「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

 

〜SRI H.W.L.POONJA

崎山綾子翻訳

 

 

 

第4章 サットサンガ:真理との交流  ☆Part2

 

(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)

☆Part

 

 

前ページ(Part1)からの続き・・・・

 

 

Q:私はここにいるのが大変嬉しい。私ができる最高のことをしているように思います。

    

 

サットサンガに出席することがあなたのできる最高のことだ。やらなければならない最高の仕事だ。あなたは世界中の至るところを見てまわった。しかし、最初にあなた自身を見ない限り、他の何も理解することはできない。まず、あなたは誰か見てごらん。そして、その後で必要なら世界の他のものを見なさい。

 

   あなたの真我を見たなら

   神でさえ見る必要はない。

 

 最近一人の女性が25年間の探求のあと、ここにやって来た。多くのスワミやグルが彼女に神や彼らの写真を与え、マントラを与えた。しかし、何も、誰も、彼女に平和を与えることができなかった。そして、ここにやって来た。何の質問もすることなしに、何も得ることなしに彼女は「私が神だ」、長い間彼女が探し求めていた神そのものだと悟った。

 

 

Q:サットサンガと心理療法の違いは何ですか。

    

 

心理療法は金もうけをする機械だ。サットサンガはただ自由を与えて金もうけはしない。それはマインドの平和の為でマインドを騒がせる為ではない。サットサンガは愛と平和を与えるが、心理療法は人をもっと混乱させる可能性がある。

 

もし、典型的なセラピストの所に行くと彼らはあなたを過去に連れていき、あなたはそこにそのまま永久に留まることになるだろう。サットサンガでは墓を掘らない。「私達は誰か?」、「私達は本質的に何の病気も持っていない」ということを見つけだすだけだ。

 

ほとんどのセラピストはほんの一時間あなたの前にいて、$100請求する。そして、行ってしまう。サットグルは永遠にいつもあなたと一緒にいる。これが違いだ。

 

 

Q:私は満足していないし自由ではありません。

    

 

この不満は何か?

    

 

 

Q:思考、疑いがあるからです。

    

 

どこにこの疑いが住んでいるのか? もし、頭にあるのなら、頭を切ってしまいなさい。もし鼻にあるのなら、鼻を取り除きなさい。これがバナラシの7才の少女の教えだ。彼女の名前はカマリ、彼女の父は聖人カビール。

 

カビールのサットサンガに多くの人たちが参加していた。カマリが父に尋ねた。「なぜ、こんなにたくさんの人が朝の4時にお父さんに会いにやって来るの?」

 

父は言った。「彼らは自由と真理の為にやって来るのだ。他にどんな理由でこの寒い冬の朝に人がやって来ると言うのか?」

 

「パパ、500人の人が自由の為にサットサンガにやって来るの? 私はそんなの信じない。何か他の理由でやって来るに違いないよ」、そう言って彼女は遊びに行った。

 

 

次の朝、カマリは門の前に立って、やって来た一人一人に次のように言った。

 

「サットサンガに入る許可を与える前に私の父が一人一人、インタビューすることになっているので、あなたはこの丸太に頭をのせて私が頭を切り離して父に見せます。もし父がイエスと言ったら、あなたはサットサンガに出席することができます」と。彼女が手に持っている斧は非常に鋭いので誰も苦痛は感じないだろうと確約した。

 

最初の一行は「私達は裁判を抱えています。裁判に勝つ為にあなたのお父さんの祝福が欲しくてやって来ただけです。門を触ったので恩寵が得られるでしょう。それでは裁判所に行かねばなりませんのでこれで失礼します。」

 

第二の一行は、「私達の息子が病気で、あなたのお父さんの祝福で息子がよくなると思ってやってきました。」

 

第三の一行は「私達はサットサンガに来たのではありません。娘の結婚がうまく行くようにあなたのお父さんの祝福をもらいにきました。今日はこの門に敬拝して帰ります。」

 これら全ての人々は他の理由のためにやって来た。

 

2時間後、カビールは空っぽのサットサンガホールから出て来た。朝の6時であったが斧を手にした彼の娘以外誰も外にはいなかった。

 

「パパ、誰もサットサンガの為にやって来ないと昨日言ったでしょう。なぜ時間を無駄にするの? 今日はみんな他の目的の為にやって来たのよ。」

 

 

そうだ、聖者に会いに来たのならあなたの頭を取り除きなさい。そして初めてインタビューが受けられる。あなたの疑いは頭の中のものだ。頭を取り除いたら疑いなし、そしてあなたは自由だ。もし、あなたがこれを理解したならどんな疑いも持つことはできないだろう。今、疑いがあるかね?

    

 

Q:はい。

    

 

それなら外に行って頭を切り落としなさい。

    

 

Q:しかし、パパジ、時々・・・

    

 

「時々」を直訳しなさい。「時々」とはどういう意味だ? このまちがった文法をどの教師が教えたのだ。これは教師のいない変わったクラスだ。教師は話す為の舌はないし、生徒は理解する為の頭がない。これがこの変わったクラスだ。

 

あなたが頭を持っているのなら、頭を落とす他の場所、屠殺場を探さねばならない。  このエゴが頭だ。わかるかね?  屠殺場に持っていく値打ちがある。彼らがうまく面倒を見てくれるだろう。私はヘッドはいらない。私はハートがほしいのだ。ここでは頭は必要ない。頭だけを必要とする学校はいくらでもある。

 

外であなたの頭を取り除いて、そして話してごらん。そうするとあなたのハートが愛の言葉を初めて話すだろう。ハートに話しをさせなさい。あなたはいつも頭で話していた。カマリの言うように頭を落としなさい。

 

この少女はどのようにしてサットサンガに出席すべきか知っていた。「私」、「あなた」、「彼女」はサットサンガに来るのを許されない。あなたは今真理と直面しようとしている。それがサットサンガの意味だ。

 

あなたは今、真理に、自由に直面している。誰があなたを殺すことができる? 自分の真我を恐れてエゴに依存している。つかのまの問題に完全に巻き込まれて、あなたの人生を救うことができない。何億回と生まれて死んで来たのだから死の味は十分に知っているはずだ。

  

 

今は生き方を学ぶ時だ。至福の中にいつもいるのは非常に簡単だ。だが、あなたは死にたいので、この愛と美の楽園を屠殺場に変えてしまったのだ。

 

一瞬休んで、あなたは誰か見てごらん。あなた自身の真我があなたに姿を現しキスをしてあなたを抱きしめるのを許さなかった。あなたは何億年もの間、頭を使って生きてきた。今、少なくともハートに時間を与えなさい。静かにしていなさい。唯、静かにしていなさい。静かにしていると真我がやって来て、抱きしめて、キスしてくれるだろう。あなた自身の真我に時間を与えなさい。

 

 

 

Q:あなたとのサットサンガは陶酔的だ。ここにいつもあるものを再発見する為に、真我の中で永遠に休息する為に、私はあなたに会いにきました。

    

 

 普通ならこの酒にたくさんのお金を使うものだ。どのようにしてここで酔っ払っているのかね。

    

 

 

Q: あなたの存在、最高の飲み物です。 

    

 

普通、最高のお酒はスコッチだ。これは3時間しか効果がないので、お金をすべて使い果たしてしまうものだ。しかし、「この酒」は一瞬ごとにもっともっと強くなって、3時間後には消えてしまう酒ではない。

 

有名なブランド(グル)を見つけることだ。そうすると一瓶で残りの人生を楽しめる。その上、「この酒」は蒸発しない。値段が非常に高いので「この酒」を飲んだ人は非常に少ない。ある人は「それ」には値段が付けられないと言うだろう。静かにしていなさい。そうするとあなたは酔っ払うことができる。ただ静かにしていることだ。

 

あなたの陶酔が他人や物に依存しているなら、自分自身を騙していることになる。最高の陶酔はあなたの真我以外、どんな源泉からもやって来ない。誰もあなたに幸福を与えることはできない。誰もあなたに平和を与えることはできない。

 

あなた自身を見つけなさい。混乱したマインドだけが幸福は他のどこかにあると考えている。この愛と美は静かにしているだけで即座に現れる。そうして全てを得ることになる。

  あなたはそれを味わったようだね。だからあなたはそんなに光り輝いているのだ。(笑)

 

 OK.私はあなたに会えて非常に幸せだ。

    

 

 

Q:何の目的もなしに、あなたとここで平和に満ちて一緒に座っているのが最高です。

    

 

 何の目的もなしに私の前に座る人が全てを得るのだ。これは神も又約束していることだ。

「私の帰依者が私の所に来て何かを頼むとき、私は即座にそれを与える。子どもであろうが、長寿であろうが、よい連れ合いであろうが、何でも。」

 

しかし、神にも人間と同じように恐れがある。神が言うには、「私は何も頼まない人が恐ろしい。私はその人に全てを与えるように束縛されるからだ。私はその人に影のようについて行かねばならない。欲望のない人には私はその人が必要なものをその瞬間に与えねばならないからだ。私はその人に束縛される。」

 

無欲でサットサンガにやって来る人も又同じことだ。彼らは何も頼まなくても全てが与えられる。あなたには何の不足もない。残りの人生は必要な全てのものが供給されるように確約されている。

 

 

 

Q:パパジ、私は新しい名前がほしいのですが。

    

  

 最初に意味をあげよう。カップのようにあなたの手を合わせて、この空っぽの手を差し出しなさい。そうすると、ダイヤモンドがその中にひとりでに落ちて来る。このダイヤモンドが真我の知識で、ひとりでに落ちて来る。しかし、あなたの手は何層もの心を乱すマインドをつかんでいる。これらの層が欲望だ。

 

サットサンガにやって来る人は欲望をマインドから引き離して真我に戻す。これがサットサンガで自動的に起こる。そうしてこのカップの用意が整う、そのときダイヤモンドが落ちて来る。真我の啓示だ。真我がそれ自身でそれ自身に姿を現すのだ。この空っぽのカップの手の状態がアンジェリと呼ばれている。あなたのハートは十分開いているので真我の知識を受け取ることができるだろう。

   

 

 

これはウバニシャッドからの話だが、ある人が自由を得た時、どのようにして自由を得たのかと尋ねられた。「アムラキ(木の実)が私のアンジェリにひとりでに落ちて来たようなものです。私は何もしていません。それはサットサンガの木から落ちて来たのです」。他の木ではなくサットサンガの木の下に立っているとこれが起こるのだ。

   

サットサンガで得られる名前は愛と美の名前だ。この名前を使う人々は愛と美と恩寵の中で溺れてしまう。あなたの名前を呼ぶ人でさえこの恩寵を得ることができる。名前はこのように全ての人が楽しむことができる名前であるべきだ。あなたが喜びの名前を発すると喜びに満ちるように。

   

名前が新しい系統を代表する。苦しみから苦しみが生まれるように多くの名前はこの苦しみを背負っている。今、あなたは違う環境にいる。新しい名前はこの一部だ。あなたの人生を過去から切り離して新しく出発するという意味だ。

 

 

 

Q:ブッダが私の最初のグルで、私のハートは彼と強く結びついています。、私は彼を以前に知っていたに違いないと思います。又、私はまるで以前にあなたに会ったような気がします。 

    

   

あなたは以前にブッタを知っていたに違いない。我々はみんな以前に何回も出会っている。ほとんどの人が憶えていない。少数の人が、これを思い出して、何回も何回も同じ事を繰り返しているこの過程を終わりにしたいと決めない限りこれは続いていくのだと理解する。

   

ここにいる全ての人達は何世も一緒に過ごしたのだ。だから私達はここにいる。わたしたちがここで出会っている目的は再び戻って来ない為だ。ブッダのように。彼がしたことは非常に簡単だ。菩提樹の木の下に座り、沈黙し、全ては終わった。彼はやり遂げた。私達も又やり遂げることができる。

   

ある話が浮かんで来たので短く話してみよう。これは7000年前に起こった*1ラーマヤナの中の話だ。

  

当時、聖人と悪魔が戦っていた。悪魔はラーマの妻シータを誘拐した。長い話を短くして、ラーマは悪魔を倒し妻を取り戻した。

   

次にラーマ、シータが王位につく為に授冠式がとり行われる。ラーマは彼のグルにメッセージを送って王位につく為に必要な儀式をとり行って祝福してほしいと頼むことにした。

 

 ラーマは弟のラクシュマンに彼の指輪をもたせ、早馬にのせて彼を送った。ラクシュマンは森の中のグルのアシュラムに行って彼に告げた。「私はラクシュマン、ラーマの弟です。私達は安全に南から帰ってきました。来週は授冠式がとり行われます。ラーマはこの指輪に命じてあなたに儀式をとりおこなってほしいと依頼しています。」

 

さて、王の指輪はこれに相当するものは何もないほど貴重なものだ。指輪は特別なダイヤモンドでできていた。ラクシュマンがグルにこの指輪を差し出したとき、グルは言った。「米を炊いていて忙しいので、私の小屋に行って指輪を素焼きの壷の中に入れておきなさい。」

 

ラクシュマンは壷に指輪を入れた。入れたとたん予期しない音がした。彼は壷の中に何が入っているのか興味深く思ったと同時に王の指輪を素焼きの壷に入れるとはもってのほかだと怒った。

 

彼が壷をひっくり返したら彼が入れた指輪と同じ指輪がたくさん出て来た。「どうしたものか? 数えきれない位の指輪だ。それに私が入れた指輪はどれかわからない。」

 

彼は外に出てグルに尋ねた。「誰がこれらの指輪をこの壷に入れたのですか?」

 

 厳しい表情で*2バシスタは言った。

 

「ラクシュマン、お前が入れたのだ。お前が入れたのだ。」

「それはありえない、私は初めてここにやって来たのだから。」彼は叫んだ。

 

「いいや、何回もお前はやって来たのだ。その度に馬に乗ったまま授冠式に来るように私に頼んだ。その度に私は指輪を壷に入れるようにと言った。お前が馬から下りてお前のプライドを取り除かない限り、これは何度も何度も起こり続けるだろう。私と一緒にいなさい。私が教えてあげよう。そうすると再びここに現れることはないだろう。」とバシスタは告げた。

 

 

プライドを取り除き、名前や形に同一化するのをやめない限り私達は何回も現れ続ける。名前と形がないとき、あなたは決して以前にやって来たことはないし、今回もやって来なかったということを悟るだろう。これがこの話の美しさだ。

 

真理は「かつて何も存在したものはない」ということだ。

 

 

 

Q:私はブッダガヤからやってきました。そこでは仏教の功徳や*3カルマの概念が説かれています。もし、かつて何も存在したものがないのならそれらの概念は自由にとっては意味のないもののように思えます。

    

 

それは意味のないことではない。逆に大きな意味がある。良いカルマなしにブッダガヤやここにやって来ることはなかっただろう。少数の人がサットサンガにやって来る功徳を持っている。ここに来るにはたくさんの功徳が必要だ。これがなぜあなたがここにやって来たのかという理由だ。

 

いつ、自由になるかは運命で決められている。ブッダの場合がそうであったように。あなたの功徳の強さの為にあなたがそれを拒もうとしても自由があなたのところにやって来るのだ。あなたが自由になることが決められていたら、ここを発とうとしても発つことができないという状況に陥るだろう。

 

 

 

Q:ラクナウに来て以来、私はここに来る以前のように幸福ではありません。どうしたことでしょうか?

    

  

ラクナウに来る前の幸福は、おそらく幸福感をあなたに与えてくれる人や物や場所によるもので、マインドがそれを幸福だと勘違いしていたに違いない。おそらくあなた自身の概念から幸福を得ていたに違いない。それは幸福ではない。本当の幸福は説明することはできない。

 

幸福は他の人からやって来るのではない、、聖者や賢者からでさえやって来るものではない。幸福は内からやって来る。サットサンガでさえ幸福を与えることはできない、それはいつもあなたの内にあるからだ。

   

あなたはサットサンガにやって来て、何も考えないで静かにしているようにと言われる。肉体、マインド、エゴ、感覚の活動についても考えないで静かにしているようにと言われる。そしてあなたは静かに平和でいることができる。ここでは、静かにすること、マインドからどんな思考も湧き上がらないようにすることを学ぶのだ。

 

そうすると、言いようもない幸福を感じるようになるだろう。あなたの内なる幸福が顔に現れるだろう。あなたが幸福なときあなたの顔の表情は完全に変わるものだ。そして、あなたの顔を見た誰もが幸福になる。

   

 

湧き上がって来るこの悲しみはよい兆候だ。何世にもわたって蓄積された悲しみがハートの底で触れられずに存在していた。この悲しみはあなたの肉体の一部になってしまってそれから離れて存在できない。

 

グラスの水の底に沈んだ塵のように。この悲しみは悪行や不正な活動の結果としてハートに蓄積されている。あなたが今悲しみを感じているのはサットサンガがそれを取り除く為にかき混ぜて表面に浮かびあがらせている為だ。全ての人のマインドがサットサンガで緊張して、何年も気づかずにいたものが表面に現れてくるのだ。

 

しかし、浮かびあがった悲しみはサットサンガにいることはできないのでそれは溶けてしまう。事実は苦しみや悲しみがあなたをここに連れて来たのだからそれに感謝すべきだ。

  

 一度自分の真我を知ったなら悲しみの全てはたいした問題ではなくなる。今、不運だと感じているかもしれないが、あなたは非常に幸運だ。すぐに過去に影響されなくなる。背負って来た重荷も忘れてしまうだろう。あなたは「今」にいてそれを知るだろう。

 

 

 

Q: 私が感じているこの切望や憧れはいったいなんでしょうか? どのようにして私自身をこの切望にゆだねることができるのでしょうか? 夫に捨てられたことと娘の行く末を考えるととても耐えられません。

  

あなたは家庭を捨ててインドにやってきたのにまだ関係を乗り越えていないのなら、マインドを騒がせることになる。半分ここにいて、他の半分はむこうに居るなら、静かにしていることはできない。

 

いつか夫や子供たちとの関係は終わりになると理解しなければならない。あなたの夫があなたから去っていったことを感謝して幸せに思うべきだ。全ての関係は始まって終わりになるということを体験させてもらったのだから。

 

次の関係を求めるという愚かなことはしないだろう。今なら関係をのり超えて、「全てが一つだ」というところにいくのが簡単になるだろう。

 

 

第4章 サットサンガ:真理との交流 終了

 

 

 

用語解説

 

*1ラーマヤナ  悪魔ラバナに誘拐されたラーマの妻シータをランカから救いだしラバナを滅ぼす物語。

  *2バシスタ  聖人、ラーマのグル。

  *3カルマ  因果応報

 

 

 

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