余はいかにしてラマナ信奉者となりしか?                                              

 

 

 

 

そもそもラマナ・マハルシのことを知ったのは多くの方々同様に、山尾三省氏翻訳による「ラマナ・マハリシの教え」と、おおえまさのり氏翻訳による「南インドの瞑想」を読んだからである。それは1990年8月、初めてのインド旅行でリシケシを訪れたときであった。その筋では有名な「アムリタ・ハウス」の書庫?にどなたかが寄贈されたものである。

そのときの感想は実を言うとあまりはっきりしてはいない。特別な感銘は受けなかった・・・・「ふーん、こういう聖者さんがいたのか〜」という程度だったし、「私は誰か?」始め収録されている「問答」は専門用語が多すぎて難解であった。むしろジッドウ・クリシュナムリティの「日記」に強烈な感銘を受け、以降相当な影響を受けるようになった(現在にあっても「教え」としてはバガヴァンよりも近しく感じられている)。

 

それから5年後、私はタイ・パンガン島に妻子とともに暮らしていた。そして久しぶりにインドへ出かける機会が来た、実に3年半ぶりである。このときのリシケシ滞在中に師匠から思いもよらぬ「能力証明書」なるものをいただいた。私が師匠の元でどのようなアシュラム生活をしていたか?という事はいずれ書くことにするが、まあはっきりいって私のヨーガの技術というものはたいしたものではない。だがこれでひとつ区切りがついた気がした・・・ただしそれは自分の思惑とは全く異なる次への展開への区切りであったのだ。

ニューデリーへ戻って、さてこのあとどうしようかな?と迷った。カルカッタからの出国は決定していたのだが、どういうルートで行くか?というのはその時任せであったのだ。道は2つである、北か?南か?

ネパールへは最初の旅以来行ってないし、南インドの魅力も捨てがたい・・・・、本当なら両方行きたいところだがそのときの状況ではとてもそれだけの余裕はなく、どちらかを択ばざるを得なかったのである。

散々考えても結論がでず、結局は易占に委ねることにした。ご託宣は・・・・「南」と出た。

 

となれば道筋はすぐ頭に浮かんだ、先ずはなんといってもカニャクマリに行きたい!インド亜大陸最南端の地、町の三方が海に面しベンガル湾から陽が昇りインド洋を横切ってアラビア海に沈む・・という聖地である。沖合にはあのヴィヴェカーナンダが瞑想した大きな岩礁があり、その上にラーマクリシュナ・ミッションの建物が出来ていて大変素敵な場所なのだ。

それからもちろんミナクシ寺院で有名なマドゥライへ出てそれから・・・・そこでふいっと妙な考えが浮かんだ。

 

「ティルヴァンナマライ」へ寄ってみるというのはどうだろうか?

 

今回日本を出る直前「ラマナ・マハルシの教え」を古本屋で見つけ、たった100円だったこともあり購入してインドにも持ってきていた。最初に読んだときに比べると僅かではあるが魅せられるようになっていた、クリシュナムリティの教えと共通するところも多いように感じられるし(今でもそう思う)。

とりわけ興味をひいたのは「針1本落ちただけでもその音が響くほどの静謐さ」という記述だった、もちろんそれは50年も前の話であるが、さて今はどういう風なのか?・・・・・

 

「よし、この際ものはついでだ、ティルヴァンナマライに行ってみよう、アルナーチャラ山というのをこの目で見てこよう。」

 

かくして私は2泊3日の寝台列車で南インドのティルヴァンドラムへ移動し、予定通りカニャクマリ、そしてマドゥライを巡った。さて次はティルヴァンナマライである。日本のガイドブックにはこの街のことは全く記載されていないし(現在では「地球の歩き方・南インド編」に掲載されている)、英語のガイドブックを読むのは億劫である。しかしバックパッカーというのは「行こう!」という気になったら後先考えずに出かけてしまうものである。

しかも私は一つ勘違いをしていた、ティルヴァンナマライはマドゥライの近郊の街だと思い込んでいたのだった。というわけでバスに乗れば簡単にいけると考え、マドゥライのバス・ターミナルへ赴いた。

 

確かにティルヴァンナマライ行きのバスはあった。しかし一日1本、実は10時間余もかかる距離だった・・・まあいまさら己の不明を恨んでもどうにもならないし、この手のことはバックパッカーにはよくある話である・・この程度でがっくりきていたらインドの旅なんぞ到底やっていられないのだ。

 

96年1月のたぶん18日辺りだったと思う、午前3時頃にバスはティルヴァンナマライに到着した。もちろん出迎えもなければ宿の予約をしてあるわけでもない。右も左もわからない初めての街にそんな丑三つ時に放り出されたのである・・・・

「さあてどうしたものかな?」とりあえずリュックを背負い、宿のありそうな方へ私は歩き出した。

 

 

 

(初のインド&ネパール旅の途上、カルカッタのパラゴンゲストハウス屋上にて・・・1991年2月、当時29歳の私)

 

次回に続く。

 

 

 

 

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