第4部・ギリプラダクシナ実践体験のあれこれ

 

☆Part1 ☆Part2☆Part4

 

 

 

Part3   満月のギリプラダクシナはいかに?

 

 

 

 

 

故・柳田侃先生の手記より


 

98年1月15日 

 

☆ギリプラダクシナ

 

ディーパムの日が近づくと急にギリプラダクシナ(聖山巡回)をする人の数が増えてきます。当日は朝から夜中までその列が絶えることなく続きます。その人の数は何万とも何十万とも知れない膨大なもので、こんなに多くの人が一体どこから現れてきたのかと驚くばかりです。

これまで静かに「歩く瞑想」に没入することを心がけてきたため、祭りの最盛期に歩くことを避けてきたのですが、今年は午後7時半頃から大群衆のなかに身をおいて歩いてみました。そしてはじめて、アルナーチャラとそこに住む人びとのかもし出す波動のすばらしさを感じとることができました。

山頂のかがり火は祭りの日から一週間以上燃え続けますが、それは山の北側のギリプラダクシナ・パスからいっそうはっきりと見ることができます。祭りのあとのギリプラダクシナの最大の魅力のひとつは、メラメラと燃える炎が間近に見られることです。

祭りの数日後のある日、それまで雲に覆われていたかがり火がパンチャ・ムカ(アルナーチャラの5つの峰が一望できる聖なる場所)に来た瞬間、鮮やかに姿を現しました。その感動に思わず山に向かって五体投地の礼拝をしてしまいました。


 

・・・以上は柳田文献(柳田侃著述による関連資料群)よりサイト管理人の任意による抜粋

 

 

 

 

T・Gさんのブログ記事より

 

 

アルナーチャラの追憶

ふと、思いだしたことを・・・


二年前、2009年の2月、南インドのティルヴァンナマライという町を訪れた。
その町にはシヴァ神そのものとされるアルナーチャラという山がある。


ふもとには南インドの聖者、ラマナ・マハリシが生涯をおくったというアシュラムがある


そこに引き寄せられてこの地にきた。

町は南インド最大の都市チェンナイから南西に200kmのところにある田舎町だ。

それにも関らずヒンドゥー教の巡礼者やインド人観光客が絶えないのは、それほどアルナーチャラ山がヒンドゥー教徒に篤く信仰されてきたのだろう。

アルナーチャラで特に象徴的なのは満月の夜に行われるギリプラダクシナ。

ギリとは丘、プラダクシナとは聖なる対象を右回りに回ること。

つまり、アルナーチャラを右回りに回る巡礼。

満月の夜には、そのギリプラダクシナをするためにインド各地から沢山の巡礼者がやってきて、朝から晩までアルナーチャラの周りを回り続ける。

もちろん、満月の夜でなくても、アルナーチャラの信者は回るし、外国の信者の中にもしょっちゅう回っている人もいる。

もちろん、おれもまわった。


満月の夜じゃない日も現地で出会った日本人と一緒に何度か回ったけど、満月の日は特別だった。

満月の夜は、一人で回ろうと思い、サンダルを脱いで、裸足でただひたすら歩こうとおもった。

家族連れの巡礼者やオレンジの僧衣をまとったサドゥーなどがそれぞれただ歩く。

厳粛な顔をしてる人、楽しそうにしてる人、途中の出店で休憩してる人。

周りはお祭り騒ぎでがやがやしてるというのに静寂があたりを包んでる感覚。

ざわざわしてるのに静かで、自分の思考が通り過ぎるのをひとつひとつ吟味していて、足に出来たまめの痛みはどこか遠い。

最後の方は不思議な至福に包まれて涙まであふれてくる。

達成感とも違う感動。

この体験は初めてじゃない気がした。

けど、思い出せなかった。

 

そんなことを今日思い出した。

懐かしい感じがするけど、あの体験は今も生きてる。

あのとき、なぜ、あの場所であの体験をしたのか、

それはわからないけど

やはり、ラマナ・マハリシと満月とアルナーチャラが関係してるのだろうか・・・

 

 

・・・以上はT・Gさんのブログ「幸と和」よりサイト管理人の任意による抜粋

 

 

 

 

 

 

 

M・Mさんのブログ記事より

 

 


今夜は満月

月明かりに照らされたアルナーチャラの周りを歩く為に各地から人々がやってくる…と話には聞いていたが、その予兆は昨夜の真夜中から始まっていた。

裸足で道を行く人たちが続々と増えていくのを見ていたら

「私も行く!」 そう決めた。

満月の日は人だらけだから大丈夫らしいけど、 夜の一人歩きはなあ…と思い3時から明け方のつもりで歩くことに決めて眠りについた。

が、道からずっと何か鉦を摺るようなリズムが聞こえ続ける。その音は、やがて夢の中にまで忍び込んで、何度も目を覚ましては

「ここ、どこだっけ?」 と確かめることの繰り返し。

やがて、「 あー!こんなんだったら、もう起きて行こうっ!」

0時30分に歩き出した。


15メートルほどのアスファルト道路が歩行者天国のようになって、ひっきりなしに人が歩いていく。

(本当にここまで人だらけなら、女一人でも大丈夫だ)

安心して歩き始める。

月明かりでアルナーチャラは昼間みたいにくっきり姿が見える


見ると、老若男女あらゆる人がいる。0歳時の赤ちゃんを抱っこしてたり
、まだ3~4歳だろうという子どもも真夜中の道を連れられて歩いている。

道端や寺院では歩き疲れた人々やお金のない巡礼者たちが、着の身着のままあちこちにゴロゴロ雑魚寝している。

(本当にどこか大らかだよなぁ~)

インド人は無邪気だなあと感じる。心から神様を信じ、委ねられるものがあるせいか?一人一人が、あるがままにどっしりと存在している・・どんな人も。

そして、何でも「まず当たってみろ」的なチャレンジ屋。真っ直ぐな生きるエネルギー。

髭も髪の毛も伸ばしっぱなしの一見異形なサードゥ(出家修行者)や身体障害を持った者、最下層の人たちが物乞いを訴える姿は、一種の堂々とした迫力さえ感じる。


私はやっぱり心のどこかでギョッとしながらも、あらゆる矛盾を内包していながら全てが共存して生き続けている「インド」に、大河のような悠々とした力強さを感じないではいられない。


ゆっくり山の八方にあるリンガムにお詣りしながら朝5時に廻りきった。

月が西の雲に隠れていく。不思議な夜だった。

 

 

 

 

 

 

2011-08-14

 

 

昨日は朝方にギリプラダクシナから帰ったばかりなのに、実は今晩が本当の満月!

 と聞いたらやっぱり行きたくなって、ギリプラダクシナ2連チャンしてしまった(笑)、本当にお祭り好きなんだなぁ~。


もうティータイムの16:00頃から夕方になるにつれて、アシュラム前のメインロードを裸足で歩いていく人が、続々と増えていく・・前日の比ではない。


道路脇には、食べ物・おもちゃ・生活用品など…屋台がそれぞれに店を広げ、サードゥ(出家修行者)も物乞いたちも、今が掻き入れ時とばかりにやる気がみなぎっている。


夜9時前に出発。今晩も明るいゴルフボールみたいな月が雲を白く見せるほど快晴。


私には今宵、「使命」がある。

鈴木さんの、

「満月の時の出店でしか見つけられない『タピオカ芋のチップス』を買ってきてほしい」

という願いに応えるのだ。


目を皿のようにして出店もチェックする。話を聞けば聞くほどべらぼうに旨いらしい。

なんてったって、最初から「人が多いから満月は歩かない」と宣言してる鈴木氏が、わざわざそのチップスだけを探しに夕方歩き回ったぐらいなのだ!

もうこれは、鈴木さんそっちのけで「私の願い」に変わっている。


それにしても、一体この一晩でこの丘の周りを歩く人々は何万人なんだろうか。大学のだだっ広い敷地は観光バスでびっしりだった。


三日三晩続く角館祭りの夜に味わった、「ハレ」の日特有の一種のトランス状態のような空気が満ちている。

黙って歩いてるだけなのに、なんだかゾクゾクするくらい楽しい。

 (しかし、それにしてもポテトチップスないなあ)


昨夜は少し並んで入ることが出来たリンガムの屋内は、今晩は近づくこともできないくらい人がひしめき合っている。外から手を合わすだけで充分だあ~と切り替える。


4分の3を過ぎてティルバンナマライの町場まで来た。

(ちょっと~、ポテトチップスがないよ~っ)

最後に大寺院前、もみくちゃ…(´ヘ`;) どこにも行けないよ~!

押し流されて道に出た。


最後のアシュラムまでのラストウォーキング、祈り続けた…

「タピオカ芋チップスがどうか見つかりますように…」

そのエゴは、却下された。1:20アシュラム前にゴール。


翌日、鈴木さんは言った。

「やり残しがある方が、また来られるんだよ」

 (えっ!こんな願いでもいいのですか…!?)

若干の疑問を残しながら、ならば良しとするか…と決着をつけた。

満月と御山とポテトチップスの話

 

 

・・・以上はM・Mさんのブログ「ペガサスのぺ」よりサイト管理人の任意による抜粋引用

 

 

 

 

 

 

 

サイト管理人のブログ記事より

 

 

もし何も知らずに満月の日に初めてここへ来たら、おそらく「ぶったまげる!」ことであろう・・・・(事実そういう方がいた)。

というのはこの日は、南インド各地よりとてつもない人数の大巡礼団が押し寄せてくるのである。そしてもちろんギリ・プラダクシナ(聖山巡回)をするのだ、密度×距離×時間で概算しても少なくとも10万人以上!!

どういうことになるか想像できるであろうか?→

 

アルナーチャラ山がこの大群衆にすっかり取り巻かれるのである、昔読んだ「ちび黒サンボ」の中に「虎のバター」の話があるが、ひょっとして「インド人バター」になってしまうのではないか?なんて妄想したりするほどである。

一応ギリ・プラダクシナではあるが、この日ばかりは要するに完全な「お祭り」である。交通規制が敷かれ、夜店がぎっしり並び(この日限定で登場する「タピオカ芋チップス」は美味い!)、サドゥさんやお乞食さんたちには月に一度のかき入れ時である。

 

で、アシュラムは?といえば当然主要参拝ポイントであるから、正月三が日の「明治神宮」状態になる・・・。ニューホールに臨時の出店コーナーを作ることもあるし、状況によっては朝まで終夜営業の場合もある。

そこら辺で仮眠していく連中もいるので、「ここは野戦病院か?」と思いたくなるほどの賑わいだし、瞑想ホールにもひっきりなしに人波が押し寄せるので、「誰が瞑想なんかやってられるかあぁぁ!!」という有り様なのだ。


実はこれは昔からのものではない。何と「映画」の影響なのである。月に一度とはいえ、それなりの経済効果はあるだろう、事実お寺の周りのゲストハウスは、このイベントが始まってから、ずいぶん増えたのであるし(もっとも到底全員を収容できない、ほとんどの人はお寺で野宿するのだ)。

これもここの「俗化傾向」の一例ではあるが、アルナーチャラが自らの御威光を世に広く知らしめるために、「映画」という形を取って人々を招きよせたのだ・・・と私は思うことにしている。

 

(これは全く余談であるが、数年前の「スマトラ沖大津波」は南インド沿岸部に甚大なる被害をもたらしたのだが、これが満月当日か翌日だったのだ。ということは、「ここへ巡礼に来ていて命拾いした」沿岸部住人は決して少なくないはずである。)

 

次ページ(実践体験・Part4)に続く

 

 

 

 

←目次に戻る

 

前の記事に戻る→ ←次の記事に進む