「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

 

~SRI H.W.L.POONJA

崎山綾子翻訳

 

 

 

 

第11章 精神修行について:存在は修行で達成できない ☆Part3

 

 

(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)

☆Part1☆Part2

 

 

 

 

 

 

 

 

前ページ(Part2)からの続き・・・・

 

 

 

宗教・伝統・アシュラムの罠

 

 

 

 宗教や伝統やアシュラムはすばらしい目的で始まるが、利益や名声を欲しがる人々の手に落ちると堕落する。

 悟りはこれらの宗教の着物ではない。歴史を通じて分かるように、宗教の仕事は恐れと死だ! 地獄と死への恐怖を無信心者に与えることだ。宗教から地獄を取り除くと宗教ではあり得ない。

 宗教は恐怖と偽善だ! 恐怖が宗教のまさにその基盤だ。宗教は自由への妨げになる。宗教は「私は自由だ」さえも禁止した。あなたは自由なのだから、それらから去ってしまいなさい。

 

 

  あなたは完全に「今、ここ」にいる!

  羊の囲いは必要ではない。

  どんな宗教も必要ではない。

  あなたはいつも自由だ。

 

 

 

 

Q:内なる道を進んで行くのに踏むべき慣習や伝統があるのですか?

 

 

 

 内なる道には伝統はない、伝統は全く必要がない。

 

  外側の慣習は外側だ。

    内なる道と何の関係もない。

    伝統は外側で、物質的で、観念的だ。

    内側ではただ、静かに座るだけだ。

    そして、マインドが外側に触れるのを許さないことだ。

    このようにほんの一秒、座ってごらん。

  そうすると、人生の目的は満たされたことになる。

    マインドをどんな慣習にも触れさせないことだ。

    そうするとサンサーラとは縁がない。

 

 

 

 

Q:緑の目をしたヒョウが私を食べた夢を見ました、私は羊の姿をしていました。それは真我が私の羊のような精神状態を解放してくれたのだと悟りました。

 

 

 

  世界の全ての人はいつも羊飼いを探している羊だ。この羊飼いは普通、ある宗教の創設者だ。あなたはカトリックの神父だからこれが分かるだろう。

 羊飼いは羊が囲いから外に出るのを許さない。だから羊は羊として滞まるのだ。しかし、ある羊は羊飼いや番犬や牧師から逃げ出して、もはやコントロールされることはない。

 これらの宗教の伝統の中でもりっぱな聖人や真理を説いた聖人がいたし、聖典にはよい事が述べられている。しかし私が見たところでは、それらから恩恵を受けている人はほとんどいない。

 宗教の障壁を越えて、あなたがここにやってきたのは嬉しいことだ。あなたは独立した人としてここにやってきた。あなた自身を知るには独立した見方と理解が必要だ。

 真理は「今」にあるのだから、過去に読んだり、聞いたりしたことに依存しないことだ。「今」、あなた自身を解放しなさい。そうすると聖人が言ったことや書いたことを理解する事が出来る。

 

 

 

 

Q:宗教を通じて真理を見つけることが出来ますか?

 

 

 

  どんな宗教を通しても最終的には真理を見つけることはできるが、真に神を愛して、熱心で、真剣で、正直であらねばならない。真理を見つけるということは教会や寺院に行くこととは何の関係もない。そこに神を見つけることはない。神は唯一あなたの内に存在するからだ。

 宗教は人々に恐れを与える以外に人間の生活に役立つことはない。だから宗教なしで生きるのなら、少なくとも恐れを持たずに生きられる。自立して生きなさい、あなたの為にはその方がよい。

 宗教の神は、あなたの安心の為にあなたが創り出した守護神にすぎない。あなたが創り出した恐れや欲望や所持品の世話をしてもらうためだ。

 

 

 

 

Q:精神的な共同体は階級制度、支配制度、形式で満たされているように思えます。これは自由であることと矛盾しているように思えます。特にマスターのまわりでは階級性と力の闘争が当然のことのように起こっています。

 

 

 

 あなたは自由を経験した。しかし今、他の人々を監視し、何が良い振る舞いで何が悪いことかと判断し始めたのだ。

 

 

    自由の経験といっしょにいなさい。

    他人の不適性な振る舞いを見ないことだ。

    さもないと完璧な自由への機会を失うことになる。

 

 

  他の人が何をして何をしていないかということに巻き込まれて、自由を背景に押し込まないことだ。彼らがやりたい事をやらせておきなさい。それが何であろうとも彼らのカルマの中で行なっているのだ。

 彼らを阻止するあなたは一体誰か? 他人の欠点を見つけるのにどれ位時間をかけるのかね? 100年間? 人々はいつも間違った振る舞いをするものだ。

 それらを判断することであなたは何度も生まれ変わって来なければならない。それには終わりがない。あなた自身の面倒を見てあなたの目的を遂げるほうがもっとよいことだ。

 

 

    あなたは確かな目的の為にやってきた。

    ここ、あそこと見まわさないことだ。

    ただ、静かにしていなさい。

    あなた自身のことだけ気にかけなさい。

    他人はするように運命づけられていることをやっているのだ。

    この過程に指を突っ込むことは出来ない。

    それは人々を自由に導く方法を知っている非常に賢い人の仕事だ。

 

 

  あなた自身のめんどうを見なさい。真我を体験したら再び全てを忘れてしまいなさい。あなたが聖人と一緒にいようがいまいが、究極の欲望は自由であるに違いない。

 自由に無知な人々と一緒にいると道に迷うものだ。あるアシュラムは適切な運営をしているが、ほとんどのアシュラムは社交に興味があるだけで、人々は静かに座ることがない。

 あなたのいるアシュラムの状況があなたに平和を与えるかどうか見なくてはいけない。単に他の人と雑談したり、交友したり、本を読む事があなたの為に役に立つとは思わない。

 

 

    静かに座っていることが最も重要だ。

    これをしないで時間を無駄にしないことだ。

 

 

 

第11章 精神修行;存在は修行で達成できない 終了  

 

 

 

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