余はいかにしてラマナ信奉者となりしか? その2                                             

 

 

                                                                                                    

 

 

 

 

1月というのは南インドでは巡礼さんが多いシーズンらしく、バスターミナル近辺の宿はどこも満室状態だった。やれやれ、こうなったらまだ夜は明けてこないのだがこのままアシュラムに行ってしまおう・・・・と考えた。どこのアシュラムでも朝早くから開いているものであるからだ。

 歩いているうちにオートリキシャ溜まりから離れてしまい、さすがにこの時間ではなかなか流しのリキシャも通らない。バスターミナル辺りからアシュラムまでは約3キロ弱なのだが、荷物を担いで歩くのはきついし、もちろんこの時点では距離も方向もわからなかったからどうしてもオートリキシャに頼らざるを得ない・・・・。

 そろそろくたびれてきたなあ・・・と感じ始めた頃、やっとリキシャを捕まえることが出来た、聞けば30ルピーという。初めての街で距離が判らないし、深夜とあっては言い値で乗らざるを得ない。もっとも現在の相場(外国人料金相場)を考えてみると、それほどぼってる金額ではなかったのであるが。

 

アシュラムに着いたのはたぶん朝の4時少し前くらいだったと思う・・・・1月だから当然まだ暗くて、アシュラムの様子も良くわからなかったが誰にも咎められずに敷地内に入れた(現在は夜間は正門は閉ざされ、脇の小さい入り口には番人がいる)。オフィスと書かれた看板のある建物に近づくと、オフィスの開くのは8時半との事。とりあえずそこに荷物を降ろして一眠りすることにした。冬ではあるがここは南インド、少し冷えてはいるが寒くてかなわんという程ではなかった。

 

さて夜が明けて人の出入りも目立つようになってきた。そうこうする内に事務所にも職員らしき人がやってきた。さてここら辺のやり取りが実際どんな風だったかは実はあまりよく覚えていないのである。もちろん私は「ここに滞在できるものかどうか?」を尋ねたはずであるが、相手が誰であったかよく思い出せない・・・順当に考えれば相手はドクター・ムルティ(ゲストの滞在を一括して管理している人物・・・この人にどう評価されるか?は滞在許可日数に大きく影響する)のはずであるのだが・・・・。

 

アシュラムに滞在するためには事前に連絡を取り、「滞在許可」をもらわなくてはならない・・・・と言う事は知らなかった。最近は訪問客が増えたので、事前の連絡無しの所謂「飛び込み」に対してはうるさくなってきたようだが、当時はまだまだのんびりしていたように思う。結構「OK」が出るケースも多かった・・「私はラマナの瞳の輝きに魅せられてきたのだ!」だけで押し通してOKが出たケースもあったのである!!

 

これで英語が堪能ならあれこれ説明して頼み込むところだが、私の英語力はあまりに貧弱であるし時期的にも混んでいる時だったので残念ながらというか当然のことながら、私は滞在を断られてしまったのである。

 

ゲストではなくてもアシュラム内の施設への出入りは自由である、という事でとりあえずどこかに泊まらなくてはならない。アシュラム近辺をうろうろ歩いたが宿らしきものは見当たらない・・・・これは現在では随分事情は異なるが、宿が無いわけではなく「そういう『看板』を掲げていない」というだけで実際にはあるのだが、誰かに聴かないとよくわからない(こういう情報は西洋人たちが詳しい)。

私は正門前にたむろするリキシャの運転手達に聞いた・・・こともあって再び街の方へ引き返すことになってしまった。

 

結局私が投宿したのはビック・テンプル(アルナチャレシュワラ寺院・・・インド最大級のシヴァ寺院。ティルヴァンナマライはこの寺院を中心にした門前町である)北門の並びのこじんまりとしたロッジである。お寺のすぐ隣なので参拝客の往来が多くかなり騒がしいのだが、屋上からはアルナーチャラ山の全景が眺められる安宿であった。周辺には安いレストランもたくさんあって食事には困らない。アシュラムまで2キロ弱というのが難であったが、暑い時期ではないので歩いて通うことにした。

 

 

 

 

(その時宿泊したゲストハウス屋上にて撮影、1996年1月。現在と比べると当時のアルナーチャラの赤い岩肌がよく判る)

 

次回に続く。

 

 

                

 

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