「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

 

~SRI H.W.L.POONJA

崎山綾子翻訳

 

 

 

第10章 空家の盗人 ☆Part5

(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)

 

☆Part1 ☆Part2☆Part3☆Part4

 

 

 

 

 

前ページ(Part4)からの続き・・・・

 

 

 

怒りと不満

 

 

  怒り、貪欲、執着、嫌悪はマインドの病気だ、
  それらは瞑想を、あなたは誰か知ることを、不可能にする。
  怒りが起こって来るのは、唯一、二があるとき、そしてこの二元性がエゴだ。
  怒り、貪欲、偽善、肉欲、嫉妬、これらは全て戦場での強大な敵軍だ。
  
  しかし、エゴを征服しなさい。
  そうするとこれらの全てを征服することになる。
  怒りや貪欲や肉欲に巻き込まれないことだ。
  これらはエゴで、あなた自身、これらに巻き込まれないことだ。
  貪欲に興味があるなら、自由に対して貪欲になりなさい。
  怒るなら、神に怒りなさい。
  そして肉欲が消えないときは、あなたのハートとの一体を望みなさい。

  マインドの川の流れをダムに蓄えることで阻止しなさい。
  そして、疎水として流しなさい。
  さもないと、怒りと貪欲の洪水でダムが壊れるだろう。
  疎水は正しい方向に流されなければならない。
  そうすると、怒りや貪欲や悲しみは害なく流されるだろう。
  それらをやってこさせなさい。やってきたら、忘れてしまいなさい。
  あなたの真我のみ憶えていなさい。
  このようにしてあなたは全ての状況に直面することができる。

 

 

 

 

Q:こんな個人的な質問をして申し訳ありませんが、最近、とても怒りっぽくなって困っています。どうしたらよいでしょうか?


 

 怒りは呪いだ。それは、神経の全てのシステムを燃やして、あなたを呼吸困難に落としいれてあなたの寿命を短くする。怒りを表現して怒りの原因であるものに口づけしなさい。

 怒ることは問題ではない。怒りの原因になった状況を思い出さないことだ。怒りや愛欲を背負わないことだ。全て忘れてしまいなさい。

 個人的な質問をするのを気にしないことだ。私は私の子供達の面倒を見て、あなた方が幸福であることをこの目で確かめばならないのだから。

 

 

Q:過去のある人々について考えるとき、特に私の父ですが、なぜこんなに怒りが湧いて来るのでしょうか? これらの過去の思考は監獄の壁のようです。


 

 これらの思考はあなたではない。それらはあなたの子供時代に他人から受けた理不尽な行為から作りだされたものだ。それらがあなたから離れない。しかし、幸運にもあなたはここにいるのだから、それらはゆっくりと消えてゆく。他の人達はこのことで自殺まで引き起こすがあなたは自由になることができる。

 ただ座って耳を傾けて聞いていなさい。過去の思考は克服されて破壊される。そして、新しい道があなたのハートに根付いていく。努力してそれを壊そうとしないこと、努力すると何も起こらない。

 ただ静かにして努力をしないことだ。これは難しいかもしれないが可能なことだ。「活動」はあなたを離れて、あなたは静かになるだろう。


  静寂が「活動」という観念を取り除く。
  「活動」はかって誰にも平和と愛に満ちた状態を与えたためしがない。


 あなたが苦しんでいるときは「苦しみは私のものではない」と拒絶しなさい、「私は愛、平和、真我が欲しい」とマインドをこの道に向けなさい。

 

 

 

Q:この道に反対する力が働いているように思えます。


 

 これらに反対する力が現実にはあなたの助けになっているということが分かるだろう。反対する力はあなたを強くさせ、あなた自身のためになる。それらはあなたの敵ではない。

 それよりもあなたにとって破壊的なことは対象に対する欲望だ。すぐに静寂と活動の間には何の違いもないと分かる。あなたは成功するのだと理解しなさい。他に質問や疑いがあるかね?

 

 

Q:私はこの貴重なサットサンガも含めて多くのものを与えられて来ましたが、私の人生に満足したことがありません。心を開いて幸福になり喜びを感じることができないのです。


 

 あなたの不幸の原因は楽しむための何かを欲しているからだ。あなたが欲しいものは過去からのものだ。それがあなたに満足を与えることはない。しかし、過去のものは何であろうとも誰にも幸福を与えることはできないと理解しなければならない。

 幸福と平和は「今、ここ」にある。休息、平和、幸福を即座に与えてくれる何かを探しなさい。しかし、そのために努力をする必要はない。

 さて、この不満はあなたを騙した誰かからやって来るのではないのかね? 全ての人があなたを騙そうとするだろうし、現に騙している。この観念をあなたのマインドから取り除きなさい。

 そして、満足したかどうか言ってごらん。人物や対象物や考えにほんの一秒間執着しないとき、どのように感じるかね、言ってごらん。

 

 

Q:まだ人に執着していると感じます。


 

 ああ、しかし、私は一秒間それをしないようにと言ったのだ。あなたはたぶん30歳位だろう。長い間自己不満に悩まされて来た。しかし私は何にも執着しない、フィンガースナップのあなたの時間をほしいだけだ。その後で又執着すれば良いのだ。

 しかし、これを今なぜ実践しないのかね? この一秒をあなた「自身」に与えなさい。それをやったことがないので、この不満の中で死んでいくのだ。しかし、私が言っていることを実践するなら死はあなたに触れることはできない。

 あなたのすべての苦痛は異性との肉体関係から起こって来る。しかし、あなたが60歳になるとどんな姿をしているだろうか? まだ人を魅惑させることができるだろうか? 考えてごらん。

 

 

Q:私はそれを考えたくありません。


 

 それなら、今日美しい少女の姿をして、次の日には年老いて疲れた女を映す鏡を見るのをやめなさい。そのかわりに、私が言っている鏡を見なさい。

 全ての人が自分の利益のために他の人が欲しい。これが世界の通例だ。しかし、あなたの功徳によってサットサンガにやって来る機会を勝ち得たのだからこれを変えることができる。

 さてこの瞬間、満足しているか? していないのか?

 

 

Q:満足しています!!


 

 今この瞬間に満足している、そして今この瞬間に好きなように走り回ることができる。執着しているものと一緒にいることができる。しかし、この瞬間を決して忘れないことだ。

 あなたが執着しているその人と一緒に座ってこのことを言ってあげなさい。彼が新しくなったあなたについて何と言うか見てごらん。ただ彼の目を見つめるだけでよい。それが全てだ。

 

 

Q:私はいつも大変な怒りと多くの問題を抱えていましたが、今私はそれらが何であったか思い出すのに苦労しています。


 

 おお、あなたはすばらしい!!これは非常に良い経験で、私はそれに感謝したい。

 

 

Q:忘れっぽさ、怒り、眠りの中にいようとも、自分は抱擁されているという気づきがあります。


 

 どんな状態にいようとも、それが怒りであろうと、傲慢さであろうとも、それを気にしないときはこれらの状態を越えている。これらの状態はあなたの前にやって来る。

 しかし、あなたはすでに他の何かすばらしいものを見つけたので、何にも影響されないだろう。これらの状態について考えている暇もない。怒りやこれらの障害を乗り越えたことは非常に良いことだ。

 怒りは体温を上昇させ、食べることや平和に満ちて眠ることも許さない。ある人々は、怒りのために全人生を混乱させてしまう。怒りは平和の恐ろしい敵だ。

 

 

Q:あなたと一緒にいることが、怒りの全てを取り除いてくれました。そして大変な平和を与えてくれました。


 

 グルの一瞥は慈悲で、真に自由になりたい人々の暗闇を取り除く。グルの近くにいると、時間も修行も必要ない。即座に、光はここにある。スイッチに触れたら光がつくように。必要なのは正直でまじめな献身だけだ。
 


 

Q:期待について話していただけますか?


 

 幸福であるためには何も期待すべきでない。真理実現への期待を持たないことだ。単に真理でありなさい。眠りの中ではあなたは独りで誰からも何も期待しない、そして幸福だ。期待がないと幸福だ。結果を期待しないで仕事をしなさい。

 結果はあなたの手中にはない。誰かが結果を決めるのだ。あなたのカルマはあなたの能力が必要とされる行動を成し遂げるだけで、結果を期待してはいけない。これがあなたを幸福にする。誰も期待を満たすことはできない。

 

 

Q:私は心の平安を強く望んでいます。つい最近、あなたの家で瞑想していたら誰かが立ち去るように言いました。このことが私を非常に騒がせました。


 

 瞑想していて、そのすぐ後で心が騒がせられるというならその瞑想はいったい何なのか?

 

 

Q:わかりません。


 

 それならいったい誰が分かるというのか、あなた自身見つけ出しなさい。


 ある王がスーフィーの聖者に会いに行った。膨大なお菓子や食べ物や着物を捧げ物として像に担がせて、王女や大臣たちも馬に乗って従った。この行列は森の中に住んでいる聖者の藁小屋に到着した。王は聖者の付き人に国の王が聖者に敬意を表するためにやって来たと伝えるように言った。

 聖者は王に贈り物の荷を降ろして木陰で休んで待つているようにと伝えた。王は後で呼ばれると伝えられた。王は王女と大臣を国の歳時を司るために送り返した。

 王は一晩木の下で過ごした。朝になって、王は聖者に会えるかどうか尋ねた。後で呼ばれるので待っていなさいと言われた。こうして三日が過ぎた。捧げ物は腐ってくるし雨も降ってきた。再び王は聖者に会うのを待っていると告げて欲しいと頼んだ。答えは後で呼ばれるので待ちなさい。そして一週間が過ぎ、十五日が過ぎた。

 ついに聖者はあと一時間待つようにと王に告げた。一時間後王は聖者に会えるかと尋ねたら、後五分、後一分、王はもう待つことができずに小屋のなかに駆け入り聖者の御足にひれ伏した。聖者は王に以前でなく今なぜ許可もなく小屋に入って来たのかと尋ねた。

 そして聖者は言った、

 「あなたのエゴが消えるまで二十九日かかった。王としてのエゴが王として迎えられることを期待していた。しかしそれは起こらなかった。あなたにはエゴがあったが、今エゴなしで入って来て私の足にひれ付した。あなたを拒絶するものは誰もいない。ここに到着してすぐに小屋に入ってこれたのに。」


 このようにエゴを落とすために王は一ヶ月滞在した。あなたはラクナウに何ヶ月も滞在しているがあなたのエゴはまだ落ちない。誰かに去るように告げられて混乱するようでは瞑想する意味がない。

 もし誰かが行くように告げたら、行ったり来たりに何の違いもないのだから行きなさい。私があなたを呼び戻してあげるのだから。多くの場合が、これと同じケースだ。 

 

 

第10章 空家の盗人 終了

 

 

 

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