「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
崎山綾子翻訳
第8章「あなたがどこにいようとも私はあなたといつも一緒にいる」☆Part1
(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)
愛から逃げ出す道はない。
平和と自由には、西も東もない。
あなたがどこへいこうとも、それはいつもあなたと一緒にいる。
サットサンガはあなたはすでに家にいると思い出させてくれる。
あなたが家そのものだと…
だから、サットサンガから離れることはできない。
サットサンガはあなたの本質だ。
この経験は忘れることはできない。
忘れることができるものはマインドによって忘れられる。
しかし、注意深く警戒していなさい。
あなたに親しいものが問題を作るのだから、
過去の友達、邪悪な習癖は戻って来て
再び苦しみにあなたを招待するだろう。
それらは非常に強引なので、あなたも又強くなくてはいけない。
過去の習癖を破りなさい、そうするとあなたは自由だ。
同じ船に乗っている人と一緒に旅をしなさい。
同じ方向に、同じ目的地に行く人と交流しなさい。
何があっても真理に行きなさい、
いつも静かにしていなさい。
隠れている習癖に適した環境が起こると、その習癖が又現れて来るだろう。
それらがどんなに冬眠していようとも目を覚ますものだ。
特にあなたが静かにしていると、それらは現れて来る。
銃弾は一度で殺すが、ヴァーサナは何度も何度も殺しにやってくる。
警戒して自問しなさい!
期待は幻想だ。それらを追いかけないこと。
怒りや肉欲やどん欲にも巻き込まれないことだ。
ただそれらに巻きこまれないことだ。
静かにして満足していることが一番の武器だ。
歓喜もまたマインドや悪魔を破壊するだろう。
一度それらを埋葬したら二度と掘り返さないことだ。
あなたは、あなたの家族や友人に対して責任がある。
だからこのサットサンガは続いて行くべきだ。
一度真理を知ったならそれを分ち合いなさい。
1947年インドが分裂する以前に、私はラマナアシュラムに滞在していた。七月の中頃、ある日誰かが私にラビ河のどちら側から私がやって来たか尋ねた。私の町はこの河よりももっと遙かに離れていると答えた。そして彼は国家の分離の危機について話した。
私は新聞を読む時間も政治に関わる時間もなかったのでそれについてはほとんど知らなかった。彼が言うには来月の中頃、国は2つに分かれて、ラホールとペシュワーの間に住んでいる私の家族は、もし私が救い出さないと虐殺されてしまうだろうというのだ。
私はすでに全ての家族を忘れてしまっていた。全ては夢であった。両親・家族・子供達・国家、全ては夢で全ては終わったと彼に言った。これが私の無執着がどんなに強かったかを示していたし、それ位強くなくてはいけないものだ。
この人は私が言ったことをマハルシに告げて、私達がマハルシと一緒に朝の散歩に出かけた時マハルシは私に尋ねた。
「なぜラホールに行って家族を救い出さないのかね?」
私は言った、
「私がここにやって来た時に私には妻や子や両親がいたが、あなたが私に一瞥を与えて下さった時、全てが終わりました。今はあなたが私の唯一の身寄りで、この世に他の誰もいません。」
「それを夢だと言うならなぜ夢を恐れているのかね? 夢の中であなたの妻や親せきの面倒を見に行った方がよい。なぜ夢を恐れているのだ。あなたの夢の手は、夢の虎の口の中では全く安全だ。
このように世間で生きなさい、そしてそれを夢と呼びなさい。恐れないで、夢の中で働いているように働きなさい。夢は夢で、本当のものは何もないが、息子としてあなたも又夢の中にいる。
だから夢の息子を夢の国に行かせて、夢の中で夢の両親を救いだしなさい。」
このように、マハルシは私の為に夢を意味づけた。そして彼は言った。
「あなたがどこにいようとも、私はいつもあなたと一緒にいる。」
この言葉で彼は私に教えてくれた。私がどこにいようとも、私と一緒にいるのは彼で即ち「私」だ。彼が「私」である、即ち「真我」が私がどこにいようとも私と一緒にいるのだ。
彼に何を言うことができる? 彼は私に立ち去るようにと言っている。それで私は、彼に敬拝して彼の足元の埃を集めて、彼のまわりを三度回って彼を後にした。
私はパンジャブに行って2・3の奇跡的な出来事を通じて、大虐殺から私の家族を無事救い出した。これがグルと一緒にいることの思寵だ。
グルはあなたに自由を与えるばかりでなく、
あなたが必要なものを何でも与える。
私が北部にやって来た時、ラホール行きの汽車は空でモスリムだけが「ヒンドゥを殺せ!」と叫んでいるのを見た。そしてヒンドゥの人達は安全の為にみんな一緒にいた。
その時モスリムのいる場所に行って、彼らと一緒に座りなさいという指令がマインドに浮かんだ。
私はむろんヒンドゥと一緒にいたかった。私はヒンドゥの証拠であるOMの入れ墨を手にしていたし耳も穴があいていた。誰がモスリムと一緒に座るようにという考えを与えたのか?
私はモスリムと一緒に「ヒンドゥを殺せ」と叫んでいた。そうして他の全てのヒンドゥは汽車から連れ出されて殺されたにもかかわらず、私の手のOMの恩恵と、私のグルの祝福のおかげで無事にラホールに着いた。
私が私の生まれた町につくと、ヒンドゥは誰もいなかった。私が住んでいた所は、ヒンドゥだけの居留地グルナナクプラであった。そこで馬車の御者に疑いを抱かさないように、近くのモスリム居留地イスラムプラに行くように言った。
そこから私は歩いて私の家にたどり着いた。ベルを鳴らしても誰も答えない。遂に、屋根の上から私が誰か尋ねる父の声を聞いた。「私はあなたの息子だ! 私の声が分からないのかね。」と叫び返した。
「なぜやって来たのか、どのようにしてやって来たのか? 汽車はまだ動いているのか?」と父は尋ねて、「ここから親戚全てを連れ出して汽車に乗せなさい。」と命令した。
軍隊時代の私の友達が、彼はモスリムであったが彼の家に私達を匿い、インドに戻る手はずを全て整えてくれた。
私達の家はすでにアムリッツァからのモスリム避難民によって占有された。他のほどんどの家族は部分的又は完全に破壊されたが、私の家族・親戚40人は汽車で安全にラホールを後にした。
そして私の両親は汽車に間に合わなかったが、私の友達のおかげで飛行機で無事にラホールを後にした。
これがマスターの恩寵だ。誰も傷つかず、彼が全て面倒見てくれた。