまったく稀なことだ。ここにやってくるための山のような功徳をあなたは持っている。

   

   それを無駄にしないことだ。強くありなさい。

 

 

Q:もし私が自由でありたいという本当の欲望を持てば自由になれるように思えてきました。

 

 「今日、今自由にならねばならない」という、100%本当の欲望が必要だ。これ以外の欲望が何もないとき、すぐにその欲望は満たされるだろう。

 

 

Q: どのようにして今本当の欲望を持つことができますか?

 

 「今」。これが答えだ。「今」本当の欲望を持ちなさい、そして何が起こるか言いなさい。一瞬、マインドを完全に解放して座りなさい。

 

 そうするとこのマインドは瞬時に啓蒙される。その瞬間ただ何も考えないでいなさい。そうするとあなたは自由だと分かるだろう。サットサンガの後静かに座ってマインドをどこにも行かせないことだ。

 

 もし行くなら、目撃者としてただ見ていなさい。息を吸ったり吐いたりするのを見ているように思考が行ったり来たりするのを見ていなさい。やめないこと、常に見続けなさい。

 

 思考がないとき、あなたは自由だ。

 

 

Q: 私はいつも「やり手」として生きてきましたが、今はただ私の本質にとどまってこれに気づいていたい。これもまた欲望ですか?

 

  これもまた欲望かもしれないが、この欲望は何億もの欲望を燃え尽きさせる。ほとんどの人はある欲望が消えるとすぐに次の欲望を経験する。この絶える事のない欲望の流れをサンサーラと呼ぶ。

 

 欲望がある限り来世を避けることはできない。しかし、ひとつの欲望、「自由になりたい」がこれらの全てを取り押さえる。これは欲望だがこれが他の全てを焼き尽くす。

  

 さて、今どんな努力も試みないこと、あなたが自由であろうが束縛されていようが何も考えないことだ。いずれ「自由になりたい」というこの欲望も消え去る時が来るが、まず初心者として始めていきなさい。

 

 

Q: 私が実現する前に肉体を去るとしたら、この仕事は続いていくのでしょうか?

 

 満たされなかった欲望が死ぬ時までに消えないなら、最後の欲望が最後の息とともに肉体から出て行く。そしてこの魂は欲望を満たすのに適した状況の中に生まれ変わる。

 

 魂は空中を旅して魂に適した子宮を探してその中に入る。自由を望んでいる場合の魂は敬虔な家族を探し出す。もし選んだ家族が相応しくない時は胎児のときに流産して探索を続ける。

 

 ここにいる多くの人が非常に若い時から自然と瞑想したり自問していると聞いている。これはあなたの前世と前世の最後の欲望が何であったかという兆候だ。

 

 今世であなたの旅を終わらせなければ来世がやってくるだろう。

 

 

Q:マインドの死と真理への誕生、これ以外に何も興味がありません。

 

 これが真の誕生で死に決して出会わない。他の誕生は必ず死に出会う。この誕生で死は永久に取り除かれた。今あなたは他の誰かではなく、あなた自身の真我を手に入れた。

 

 もしあなたが誰か他の人を愛するなら死の結末に直面しなければならない。他の人や対象に触れなければ死を征服する。あなたは死を超えた、全ての存在の真我の幸福と一体なのだから。

 

 

Q:私があなたに会うためここにやって来るのに、家族や友達の反対を押し切ったほどの強い決心がありました。どのようにして全てを手放してあなたの恩寵を受け取ることができますか、そして「存ること」の至福と一体性を楽しむことができますか?

 

 あなたは全てを後にしてデンマークを離れた。友達の言うことに耳を貸さず、内なる「呼びかけ」に従った。

 

     今、ここであなた自身の光を見つけなければならないと決心しなさい。

     思考や友達や対象物への執着を後にしなさい。

     「私は今、それが欲しい」という決定はすぐに恩恵を得るだろう。

  

 これを言いなさい、そうすると即座にあなたは変わるだろう。私には何が起こるか言えないが、恐れと疑いがなくなるのは確かだ。このように強固な決心をしなさい。

 

 「私は自由だ」と決めたのなら、それで十分だ。「今」それを尊敬するならそれで十分だ。なぜ疑っているのか。「私は自由だ」と宣言するならこの自由を尊敬しなければならない。今それを尊敬するなら、あなたの面倒を見るのは「自由」の責任だ。

  

 「いつも自由でありたい」となぜ言うのか? あなたが自由であるときは時間を超越している。どうして時間に戻ってくることができるのか? あなたの世話をするのはその無時間性だ。

 

 あなたがやり遂げたことと、それに対する報酬は何かを理解しなければならない。あなたはあなたの手のひらのダイヤモンドの評価額を知らない。その価値を尊敬しなければならない。

 

 あなたの自由への委ねを尊敬することが最も重要だ。誰でもいつも自由だ、誰でもすでに自由だ。しかし誰もその自由を尊敬しないために誰もが苦しんでいるのだ。

 

 人々は苦しみだけを尊敬する。両親・隣人・聖人・全ての宗教の頭首は「あなたは苦しんでいる」・「地獄に落ちるだろう」と言い続ける。

 

 「あなたはすでに自由だ」と私は言おう。なぜ私の言葉を尊重しないのかね?あなたはグルのためにここにやって来た。そう、グルを尊敬して服従しなさい。グルの言うとおりにしなさい。

 

 グルは「あなたは自由だ」と言う、それを受け入れなさい。

 

 

Q:私は幸せを感じたことがありません。実は私は死んだも同然です。どうすればいいのか教えてください。

 

 あなたの人生で一つだけ欲望を持ちなさい、自由への欲望。この欲望だけがあなたを困らせる他の欲望の存在を許さない。この欲望が満たされる時が来たら全てを犠牲にしなさい。

 

 この欲望があなたに平和と幸福を与えて、二度とサンサーラに戻ってくることはない。全てを犠牲にしなさい、そうすると人生のあらゆる葛藤から自由になる。

 

 マインドがあなたを騙すのを許さないこと。マインドだけがあなたを自由から遠ざける。ここにいる少数の人びとがマインドの習癖を理解してマインドには耳を貸さない。

 

 彼らはマインドからやってくるものを拒絶して、マインドを彼らの奴隷にする。彼らは自由になるまで静かに座っている。自由になった後でマインドの欲望の世話をしてそれを満たしてやる。

  

 あなたはハヌマン帰依者だ、違うかね? ハヌマンは彼の主人に仕えることが唯一の欲望で個人的な欲望は決して許さなかった。ハヌマンの足跡に従い、ラーマだけのために働きなさい。ラーマの仕事をすることで自然とパワーが身についてインド洋を飛び越えることができた。これほどのパワーが身に付くのだ。

 

 

 

Q:自由になるための闘争を終えるためにあなたのもとにやって来ました。私独りでやり遂げることはできません。すでにあなたの現存の偉大さが私を助けています。

 

 あなたは独りでは得ることができない何かを得るための強い欲望を持ってここにやって来た。教えてあげよう、あなたはそれを独りですることができる、他の人の助けは要らない。

 

 刀の刃の上を二人並んで歩くことはできない。それは不可能だ。刃の上を歩くには一人で、あなた自身で歩きなさい。刀の刃は鋭利でこちら側、あちら側、後ろと見回していると二つに切り裂かれる。

 

 自由に向かって歩くことは刀の刃の上を歩くようなものだ。友達や親しい人を連れて行くことはできない、余所見をしないで独りで歩かなければならない。余所見をすると震えて目的地の自由に決して到達できない。

  

 これは何も考えないでいるという意味だ。考えているということは過去にいるということだ。何も考えないで何もしないことだ。ただ自由のことだけ考えていなさい。

 

 そうすると最愛の人からの一瞥でマインドの暗闇が取り除かれる。静かにしていなさい、自由を勝ち得るためにここに連れてきた欲望さえ忘れてしまう。

 

 静かにしていなさい、そうすると執着がなくなる、静けさへの執着も含めて。現在には執着はない、そこにマインドがないのだから。

  

 マインドは過去だ、現在には過去は存在しない。自由になりたいのならマインドに触れないことだ。あなたが考えることは全て死と同然だ。ただ静かにして努力しないこと。

 

 内に向かおうとする引力をしっかり捕まえて行きなさい。そうすると他の引力には気が付かないだろう。これにはあなたの真剣さが必要だ。外の世界に煩わされないところに居たいなら平和があるところにいなさい。

 

 外側には平和は存在しない。

 

 

Q:なぜ多くの人々がここに来て、留まり、あなたを愛しているのですか? あなたは「自由になるにはほんの一秒必要なだけだ」と言われても、彼らは悟るわけではありません。

 

 真我実現には一秒かかるだけだ。しかしこの一秒間にマインドから他の全ての思考を取り除くための非常な努力が必要だ。この一秒間に全てを取り除いて、この一秒と一緒にいることを許しなさい。この一秒間につま先で立ち上がって、こぶしを握って「この一秒に自由になる」と叫びなさい。

 

 自由へのそのような極端な欲望を持つことは非常にまれだ。このような活動と強さを持つと、神でさえやって来てあなたにひざまずく。ひ弱な肉体ではできない、強靭な肉体とマインドと意図が必要だ。

 

 そのときこの一秒が働く。あなたはやらなければならない。メニューを見ているだけではだめだ、食べ物を食べなさい。愚かなマインドを打ち負かしなさい。

 

 自由になるための決定するのはマインドではない。決心したらマインドは存在しない。マインドを制御して奴隷のように使いなさい。しかしここでは自由になるためにはマインドは必要ない。

 

 

 

 

次ページ(Part2)に続く

 

用語解説

 

*1サンサーラ  個人が解放されるまで繰り返される生と死のサイクル。

*2モクシャ   サンサーラからの解脱、自由、真理の実現。

 

 

 

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