「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

 

〜SRI H.W.L.POONJA

崎山綾子翻訳

 

 

 

第4章 サットサンガ:真理との交流  ☆Part1

 

(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)

☆Part2

 

 

  サットサンガとは、サット、真理との交流、

  唯一「それ」、愛そのものとの交流を保つことがサットサンガだ。

  真理といること、賢者といることがサットサンガだ。

  サットサンガには過去、未来は存在しない、

  「これ」とか「あれ」も存在しない、

  あなたの本質のみ、美の世界だけが存在する。

  サットサンガにやって来る人は幸福だ、

  神でさえサットサンガに出席する為に人間の姿をとってやって来る。

 

  グルの現存がサットサンガだ。

  サットサンガでのグルの役割は、

  役割はないということを示すことだ。

  あなたが「私は誰か」と問わないかぎり

  あなたは「部分」、破壊されるものになる。

  

  人間としてサットサンガに参加できるのは大変貴重でまれなことだ、

  「これは何ですか」、「あれは何ですか」と愚かな質問をすることによって

  サットサンガを無駄にしないことだ。

  ただ謙虚に「私は一体誰か?」と自問することだ。

  サットサンガでは注意散漫にならないこと、

  記憶や概念というロープで過去と結びついているのなら

  サットサンガの外にいる。

  時間は概念で、サットサンガは時間を超えている。

  ロープや概念のないところ、心が散漫にならないところ、

  説明の必要がないところにいなさい、

  これが真理だ。

 

  サットサンガというのは舌のない教師と頭のない生徒の集まりだ。

  頭を閉じてハートを開きなさい。

  真理は沈黙の中で明らかになる。

  ハートを開いて、唯一「それ」に注意を払いなさい。

 

  自由への強烈な欲望は開いたハートの中に湧き上がって来る。

  この欲望はサットグルが教えの種をまく土地の肥やしになる。

  サットサンガはこの開いたハートに降る雨滴だ。

  自由の近くにいる人達には指導が必要だ、

  暗闇にいる人や、光の中にいる人には必要ない。

 

  サットサンガだけがあなたを苦しみから連れ出すことができる。

  サットサンガがあなたは常に静寂であったと明らかにするからだ。

  サットサンガとは「私は何々です」というのではなく

  真我としてとどまることだ。

  どのようにあなたが束縛されているのかと訊ねるのがサットサンガだ。

  サットサンガは束縛と傲慢さの根っこを断ち切ってしまう、

  少数の人が直面できるマインドの死だ。

  平和は記憶やマインドの中に住んでいるのではない、

  「ここ」に、唯一「ここ」にある。

  平和があなたの本質だ、

  サットサンガがあなたにそれを思い出させる。

  怒り、悲しみ、混乱に燃えている時は

  サットサンガの川にまっすぐに走って行きなさい。

 

  三つの道がある:知識、神への愛、ヨガ。

  このサットサンガでは唯一、知識:「私は一体誰か」という知識について話す。

  ヨガはここでは話さない、神への愛は全くここでは話さない。

 

  サットサンガであなたの疑問を取り除かねばならない。

  疑いだけがあなたを自由から遠ざけているのだから。

  ハートに住む疑いの蛇は、サットサンガで殺される。

 

  サットサンガとは、信念、意図、考え、欲望、幻想を捨てることだ。

  これが自由に到る秘密だ。

  「創造」という概念がプルシャからやって来る。

  そして、「創造者」と他の全ての概念が共に創られた。

  これらの概念に対する執着のために概念が私たちの現実となる。

  唯一サットサンガでこれらを取り除くことができる。

  この苦しみを取り除く為には

  どんな犠牲を払ってもサットサンガに出席することだ。

  マインドを活用しないでいることがサットサンガにいることだ。

 

  サットサンガとは静かな、隠遁の場所という意味だ。

  これは内なるハートの中にある場所だ。

  みんな裸でサットサンガにやっておいで。

 

 

Q:私は2−3日しかここにいることができません。ここラクナウであなたと一緒にいて一番良い時間の過ごし方は何ですか。すでにあなたの存在に深く影響されて、物や体験に対する欲望はなくなりました。

    

 

対象物に対する欲望が落ちたということで十分だ。あなたの五感を通じて、世界の中で道に迷ってしまうものだ。魚は味覚の為に釣り上げられる。鹿はある音に引き寄せられて殺される。象は触覚の為に捕まって殺される。竹で覆った落とし穴の近くに雌の象の人形をおいておく。雄の象が雌に触れようとやって来て落とし穴に落ちて捕まるのだ。蛾は視覚の為に炎に向かって死んでしまう。

 

人間は分別の力をもち、自分の行動の結果を予測することができるので、感覚に溺れるという障害に打ち勝つことができる。人間は苦しみの代わりに平和を選ぶことができる。何千年もの間、人々が平和を獲得した方法はサットサンガを求めてグルのところに行くことであった。サットサンガで質問し、疑問の全てが解決する。そしてモクシャだけが残るのだ。

 

 

 

Q:質問がないということはよいことですか? 質問しないと私は何かを見逃しているのですか?

    

 

それはよくない。質問があるに違いない。さもないと自由を見逃すことになる。豚や犬やロバは何の質問もなく、そのために全てを見逃している。全ての人間は幸福になるための質問があるに違いない。

 

その質問とは何か? それは「私は一体誰か?」。この質問をしないとあなたは私がすでに名前をあげた動物の社会に属することになるのだ。この質問が究極の質問で、知性に満ちた人がこの質問をする。残りの人達はこの質問をしない。この質問をしなさい。そして自分自身でこの答えを見つけることだ。

 

 

 

Q:あなたの顔のない口づけを感じました。それ以来、かつての未知への不安が自由への招待に変わりました。

    

 

すばらしい! これが、サットサンガに出席している結果だ。非常にすばらしい経験だ。この教えはどんな本からも得ることはできない。サットサンガにいる時は顔なしでいるべきだ。そうすると頭のないグルが顔のないあなたに教えることができる。頭をもったグルには会わない方がよい。頭というのはエゴだ。サットサンガが起こるのはグルも弟子もエゴがないときだ。

    

 

 

Q:あなたは私に最も大切な宝物を下さいました。私は非常に感謝しています。

    

 

非常に多くの人々が自由の為に懸命に努力しているが、その人達は宝物は努力の真下にあるということを知らない。彼らに必要なのは、信頼できる人だ。真実の言葉で「あなたの努力の真下にゴールドがあるよ」と教えてくれる人だ。それが私がここで言っていることだ。それを信じる人はすぐに修練をやめ、努力をやめ、私の予測を越えた大金持ちになる。

  

  手に入れた全てのものは無くなってしまうが、

  「それ」は決して無くすことはできない。

 

 

 

Q:私は火事で私の家をなくした夢を見ました。私が消防隊を呼んだらあなたがその消防隊員だったのです。あなたは全てが燃えてしまうように、燃えている家をただ見つめているだけでした。

    

 

この夢の意味をある物語で説明しよう。貧しい小屋に住んでいたサドゥーの話だ。

 

彼は火を燃やして米を炊いていた。彼がしばらく小屋を離れて戻って来たら、小屋が火事にあっているのを見た。人々は水をかけて火を消そうとしたり、数少ない彼の所持品を燃えている小屋から引きずり出している。

 

サドゥーはこれを見て、引きずり出された彼の持ち物を再び火の中へ投げ返した。まもなく雨が降り始めた。雨が火を消していった。彼は近くの川からバケツで水を汲み、火に水をかけ始めた。近隣の人々がなぜ最初に彼の所持品で火を大きくし、今度は水で火を消そうとしているのかと尋ねた。

 

彼が言うには、「人生で一度は『火』が家を焼きつくそうとやって来る。私は火がやって来てとても嬉しかったので、火を困らせないようにこの火に全てを与えたのだ。今度は雨が降って来た。私は水を持って来て雨に親切にしたのだ。」と。

 

 

 全てを火の中へ投げ入れて燃やしてしまいなさい。あなたの過去への執着も含めて。現在と未来への執着でさえも燃やしてしまいなさい。全てが燃え尽きたら恩寵の雨があなたの上に降り注ぐ。何も残さないこと、そうすると恩寵が助けにやって来てあなたのめんどうを見てくれる。

 

今も、未来も、ずっと・・・。あなたは何も考える必要はないし、何もする必要もない。ただ静かにしていなさい、そしてどうなるか見てごらん。執着の薮を燃やしなさい、そうすると恩寵がやって来る。

 

この話は非常におもしろい。このおもしろさを理解できる人は数少ない。できる限り強く火を燃やし続けなさい。水が来たら、来させなさい。自由への欲望はこの炎で、恩寵は真我からの雨だ。

 

 

 

Q:私は無知の海で漂流しているかのようです。どうか岸まで案内して下さい。私は自由になりたい。この為に私はここにやって来たのですから。

    

 

全ての人が無知だ。しかし誰も自分が無知だということを知らない。全ての人が自分の成し遂げたことを誇りにする。これが世界というものだ。自分は無知だと知って私のところにやって来た。これで十分だ。

 

このサットサンガが海を乗り切る筏だ。あなたは何もする必要はない。この海について話す必要も全くない。静かにしていなさい。あなたを飲み込もうとするワニがいるのだから。数え切れない人々がすでにこのワニに飲み込まれた。今も毎日飲み込まれている。

 

誰も筏があるということを知らない。ただ、筏に乗り、静かにしていなさい。航海士がいてその人があなたの責任をとる。あなたは安全に岸にたどり着くだろう。

 

  

 実際にサンサーラの海は存在しない。

  それはただあなたの欲望だけで、

  欲望が静まると、何も存在しない。

  この海は恐ろしいワニや鮫でいっぱいだと知っているなら、それで十分だ。

  ワニは、対象、人物、快楽に対するあなたの欲望だ。

  一度これらの欲望を忘れてしまったら、あなたはとても安全になる。

 

 

あなたのように若い男性にはこれはよい忠告だね。あなたがサットサンガにいるのは嬉しいことだ。ここにやって来るもっとも相応しい年齢だ。ソクラテスでさえこう言っている。「神を知るには40才前がよい」と。ラーマクリシュナも同じことを言っている。

 

 

私自身もマドラスのマリーナビーチで興味深い観察をしたものだ。

 

私は丸土曜日とその夜は海辺で瞑想したものだ。朝方、漁師が2隻のボートから網を投げ入れ、輪をかいて網を閉めていくのを観察していた。観察するにつれ、ラーマクリシュナが言っている4つのタイプの人間を象徴するような4つのタイプの魚を見ることができた。

 

網を見たら触らないように決めてすぐに逃げる魚、これが魚、または人間NO.1。彼らは網にさえ入らない。スカデブがこの例だ。

 

NO.2の魚は網の内と外に何の違いも感じず、どちらにいようが全く気にしない魚だ。*1ラーマティルタがこの例だ。彼はラホールに住み、家族を持ち、数学の教授で世の中を楽しんでいたが、32才の時に全てを捨ててヒマラヤに行き彼の町へは二度と帰ってこなかった。このNO.2の魚も網を逃れた。これらは若い時に網を逃れた人々だ。

 

タイプNO.3、50才〜60才の年齢で網が閉じた後で網から飛び出すタイプだ。しかし私の観察によると、飛び出した魚の多くは空中でカモメや鵜に捕まる。数少ない魚が海に安全に着水した。

 

さて、4番目のタイプは自分自身の安全の為に網を口でしっかりと掴んでいる魚だ。(くすくす笑い)これらの魚が漁師が岸まで持って来る魚だ。これらの魚が毎晩食卓の上に現れるのだ。

 

岸につくと漁師は妻の助けをかりて魚を篭に入れる。彼らは喜んで感謝の気持ちでいっぱいだ。その感謝の気持ちから、彼らの生活の糧を豊富に供給してくれた海に数匹の魚を投げ返す。このように漁師の恩寵でこれらの魚は網から逃れた。2度目に漁師が数匹の魚を海に返そうとしたとき、妻が彼の手をつかんで十分だと言った。(笑)

 

 

このようにある人達は子供時代にこの網から逃れる、ある人は若いときに、ある人は年老いてから、私のように。しかし、私は網に掴まらずにそれをやり遂げた。白髪の老人も心配することはない。海に授けものとして確実に戻されるのだから。漁師はとても気前がいいからね。

 

 

 

Q:なぜあなたの本や写真や他のものがここで売られているのですか。サットサンガの純粋性を汚しているようです。

    

 

*2ハザラトガンジで買い物をするなら、あなたがほしいものを売っている店に行くだろう。もし靴がほしいなら服屋ではなく靴屋に行くだろう。さてサットサンガであなたの注意がここ、あそこと散漫するなら、あなたはサットサンガにやって来たのではない。あなたは「他」を批判する為に立ち寄っただけだ。もし、あなたが自由の為にやって来たのなら何も、他人でさえ目にはいらないだろう。

 

ここに来る人は自分の家が火事だという電話を受け取った人のようであるべきだ。彼はすぐに会社を去って、途中で友人に会い、昼食に誘われても家が火事なのだから決して行きはしない。代わりにまっすぐに家に帰って何ができるか考えるだろう。

 

だからあなたの家が燃えている時、あなたは批判している暇はないし友人の招待も受け入れないだろう。もし家が火事でないのなら、仕事が終わっても会社に居ることも好きなところへ行くこともできる。

 

「これ」は家が火事だというようでなければならない。普通の家はあまり問題ではないが「この」家が火事ならできるだけ早く火を消したほうがよい。あなたはいつ人間に生まれ変わって来るかわからないのだから。「自由でありたい」が火事だ。

 

 

Q:サットサンガで座っているだけで十分だとマインドは言いますが、私はあなたともっと良いつながりを持ちたい。どうしたらあなたの現存をもっと感じられますか?

    

 

座っているのは簡単ではない。マインドは静かにしたくないが、「わたしはここで静かに座る」とマインドに命令しなさい。あなたはこの戦いに勝たねばならない。座って、マインドが考えていることを見つめなさい。その性向を見つめなさい。どこから来てどこへ帰っていくか見つめなさい。

 

そうすると、マインドが過去の出来事や人や、対象物や考えに執着しているから、静かに座っていることができないのだとわかる。これらの執着が妨げになっているのだ。もし一瞬でも完全に静かに座ることができたらそれは大変貴重な体験になるだろう。私はあなたに一つ助言しよう。

 

  マインドが猿のように外に出たら連れ戻しなさい。

  また行く、また連れ戻す。

  また行く、また連れ戻す。

  このゲームを演じなさい。

  最終的にマインドは外に行かなくなるだろう。

 

 静かに座ってマインドが走り出さないように注意しなさい。走り出したら連れ戻しなさい。これをやりなさい。単にメガネを見るようにマインドを見るのだ。あなたはサットサンガにいるのだから、苦しみに導く古い習性を破る為にこの機会を利用しなさい。

 

  マインドは執着そのものだから

  過去に対するマインドの執着を取り除きなさい。

  そうするとマインドはノーマインドになる。

  執着を取り除きなさい。

  そうするとあなたは愛と平和の光を見つけるだろう。

 

 

 

Q:サットサンガに参加して一ヶ月が過ぎました。私の質問は答えられましたが、まだ暗闇にいるような感じがします。静かにしていることができないのです。静かになることはありえないと感じます。

 

  

あなたの国にいるなら、「静かになることはありえない」と言うことができる。これはあなたの国からの条件付けに過ぎない。過去を忘れてサットサンガにとどまりなさい。何も探さないことだ。あなたの自由への欲望は非常に強いので、「それ」はひとりでにやってくるだろう。あなたをここに連れてきた功績が役に立つ。ただ静かに座って何もしないことだ。

 

 

 

Q:静かに座っていることはできますが、私が背負って来た重荷が完全になくなったわけではありません。

    

 

あなたは頭の上の重荷を取り除かねばならない。200ポンド頭の上に乗せていると仮定して教師の所に行く。その教師がマインドから全ての概念を切り落としなさいと言うと、これはもっと重さを加えているようなものだ。

 

次の教師は他のことをするように言う。そうしてもう一つの重荷。ここでは何もする必要はない。修練なし、瞑想なし。ただ、私はあなたの頭を振って重荷を落とすだけだ。「私は自由だ」という為には頭を振って、議論や他のことを落としなさい。そうすると頭やマインドが軽くなる。

 

 

 

Q:ここにいる人々はとても違った顔つきをしている。この違いは何ですか。

    

 

ここでは全ての人が若返っている。世間では普通、心配が人を食い尽くす。世間ではこの心配という蛇に咬まれたことのない人は誰もいない。しかし、心配のない人は永久に若さを保ち、死は決してその人に触れることはないだろう。これが秘密だ。

 

心配しないこと。人はコブラに咬まれても助かるが、心配に咬まれたら生き残るチャンスはない。心配なしでサットサンガに来て座っている人は非常に若く見える。

 

 

 

Q:アイルランドにいる私の両親は一体全体、私がここで何をしているのかと心配しています。私は説明しようとするのですが、ここで起こっていることを両親に伝えることは非常に難しい。

    

 

両親の承諾なしにここにやって来て、そのことが今あなたの重荷の一つになっているらしいね。あなたはよくやった。あなた自身の為ばかりでなく、両親もあなたを通じて恩恵を得ることができるからだ。

 

ここで何も問題なくあなたは面倒みられているということを両親に確かに伝えなさい。ある両親はレベルの高い教育を受けさせる為に子供を外国の大学へ送る。これらの高いレベルの教育はよい仕事を勝ち得るかも知れないが、ラクナウでの教育はあなたに平和と愛を与える。そして、それをあなたの両親にも分かちあうことができる。

 

だからどんな状況にあろうともここにいなさい。両親が快く思っていないのならそうさせておきなさい。この状況の中で強くなくてはいけない。あなたの道を妨害する人々を納得させようとしないことだ。

 

戦いに勝つまで行進するのだ。この戦いはあなたと、皇帝でさえ勝つことができなかった強敵との戦いだ。この強敵とはエゴだ。彼女は弱々しくみえるが実は非常に強固だ。彼女はこの宇宙の全ての人を打ち負かして彼女の奴隷にした。しかし少数の人がこの戦いに勝つことができる。

 

私は家族を拒絶しなさいとは言わないが、「自由でありたい」という欲望を完璧に満たすべきだ。ここラクナウにいる間、この欲望だけを持っていなさい。そうするとあなたは「自由の人」としてどんな欲望にも戻っていくことができる。家族を助けたいと言う欲望も含めて。

 

次ページ(Part2)に続く

 

 

用語解説

 

*1ラーマティルタ 19世紀のインドの聖人

*2ハザラトガンジ  パパジが住んでいたラクナウという町の繁華街。

 

 

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