第4部・ギリプラダクシナ実践体験のあれこれ

 

☆Part1 ☆Part2☆Part3

 

 

 

Part4   サイト管理人のブログ記事より

 

 

 

 

 

 

同行二人編


 

ギリプラダクシナの不文律の一つに「道の右側は空けて歩く」というのがある。


・・・これはギリプラダクシナのルートにあっては「道の右側」は、「身体を持たない・目に見えない」賢者さんや精霊たちがギリプラダクシナをしているので、そういう存在に対して敬意を払って彼らのために道を空けておく・・という意味らしい。


ギリプラダクシナの途中でたまたまごく希に、そういう存在の方々から「祝福を受ける」ことがある・・・と言われているし、私も「それらしき」感覚を何度か体験しているが、

生前に700回以上も歩かれたほどのギリプラダクシナ実行者だった柳田先生も、逝去後はきっと「目に見えない存在」の仲間入りをして歩かれていらっしゃることだろう・・・と思うと、


その先生の
「10回忌追悼のギリプラダクシナ」の途上で遭遇したこの事件・・「あわや巻き込まれて大怪我」となりかねない事態を、「間一髪」すり抜けていた・・というのは、

これは「目に見えない存在としての柳田先生」が一緒に歩いていてくれて、この危機から私を守って下さった・・・のだろうなあ、と思い至った次第である。

 

日本だと巡礼という行為には「同行二人」という言葉が有名であるが、まさしくそういうことなのですな・・・いやいや二人どころか「道の右側」にはたくさんの存在が歩かれているわけだからねえ!!


 


 

 

只管打歩編

 

実際ギリプラダクシナには「行法」的側面があり、肉体的にシンドイ状態(疲労や筋肉痛など)になったりもするが、それを超えてアルナーチャラの「エネルギー」が注がれている・・のは事実である。


もっともこれは「座禅」と同じで、 何回やったからそれで「解脱できる!」とか「特別な(霊)能力が備わる!」といったようなものでは決してないどころか、そのような「功利的な目的」「マニュアル的なハウトゥ的思考」を突き抜ける為に、この場合は「只管打座ならぬ只管打歩」として歩く!!


・・・ということが「行法としての」ギリプラダクシナの最大の意義である!!と私は感じているし、ある面においてはそれはラマナ=アルナーチャラへのバクティの具体的実践でもあろうかと思う。


巡礼中にダンプに轢かれ、片足が不自由になった人までいる・・・・ただしこの人はめげることなく、不自由な足を引きずりながら元気に歩いている(巡礼中のさまざまな「事故」は「カルマ落とし」ともいわれているが)。

彼のようにそれでも「信奉者」は歩き続ける・・・余計なことは考えず「ただひたすら歩く」。


アルナーチャラが「在る」事に後付けされた特別な理由は無意味であり、「ただ在る」のと同じく「ギリプラダクシナ」にも特別な理由は全く無い。

そこには「ただ歩く」ということだけがあるのだ。

 

そしてそれは義務でもなければ栄誉でもない。


「ただ歩く」そのことそのものでしかなく、同時にそこにこそ無限の意義があるのだ!!

アルナーチャラはこちらのあれこれの思惑なんぞ眼中にない、ただひたすら「ぐはははは・・・」と沈黙の笑いをの比類なき恩寵の波動として放射し続ける・・・。

 

調子が良いと「風のごとく」軽やかに歩いてしまうこともある、自分が歩くというより、アルナーチャラが見えないロープで結び付けた私の身体を、「遠心力」でぶん回してくださるような感覚である。

ギリプラダクシナですらも、私の意志というよりアルナーチャラに歩かされている・・・のである。

 

これがギリプラダクシナが「歩く瞑想」と呼ばれる理由のひとつであろう。


 

 

 

 

 

「忌憚無き個人的実感」編


サイト管理人が初めてギリプラダクシナを体験したのが97年2月、そして19年12月の滞在までで通算418回を歩きました。

サイト立ち上げ後の04年以降には「アルナーチャラ滞在日記」を現地からリアルタイムで投稿していますが、題材として当然ながら「ギリプラダクシナ」に関するものも数多ありますが、その中から13年の滞在中に掲載した「300回」記念記事3編を紹介します。


もちろんこれは全くの私事ですが、「ギリプラダクシナ」という行為における「忌憚なき個人的実感」(綺麗ごとではなく・・)が余すことなく書かれてますので(笑)、読み物としてはそこそこ面白いのではないか?・・・と思う次第。



記事その1・「それはお義理で始まった・・」




記事その2・「これまた継承した役割ざんす」



記事その3・「『生涯目標』は大風呂敷なれど・・」

 

 

「ギリプラダクシナ実践体験のあれこれ」終了







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