OM NAMO BHAGAVATEE SRI RAMANAYA ARUNACHALA SHIVA

第1部「肉体なきグルの臨在と恩寵」

 

 

PART5「ラマナ=アルナーチャラ」

 

 

 

 

しかしここには「アルナーチャラ」が鎮座ましましているということを忘れてはならない、「アルナーチャラ」という存在こそが核なのである。

バガヴァンの肉体は71年しかなかったし、アシュラムとて人が作ったものである限り、栄枯盛衰の波から免れることは出来ない。


アルナーチャラはそう簡単には無くならない(笑)・・・その比類なき恩寵と臨在は時間を超越しているのだ・・・。


☆シリウス・マハナンダ(サイト管理人)

 

 

 

 

 


そして今アルナーチャラは山の形をとったシュリ・ラマナご自身なのです

 

 

 

アルナーチャラの神秘もよりいっそう身近に感じられた。以前は、それに対して何も感じられない人々が多くいた。彼らの目には、他と変わらないただの岩と大地と灌木の丘に過ぎなかったのだ。

だが、彼が身体を離れたときから、そして丘の頂上に向かって巨大な星が姿を消して以来、帰依者たちはこの地が神聖であることを感じていた。彼らは丘にバガヴァーンの神秘を感じていたのだ。

 

太古の伝説では、このアルナーチャラは望みをかなえる丘で、巡礼者たちは何世紀にもわたって願いごとのために祈りを捧げてきたのだった。だが、この丘に平和を感じる者たちは願いごとをしない。

 

なぜなら、アルナーチャラの道は願望から人を解放するバガヴァーンの道だからである。そしてそれこそが偉大な成就なのである。


 

☆「ラマナ・マハルシの伝記 賢者の軌跡(アーサー・オズボーン著・福間巌訳・ナチュラルスピリット刊)」第18章 永遠の臨在 より抜粋

 

 

 

 

 

 

 

アルナーチャラはシュリ・ラマナにとっては特別の意味を持っていました。両者の関係は、しばしば「大いなる神秘」と言われています。

 

マドゥライの叔父の家に寄留し、ハイスクールに通っていた頃、少年ヴェンカタラーマンは、たまたま巡礼から帰ってきた親戚から「アルナーチャラ」という言葉を聞いたとき、ある種の「戦慄」を覚えた、といわれています。

しかしその表現は幾分正確ではなく、そのときかれはまだ「アルナーチャラ」についての明確な概念をもっていなかったため、それがすでにその場所の名を知っていたティルヴァンナマライであるという訪問者の説明をきくと、その戦慄はすぐに収まった、といわれます(G.V.Subbaramayya,"SRI RAMANA AND ARUNACHALA")。

 

その翌年、突然の「死の体験」を経て、ベンカタラーマンが学校の授業と日常の生活にすっかり関心を失い、本を前にしながらしばしば瞑想に耽っているのを兄が叱責したとき、「アルナーチャラ」の想いがかれの心にひらめき、父なる神である「アルナーチャラ」からの呼び声を聞くことになります。

 

そしてその指図に従って叔父の家をこっそりと抜け出し、ティルヴァンナマライへと向かいます。


ティルヴァンナマライへの旅の途中でも「アルナーチャラ」とシュリ・ラマナとの神秘な関係を示す出来事がありました。

かれは手持ちの旅費がなくなったのでマンバラパットゥで列車を降り、約30マイルの道を歩いて目的地まで行こうと考え、途中アラヤニナール寺院に立ち寄ります。ここでかれは目のくらむような光のビジョン(テジョー・ダルシャン)を見ます。そこは以前聖者グニャーナサンバンダールがアルナーチャラへの巡礼の途次、同じビジョンを見たところです。両者は最初の「アルナーチャラ」(テジョー・リンガム)を同じ場所で見たのです。そこでカヴィヤカンダ・ガナパティ・ムニは両者を共にスカンダ神の化身とみなしています。

 

ヴェンカタラーマンが早朝ティルヴァンナマライに到着し、聖なる大寺院に来たとき、平常その時間には閉まっているはずの外壁にある3つの門と内陣のすべての門が開いていました。しかも内陣には誰もいなかったのです。

 

息子は父の前に身を投げ出し、あなたの命により、すべてを捨ててここへやってきたことを報告しました。

 

シュリ・ラマナはアルナーチャラ到来から54年間、一度もそこを離れることはありませんでした。アルナーチャラとシュリ・ラマナは不可分離のものとして運命づけられていたのでしょう。『アルナーチャラへの5つの賛歌』の多くの頌は、そのことを余すことなく示しています。

また、次のような逸話が伝えられます。人はたとえば新しい万年筆を手に入れたとき、またはインクを入れ直したとき、紙面に試し書きする文字は、多くの場合自分の名のサインですが、ラマナは必ずタミル語で「アルナーチャラ」と書いたといわれています。(Ganesan,Moments Remembered)


 

シュリ・ラマナとアルナーチャラの関係の神秘を物語るもっとも印象的な出来事は、マハー・ニルヴァーナの瞬間に大きな星の形をした明るい光が南東の空に現れ、壮大に弧を描いてアルナーチャラの丘の頂上に溶け込んでいったという事実です。非常に多くの人が遠くからもこれを目撃しました。

 

このことは、シュリ・ラマナがアルナーチャラという「至高の真我」の「宇宙光」の中に溶け込んでいったことを表すものと信じられています。


まことにシュリ・ラマナは人間の形をとったアルナーチャラの真我でした。そして今アルナーチャラは山の形をとったシュリ・ラマナご自身なのです(Subbaramayya)。

 

☆柳田文献 97年7月15日記事より抜粋

 

 

 

 


極めてユニークな、他に例をみない「比類無き」サットグル

 

 

 

アルナーチャラは山の姿をした「神」であるが、私としては「姿としての山」に対応するのは、我々の「肉体的存在」という事ではないか?・・・と思うのである。

だから具体的な土地としてのアルナーチャラという場所、ひいてはアシュラムと「いかように関わるのか?」というのは、それぞれの「肉体的存在」が抱えている「カルマと資質」に大きく左右されるのだと思う。


バガヴァン=アルナーチャラの比類なき恩寵と臨在、その当のものそれ自体は決して「インド共和国タミル・ナドゥ州ティルヴァンナマライにあるアルナーチャラ山、そしてその麓のラマナ・アシュラム」という特定の地だけに働きかけられるわけではない。

サットグルそのものは、どんな状況下であれ「今・ここに」現存する・・・信奉者がどこにあろうと24時間無制限、バガヴァンは「今、ここに」おわしまするのである!・・・と言うことが大前提の事実としてある。


言葉をかえればそれは、


「ただ『在る』だけが在る」ものが、「私なる身体的存在」を一つの現れとして「生きている」ということにもなるだろう。

 

繰り返すがラマナ=アルナーチャラなのである、或いはラマナ・マハルシとはアルナーチャラが自らの存在をより多くの人々に知らしめる為に、「一時的に」人の姿として顕わしめたのだ・・・とも言える、現に外国人の殆どはラマナを通じてアルナーチャラの存在を知ったのであるから。


 

アルナーチャラは「教え」は語らない、100%沈黙である。

その存在というのは「比類なき恩寵と臨在」そのものであり、それに拠って生かされあるのだ・・ということの直接体験理解こそがディヴォーションの核ではないだろうか?・・・そうあってこそ「教え」も真の力を発揮するのではないだろうか?

 

 

だがその事実を明確なりアリティとして感じ取り、保ち続けられるのか?・・・というのはなかなか困難であるとも感じる。


・・・ではどうしたらいいのか?

現地に出かけるという事の最大の意義はそこにあるのではないだろうか?

 

やはりこのアルナーチャラありてこそのアシュラムなのであるし、昨今「非二元論」をベースとした教えを説くグルや賢者さんが多数いらっしゃるのだが、ラマナは単にその代表格であるというだけでなく、

このアルナーチャラというとてつもなき聖性の顕現と完全に一体化して、

絶対至上的な臨在と恩寵をハートへとダイレクトに働きかけ続けていらっしゃるのだ!!・・という極めてユニークな、他に例をみない「比類無き」サットグルなのである。


 

 

☆サイト管理人のブログ記事より抜粋再編集

 

聖アルナーチャラ山とは?→

 

 


 

 

Part6「広大無辺なる慈悲の眼差し」へ続く・・ 

 

 

 

 

 

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