「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

 

~SRI H.W.L.POONJA

崎山綾子翻訳

 

 

 

 

第11章 精神修行について:存在は修行で達成できない ☆Part1-c

 

 

(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)

☆Part2☆Part3

 

第11章は全体が長大なので、小見出しごとに☆Part分割したファイルを更に、a,b,c...と細分割して掲載します。

[a][b][d]

 

 

 

 

 

 

 

前ページ(Part1-b)からの続き・・・・

 

 

探求、修行、過程という罠

 

 

 

 

Q:私は20年以上も精神修行をやってきましたが、新しい概念を追い続ける中で全てを見失ったように感じます。私はこの全てに飽き飽きしています。どうか私の本性を示して下さい。私は苦闘に疲れました。

 

 

 悟りに苦闘は必要ない。あなたの観念を持ち続けるには苦闘が必要だ。

 例えば、「神の息子」があなたに平和と幸福を与えてくれると考えているかも知れないが、これは起こらないだろう。この「神の息子」は過去からの概念だ。

 あなたが読んだ全てのこと、あなたが聞いた全てのことを忘れなさい。あなたの両親はキリスト教を信じていて、キリストによってあなたは救われると教えた。この古い人々のこの愚かな概念の全てから抜け出しなさい。勇敢でありなさい、そして、単に静かにしていなさい。

 そうすると全てが終わりだ。この静けさの中で平和を見つけなさい。何世紀にも渡って礼拝に参加することで平和を見つけることはなかった。私は修道院にいる多くの僧や教会にいる人々に出会ったが、彼らはいまだに2000年前の古い十字架にぶら下がっている。彼らにはマインドの平和はない。

 ここラクナウで内なる真我の中に平和を見つけなければならない。即座に「神の息子」の全ての概念を取り除くことだ。それをすることができる。ただ、それについて考えないことだ。

 

 

Q:考えることは重荷です。

 

 考えると全てがやって来る、考えないとあなたはあなたの「真我」と一緒にいる。

 今やりなさい、マインドの中に誰かに対する愛があるのかね? 誰が愛する人で、誰が愛される人か?

 

 

Q:それでは真我を実現するのに精神的な修練は必要ないのですか?

 

 あなたが何かを見逃していると考えるなら、修練が必要だ。例えばあなたがエンジニアになりたいなら、修練して大学で7年間過ごさねばならない。そしてエンジニアの博士号を得るのだ。

 しかし、ここでは「それ」はすでに「ここ」にあるのだから、修練する必要はない。あなたが獲得したものはいずれ失くすだろう。しかし、すでに「ここ」にあるものは、ただ見るだけでよい。

 「私」は一体何か? 誰か? 見てごらん。何らかの方法を通してそれを見つけないことだ。マインドは何億年もの間騙し続けたのだから、マインドに決して耳を貸さないことだ。ただ、静かにしていなさい。そうすると、それはそれ自身でそれ自身に姿を現す。

 マインドは全く必要ない。マインドはあなたを騙すものだ。王や皇帝でさえもマインドに幸福ではない。マインドがないとき、唯一あなたは幸福だ。

 眠るとマインドは不在で、あなたは幸福だ。夢の中や目覚めの状態の中では全ての関係性が存在する為にあなたは幸福ではない。眠っているときは平和に満ちている。

 しかし「それ」は、それらの全ての状態を越えている。眠りを越えた所にいるのは誰か? 眠りの状態の中で幸福を経験しているのは誰か? あなたは「それ」だ。

 あなたが今持っていない何かを手に入れる為には修練が必要だ。もしボクサーになりたいのなら、リングに上がる前にボクシングのやり方を学ばねばならない。修練は何かの不在を後々に達成することを想定している。

 

 

   真我はあなたと一つだ、

   だから、それを獲得するのに修練は必要ない。

   真我はいつも存在する!

   修練は後に、未来に何かを延期することだ。

   だからあなたの真我を知るために修練は不要だ

   修練の概念を捨てて静かにしていなさい。

   ただ静かにしているだけで、全てを成し遂げることができる。

   何も頼まないとき、全てがあなたの所にやって来る。

   しかし、あなたが何かを追いかけるなら、

   何もあなたの所にやって来ないだろう。

   だから、唯一静かにして何が起こるか見てごらん。

 

 

 多くの人たちは世界中のアシュラムやセンターで修練やセラピーを充分やってきた。しかし、ここでは何も教えない。あなたはいつも自由である「それ」だと告げるだけだ。

 どうして自由に「なる」ことができるのかとあなたは尋ねる。真我はすでに「ここ」にある。いつも無変化だ。しかし、あなたは違いがあると考える。

 頭の中のこの違いの概念は取り除かれるべきだ。マインドから全ての概念を取り除きなさい。過去にしがみつく記憶を取り除きなさい。記憶の中に入って何かを切望するというのは役に立たない。

 

  ほんの一瞬 静かにしていなさい。そして、あなたは誰か見てごらん。

 

 眠りたいときどんな修練が必要かね?

 

 

Q:修練はいりません。

 

 このように眠るべきだ。これはクリシュナからの処方箋だ。

 

  まわりの世界が眠っているとき、あなたは目覚めていなさい。

  まわりの世界が目覚めているとき、あなたは眠り続けなさい。

 

 これは何という処方箋だ! 宇宙が目覚めているとき、あなたは眠り続ける、これは宇宙が望んでいるもの全てに対して「眠る」べきだという意味だ。

 これらのもの全てを望まないことが「眠り」と呼ばれるのだ。「世界が眠っているとき、あなたは目覚め続ける」は、あなたの「真我」に目覚めているという意味だ。真理の秘密に目覚めていること、「私は真我」だ。

 しかし、世界は、この秘密に対して眠り続けている。これは非常によい処方箋だ。全世界が眠っている、しかし賢者は目覚めている。彼は全てが夢だと知っている。

 全ての人が下流に向かうときは、あなたは上流に向かって行くのだ。それは難しいし、ガンガーの上流に泳いで行く同伴者はいないかも知れないが、あなたはそれをやり遂げることができる。

 この宇宙の流れは下流に向かって全ての人を連れて行く。この流れに逆らって行くには「私はやるぞ」という決意の力が必要だ。これで充分だ。

 

 

Q:私はクリヤヨガを修練してきて、いくらか平和を見つけました。しかし…

 

 いくらかとはどういう意味だ。あなたは何も平和を見つけていない。平和は少しずつやって来るのではない。それがやって来るときは、一度にあり余る程にやって来る。

 そしてあなたを滅ぼして、平和そのものにしてしまう。個性というものは無くなってしまう。平和は全力であなたに襲いかかる。

 

 

Q:私は平和の中に深く入って行きたいだけです。

 

 平和は充満しているので深さには全く関係がない。それがやって来るときはやって来る。やって来ないときはやって来ない。

 

 

Q:あなたは悟りが起こる前に強烈なサーダナをしています。マインドを純粋化する為にサーダナをしなければならないという意味ではないのですか?

 

 修練によってどうしてマインドを純粋化できるのかね? このグラスの中の水を見てごらん。そこに不純物があるかね? 不純物は何か見慣れないものだ。

 水は純粋そのものでゴミがその中に入ったなら、水を篩いに掛ければ水は出てきてゴミは残る。これが私があなたにするように言っていることだ。

 根本的にあなたは水のように純粋だ。純粋である為に何もする必要はない。何か他の要素が水の中に入った、これが執着だ。すでに自由である真我から執着を篩いに掛けるだけだ。

 

  元々あなたであるものに「なる」ことはできない。

 

 だから、修練することによってあなたの元の状態に戻ることはできない。「あなた」が元の状態だ。それとは異なるものに触れないことだ。

 異なった実体は永遠でない何かに繋がっている。これを取り除きなさい。そして何が残っているか見てごらん。それがいつもあり続けたものだ。

「これは私のもの」「私は彼のものだ」は執着だ。この種の思考はあなたの道にやって来るべきではない。

 自由はすでに「ここ」にある。もし何かを勝ち取ったとしたら、それを得る以前は、そこにはそれがなかったという意味だ。そして、それを得たのならそれを失くすことになる。手に入れたものは必ず失くすものだ。

 

 

  いつもあなたのあるがままでいなさい。

  そして永遠でないものに触れないことだ。

  マインド、肉体、感覚、これらは永遠のあなたに属さない。

  

 

 

 事物に触れないとき、あなたはいつも自由であったと分かるだろう。自由は修練して勝ち得ることはできない。修練は一時的なもの、形あるものを持たらすだけで、永遠の自由は持たらさない。そこになかったものがそこにあるはずがない。

 

 

  ここにあるものはいつもここにある。

  これに対する確固とした信念が悟りだ。

 

 

 

次ページ(Part1-d)に続く

 

 

 

 

 

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