「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

 

〜SRI H.W.L.POONJA

崎山綾子翻訳

 

 

 

第3章 恩寵  

 

 

 

 

 真我の恩寵で自由への欲望が湧きあがる。

  神の恩寵でグルのところにやって来る。

  グルの恩寵で全ての疑問が取り除かれ、

  そして自由になる。

 

     私は自由でありたい」が最初の恩寵だ。

  自由そのものがあなたを呼んでいるのだ。

  この欲望があなたをこの欲望の源泉へ連れていく、真我へ。

  他の欲望の全てはこの欲望の火の中で燃えてしまうだろう。

 

  全てのマスターと真我の恩寵であなたは自由に到り着いた。

  この事実や自由について決して疑わないことだ。

 

  恩寵はグルと恩寵に価する弟子との間に存在する、

  他のどこかでそれを手に入れることはできない。

  この恩寵は世界中で匹敵するものがない。

  恩寵はそれに相応しい弟子にのみ与えられる。

  

 それに相応しい弟子というのは純粋なハートを持ちグルに献身する弟子だ。

  真理は神聖な人を誉めたたえる。

  あなたが神聖なら、グルはあなたを受け入れて

  彼の恩寵をあなたに授けるのだ。

 

  

 

自由を選ぶのはあなたではない。恩寵があなたを自由の獲得の為に行かねばならないところ、サットグルに連れて行くのだ。恩寵があなたに必要なもの、自由の道か、献身の道かを与える。恩寵があなたに必要のないもの、思考と欲望を取り除く。恩寵なしにサンサーラの荒波を乗り越えることはできない。恩寵なしに覚醒はない。

 

この平和と愛は苦行や瞑想によって得ることはできない。しかし、もしグルがあなたに満足したなら、グルの慈悲によって恩寵の*1プラサードをあなたに与えるのだ。そしてあなたの探求の旅は休息と共に終わる。それは贈り物だ。

 

恩寵を要求することも命令することもできない。神はあなたの欲望を満たすことができるし、天国に連れていくこともできる。しかし、彼らはあなたに恩寵を与えることはできない。

  だから、注意して何が恩寵で何が恥辱かを知りなさい。

 

王が彼の妻に王国を与えるのは恩寵ではなく、彼の他の目的を満たすためであって、これは恥辱だ。このようにあなたが世界から得るものはすべて恥辱だ。

 

 

 

Q:いつも真我の恩寵を感じて私の人生を過ごしたい。

    

 何をしていようともこの欲望を持ち続けることができる。これはあなたの仕事の邪魔にはならない。ここで学んだことはあなたがどこへ行こうともあなたの内に定着している。ラクナウにいようが、ヒマラヤの洞窟にいようがサンフランシスコのスーパーマーケットにいようが問題ではない。

 

そこに何の違いもないということを知ったなら、幻想の海を一つ乗り越えたと言える。「ここ」から始めなさい。あなたの行きたいところに行き、あなたの好きなところにいなさい。

 

 

Q:私はあなたをとても愛しています。この愛は私の真我に対する愛だと知っています。あなたを通じて光り輝いている恩寵と知恵に感謝いたします。

 

 あなたは大変美しい。I LOVE YOU、これが私が言える全てだ。もし、誰かが私を愛するなら、その人は私のハートの中に座っている。私を愛する人は私のハートに座って私と親密になる。私を愛する人はこれ以外にすることは何もない。この愛には恐れがない。そして決して消えることはない。

 

 

 

Q:あなたの恩寵で起こるべき全ては起こっていると確信しています。このおかげで私自身の深まりを感じています。この恩寵は肉体的にあなたに近づけば近づくほど強くなるのですか? もっと得やすくなるのですか?

    

 

恩寵については肉体的にグルの近くにいようがいまいが違いはないが、グルの肉体的現存が得られるのならグルの近くにいたほうがよい。この半世紀にほとんどの賢人や聖人は肉体を離れてしまったので、もしグルの現存が得られるのならその現存を最大限に利用しなさい。

 

グルの現存の中にいると疑問がわきあがる。それをグルに尋ねることによって明らかになる。もし現存が得られないときは、疑問が即座に明らかにされないので真理を信じるのが難しくなる。

 

  グルの現存を最大限に役立てなさい。

 

 恩寵に対してはグルがいるかいないかは問題ではない。たとえばブッダ、多くの人が決して彼に会ったことはないがその恩寵を得ている。しかし、カシャップやアナンダのようにもし多くの人々がブッダの時代にいたら、彼の現存の恩寵を楽しんだに違いない。

 

ブッダのニルヴァーナの日、彼の肉体に死が近づいていた。その時ある男がブッダに会いに来たが、「ブッダは今すぐにも肉体を離れるだろう」と弟子達に拒否された。しかし、ブッダはその男に会って瞬時に彼の全ての疑問を明らかにした。そして、ブッダの息が永久に止まった。

 

ブッダの現存によって500人以上の人が悟りを得た。まさに最初の彼の説教から人々は悟った。今日、いまだに何億という人々がブッダの恩寵を得ている。もし、あなたがグルといられる機会があるのなら、決してそれを見逃さないことだ。

 

 

 

Q:時間と空間は幻想で、恩寵は真理だということを知っています。だから、恩寵は時間と空間を超越すると言ったほうが私には意味をなします。

    

 

これは正しい。時間と空間はない。それはマインドの概念で、それが超越されたとき、それは消えてしまう。その時あなたは全てを成し遂げて、これ以上何もすることはないと確信しなければならない。悟ることが人間として生まれて来て唯一達成する価値のあることだ。

 

 

 

Q:私があなたの近くにいると大きな変化を感じます。これが恩寵の本質についてもっと知りたい理由です。

    

 

恩寵の本質は悟らせること、生と死の輪廻を止めること。

 

 このことを完全に信頼しなければならない。あなたは再び生まれて来ないということを知りなさい。さらにこの現在の誕生は幻想だということも知りなさい。

 

そして、世界の全てが、太陽や月や星も含めて、幻想だということを明確にしなさい。世界は本当に存在すると考えると世界は本当になるのだ。何も考えないとき、目に見えるものは何もない。

 

あなたがここにいて、私があなたの質問に答えられるのは嬉しいことだ。

 

 

 

Q:「降伏」の過程で果たす恩寵の役割は何ですか?

 

 

恩寵のみでサットグルに、あなたの真我に降伏できる。あなたの努力でできるものではない。だから、グルを満足させ喜ばせなければならない。そうすると、グルは幸福であなたに恩寵を授けるのだ。この恩寵であなたは全てをグルに明け渡すのだ。これを唯一降伏というのだ。

 

あなたのマインドと努力を使っては降伏できない。内なる何かがあなたを降伏させるのだ。あなたは神の手の中の道具になるだろう。神が働いているのだ。神の意志を実行させなさい。

 

全ての人は「私の意志」を実行したい。彼らは「これが欲しい、あれが欲しい」という、しかしこの意志は90年ほど続くだけだ。そして最終的な恩寵はあなたが降伏したときやって来る。これが恩寵だ。他に道はない。

 

 

 

Q:今の私はこんなに平和で、こんなに幸福で、私はこれに価するでしょうか?

    

 

ほんの少数の人々が最高潮に達した後でこの質問をする。これはおそらくインド式だ。西洋の人は非常に傲慢で彼らは決してこの言葉、「私はそれに価しますか」とは言わない。その変わりに「私はすでにそれを知っています」、「私は私の質問に対するあなたの回答が何であるか見当がつく」、私は毎日これを聞いている。これをプライドというのだ。

 

しかし、ある人々はグルの言葉を聞いた後で感謝して彼の足元にひれ伏す。これは*2ハヌマンのようだ。彼は「私は決してラーマ神の恩寵に価しない」と言い張った。

 

ハヌマンは海を飛び越えて悪魔ラバナのいるスリランカに火を付け、ランカの平和を取り戻し、誘拐された*3ラーマ神の妻シータを連れ戻した。

 

ラーマ神は彼に言った、「ハヌマンよくやった。お前はすばらしい。他に誰が海を飛び越えてこの仕事をし終えることができたか? お前は勇敢な奴だ。」

 

これを聞いたハヌマンは彼の手を合わせ、ラーマ神に敬服し、彼の回りを3回まわった。そして彼は一言言った。「グルクリパ」、神の恩寵という意味だ。

 

「私は一体誰だというのですか、私はただの猿にすぎません。その私がどうして海を飛び越えて、この悪魔と戦えたでしょうか? あなたの恩寵によってのみこれを成し遂げることができたのです」。

 

 

 

Q:恩寵とシャクティパットの違いは何ですか?

 

 シャクティパットとはその人が持っている色々なパワーをあなたに伝達することだ。

彼らがパワーをあなたに伝達するのでどんな修練も要らない。

 

 

 

Q:あるグルからシャクティパットをもらいました。それは私を大変静かにさせて,チラム(大麻パイプ)を三回吸ったときのように酔っ払いました。

 

 

ハザラトガンジのガンディーアシュラムの裏手にまわると1ルピーでハッシシが手に入るのになぜグルのところに行くのか? このハイな状態は3時間続いて,また次の一服を取ることになる。

 

同じように、真理の知識なしにシャクティパットを受け取るとグルと弟子の関係がディーラーと常用者の依存の関係になる。何かに依存する習癖を養うべきではない。あなたはそれらとは何の関係もなくそれらから何も得ることはない。ここでは伝達やシャクティパットはない。起こるべき全てはあなたの内で起こる。

 

     誰もあなたにマインドの平安を与えることはできない、

     それはすでに内にある。

     あなたのものである平安をあなたに与えるのは親密さだけだ。

 

 私は何も伝授しないし、シャクティッパットは与えない。私がやっていることは何かに対するあなたの依存心を取り除くことだ。何にも依存しないとき、何が起こるだろう?あなたは何も失うものがない。

 

神や手段や他人に対する依存心を単に取り除きなさい。そうすると「それ」が光り輝き、それ自身ですがたを現わすだろう。「それ」を失うことはない。これがここで得られる明晰さだ。

  

他人から平和を得ることができるというマインドの混乱と観念を取り除きなさい。与えられたものは必ずなくなるのだから依存しないこと。何にも依存しないとき、どんな手段も使わずにそれはそれ自身で現われる。グルにも依存しないことだ。

  

 

 

Q:グルの恩寵とは何ですか。

    

 

あなたをここへ引っ張って来たものが恩寵だ。内なる神があなたの欲望を満たすためにその場所にあなたを連れていく。これが恩寵だ。あなたが自由を望んだので、恩寵があなたをここへ連れて来たのだ。

 

 

 

Q:何が恩寵を受けることを妨げているのでしょう? ある人達のハートや人生は恩寵に満ち満ちているのに、ある人達は不幸にも恩寵に恵まれていないようです。

    

 

恩寵を受けることを妨げているものと、自由への到達を妨げているものとは同じものだ。

 彼らは他のところを見て捜し求めるのを止めず、平和に降伏していない。彼らがサットサンガにいても外のものを見ていて内を見ないのだ。

 

あなたはあなたのマインドのある所にいる。教室にいる生徒が夜のスポーツゲームの試合のことを考えて球場にいるようなものだ。あなたはあなたのマインドが考えるところにいる。だからサットサンガにいる間、マインドをあなたの真我に降伏させ続けたら恩寵を得るのに時間はかからない。

 

 

 

Q : あなたの恩寵に感謝します。水曜日にアメリカに帰ります。私の時間をラクナウで過ごすより、私のビジネスの世話をするために・・・

 

  

アメリカに帰ることがあなたにとって良いことだと誰が決めたのかね? 誰があなたをここに、サットサンガに連れてきたのかね?ビジネスの世話をしていたあなたを誰がここに連れてきたのかね? あなたをここに連れてきた人とビジネスのためにアメリカに帰りたい人との違いは何かね?

 

 

Q : 違いはないとおもいますが・・・

 

 (怒ったように)いいや、そこには大きな違いがある。あなたは仕事で忙しくしていたが、ともかく誰かの恩寵とあなたが積んだ過去世と現世の功徳のおかげで、この誰かがあなたの全ての活動を取り上げてここに連れて来ようと決めたのだ。

 今、あなたを連れ戻そうとしている誰かは、この同じ誰かなのかエゴなのかを見極めなければならない。「私は子供たちの世話をしなければならない」というのはエゴの誰かだ。全ての人のするべきことを決める誰かではない。

クナウを去るのが良いか留まるのが良いか、どうして分かるのかね? 本当にあなたの仕事の世話をしているのは誰だと思うかね? あなたが活動するための力や知性を誰が授けるのかね?

  

多くの人たちが「今日、帰ります」といって肉体は去っていくが、ラクナウからアメリカへこの肉体を連れて行くために肉体を操作しているのは誰か? 世話をしているのは肉体か、それともマインドか? マインド、肉体、感覚器を活動させているのは誰か?その人は誰か? 

私たちには分からないのだから、その至高の力に降伏しなければならない。行かなければならないのなら、行かなければならない、留まらなければならないのなら、留まらなければならない。違いがあるべきではないが、あなたが決めることではない。多くの場合、人々が決定したら、その決定が実現されたためしがない。

  

 

二年前、デリーに住む友達が彼の弟と一緒にハリドワールにいる私に会いに来ることになっていた。彼の弟は衣服を製造する工場をイギリスにもっていた。行く間際になってこの弟はハリドワールまでの急ぎの旅をするには忙しすぎると言って、ビジネスの世話をするためにロンドンに戻った。

弟は次にインドに来たときに必ずハリドワールにいるマスターに会いに行くと約束した。四日後にデリーの友達から電報が来た。クシャガートで私に会いたいと。クシャガートは死後の儀式を執り行い,死者の灰をガンガー(ガンジス河)に流す場所だ。

そこで彼は私に会った。小さな包みを見せて、「これが次にインドに来たらハリドワール行くと言った弟です。これが遺灰です。どうか、弟の魂を祝福してください。そして彼をガンガーに流します」。弟は心臓麻痺でロンドンで亡くなったのだ。

  

 次の瞬間に何が起こるか誰にもわからない、だからあなたには時間がないのだ。ことを決定するあなたの内なる至高の力に降伏するのがよい。「それ」に決めさせなさい。しかしあなたが「私は行かねばならない」というとき、この「私」は、いつもそこにいてすべての活動をつかさどっているその「私」とは違うものだ。

 

至高の力に降伏すると「それ」はうまくあなたの世話をし、間違いが起こることはない。あなたのビジネスでさえうまくいく。「それがビジネスをしている」あるいは「ビジネスをしているのは私だ」、あなたは「それ」を採るか「私」を採るか決めなければならない。

  

ここにいる人たちは「ここを立ちます」と言うが、すぐに空港から戻ってくる。これが2・3回起こる。これはここに彼らをつれてきた「その人」がここに彼らを引きとめようと決めたと言う意味だ。だから彼らはここを離れることができない。

 

 

 

Q : 私への特別な助言をいただけますか?

 

あなたの活動の全てを司っている至高の力に降伏しなさい。あなたが全く活動をしていないとき、それが静かにしている「それ」だ。降伏したなら、ここにいようがいまいが何の問題もないだろう。

 

 

 

Q : 真我が現れたとどうしてわかるのですか? どうすれば真我に現れてもらえるのですか?

 

 それはあなたの選択ではない。聖典ウパニシャッドに書かれているように「私が選んだその人に私自身を現す」。あなたの選択ではない。真我の選択だ。それがそれ自身にそれ自身を現す。

 

 

Q : そのようにあなたが私を選んで欲しい。

 

 あなたはすでに選ばれたのだ。隣人が呼んでもあなたはやって来ないかもしれない。私が呼ぶと世界中から人々がやって来るのはどうしてかね? 私が彼らを呼んだことをここに来て初めて理解する。

  

  全ての人がわたしの内にいる、誰もこのことが分からない。

  呼ぶ人と呼ばれた人は同じだと言うことが分からない。

 

 選ばれた人にはこれが分かるに違いない。全ての人が苦しみ死んで行くが、この守護者を信じるなら苦しみは破壊されるだろう。

 

 

 

Q : 自由を得る方法はないのですか?                            

 

 手段や方法はない。ただ静かにしていなさい。方法は過去に属する。あなたのマインドに浮かぶ全ての方法は誰かから聞いたものだ。方法は忘れてしまいなさい。

 

 

 

Q : 西洋まで恩寵がついてくるでしょうか?

 

  ここに恩寵があるように、そこにもあるだろう。

  彼女を愛するなら彼女は離れないだろう。

  彼女は世界中でもっとも貴重な人だ。

  彼女以外に幸福を与えてくれるものは何もない。

 

 

第3章 恩寵 終了

 

 

用語解説

*1プラサード  神、グルからの贈り物、授け物。

*2ハヌマン   猿の神、ラーマの献身者。

*3ラーマ   ヒンドゥの神。

 

 

 

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