現在のラマナアシュラムがスタートしたのは1922年12月ですが、それ以前の1916年から22年にかけては、バガヴァンとその信奉者達はこのスカンダアシュラムに居住されていました。
更にそれ以前まではヴィルパクシャ・ケーヴに居住されていたわけですが、水の便が悪く酷暑季には住みにくい事や、時が経つに従って増えてくる信奉者を収容するキャパシティがない・・・などなどの理由で、新しい場所が望まれていたわけですが、検討した結果このスカンダアシュラムのある場所が木立に囲まれて酷暑季の暑さを防ぐだけでなく、丁度水脈の上に当り水の便が良い(これはバガヴァンが発見されたらしい)ので、選ばれました。
とはいうものの実際には信奉者の一人カンダスワミが一大決心の元にほぼ独力で、新しい建物を作り上げたそうです。その功績を称え彼の名前に因んでスカンダアシュラムとバガヴァンによって命名されました。
後年このカンダスワミの親族が建物の「所有権」を主張して訴訟を起こしましたが、アシュラム側が勝訴し現在でもアシュラムの所有・管理下にあります(しかし土地そのものは「アルナーチャラの山中」ですから、州もしくは国のものではないか?と思われますが・・・笑)。
サニャーシンとなってバガヴァンに帰依し、一緒に居住していたバガヴァンの母堂は、1922年5月19日にこの場所で逝去しますが、死の直前にバガヴァンによってモクシャを与えられたので母堂は聖者さんとされた結果、遺骸をどこに葬るか?が問題となりました。通常はヒンドゥは火葬ですが聖者さんの遺骸は土葬ということになっています・・・・ところが昔からのしきたりで、アルナーチャラ山中に遺骸を葬ってはならない、とされているからです。
一同の協議の結果(バガヴァンは母堂の葬儀自体には全く無関心だったらしい)、母堂の遺骸は山裾の沐浴場の近くに葬られそこにサマディ(お墓)が建てられます。後日その場所が現在のアシュラムとなっていくわけですが、バガヴァンがそこから動かなくなってしまったので、信奉者達も次第にサマディ近くに移り住むようになり、結局全員が移動してきてしまった(笑)ので、スカンダアシュラムは僅か7年でその役目を終えました。
しかし現在でもここは地上の喧騒から離れている事もあって、バガヴァンの波動がよりいっそう濃密に感じられることもあって人気の場所であり、ひたすらここに通いつめ瞑想している信奉者も少なくありません。
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前のファイルの「展望台」から3分ほど歩くと スカンダアシュラムの入り口に到着します。 |
木立に囲まれているので、酷暑季でも涼しい!のが魅力の一つです。 |
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建物正面の様子。 基本的にラマナアシュラムに比べると人の出入りが少ないのでとても静かです |
建物内部、前室?の様子。壁にはバガヴァンの写真が並びます。 |
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中のホールの様子。正面にリンガムが安置された部屋があり、 左手にはバガヴァンの居室だった部屋があります。 |
中央奥、リンガムが安置された部屋。 瞑想場所として人気の高い場所のひとつ。 |
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左手のバガヴァンの起居された部屋。出入りは自由です。 |
こちらは建物の一番左側(上の写真の更に左隣。 母堂がニルヴァーナを迎えられた部屋です。 |
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建物の右手奥、炊事場から階段を上がったところにある巨石&巨木 かなりの存在感があります。 |
山の湧き水。冷たくて美味しい! 一応飲んでも大丈夫ですが、ヤギなどが放牧されている土地の湧き水は注意が必要なのも実は常識の一つ、さあどうしますか? まあここは一つ「信奉心&自己責任」でどうぞ(笑) |
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こちらは入り口付近にある巨木。 ラマナアシュラムに比べますと、こちらの方が「神道的な」「ネイティヴ・アメリカン的な」 自然崇拝、アミニズムのような雰囲気が感じられます。 |