「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
崎山綾子翻訳
第7章 バクティ:神への愛 ☆Part2
(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)
前ページ(Part1)からの続き・・・
献身
Q:悟りを達成する過程は、各個人によって、どの修業をするかによって違いがあるのですか?
そうではない。過程を通じて悟ったという人は悟っていない。真実は誰かを何かの方法で気づきに連れて行くことはできない。過程のある所にはマインドがありマインドは無知だ。過程を通じて真理を達成することはできない。
Q:神の意図が私のエゴを壊しています。私はバクティとジュニャーナの間にいるような気がします。
完全なバクタは世界で働くことはできない。完全にジュニャーナに通じている人は誇り高くなる。半分ずつがよい。
真理を知りたいのなら、真理を100%愛しなさい。
このようにすると愛の道と知識の道には違いがない。
知るためには愛が必要だ。
そして、愛するためには知る必要がある。
Q:私はこの愛に準備ができているかどうか分かりません。
準備ができているかどうか考える必要はない。河が海に向かって流れ込んで行くように、「それ」に向かって突進しなさい。河は「私は海によって受けいれられる準備ができていない」とは言わない。海に、源泉に突進しなさい。他の思考はやってくるべきでない。昼も夜も突進し続けなさい。
Q:パパジ、昼はあなたの事を考えていて、夜はあなたの夢を見ます。
おお、すばらしい。これが教えのすべての中で一番だ。眠っている時あなたが愛する人の夢を見る。昼間は愛する人のことを考えているだけではなく、その人の前に座りなさい。
そうすると、決して眠ることはない。夢と目覚めの状態の間には、何の違いもなくなる。この違いは残りの人々の為にあって、愛する人にとっては違いがない。愛する人には昼も夜もない。
Q:献身について話していただけますか。
献身とは、あなたが他の誰かを愛し始めるということではない。あなた自身の真我への献身。これが唯一の献身だ。あなたの真我に献身し、捧げなければならない。これをしたなら、あなたはすべての人に愛を与えたことになる。
他の誰かを、神でさえも、愛して献身することは何の助けにもならない。あなた以外のものは、あなたの創造物だ。あなたでさえ誰かが創り出したのだ。誰があなたを創り出したのか見つけだしなさい。
「それ」は誰か。この「それ」があなたを創り出した「それ」だ。「それ」に献身しなければならない。そしてこの献身が世界中の存在に平和を与える。
あなたの他には誰も連れていかないこと。「それ」と一体となって歩き話しなさい。その時初めて、献身とは何か知るだろう。これが献身だ。あなたが話すとき、宇宙のすべてが話している! この位の信念と信頼をあなたの中に持ちなさい。
あなたが食べる時、全宇宙があなたと一緒に食べている。そうすると違いが分かるだろう。あなたが神を愛したいなら、100%あなたの真我に献身しなさい。
Q:はい、あなたの恩寵のおかげで、あなたを見るたびに涙がこぼれます。私を一掃する無限の美と愛を感じます。
この状況のもとでは、泣くことは静かにしているよりも価値がある。この涙は人々が最愛の人と一緒に居られなくて流す涙とは同じではない。この涙は神の為だ。
この愛は決して説明することはできない。昼も夜もあなた自身に泣き続けなさい。この雨を降らせてこの水であなたを洗い清めなさい。神の為に泣くのは非常に難しい。誰がそれをするかね?
人々は、いつも彼らを拒絶した人に向かって泣く。神と愛の為に涙を流した人が、唯一その甘みを知っているのだ。あなたが愛するのは「神」そのものなのだから、もっともっと泣くだろう。
だから泣きつづけなさい。あなたが泣くとき、彼はあなたが泣くのを楽しむ為に、あなたの前に座ってあなたの涙を拭いてくれるだろう。
Q:パパジ、涙が出てとまらないのです。何日もほとんど眠ることができません。
この涙は、眠ることより美しい。(くすくす笑い)違うかね? この涙は別離によって起こる苦しみの涙ではない。この地上の6兆億の存在の中でほんの少数の人が自分自身への愛の為に泣く。
人々は愛する人から別れたときに泣くが、非常に美しい何かに出会って泣かないものだ。今度あなたが私の部屋に来る時、この涙をあなたと一緒に分かち合おう。美しい!!
最愛の人から物理的に「離れて居る」ということは、大変特異で「出会い」よりも美しいものだと私は信じている。だから離れて居ていつも最愛の人に会いたいと熱望する方がすばらしい。
いつかこの「離れて居る」ことは、あなたを燃やしてしまう。この「離れて居る」ことは、出会いよりももっとスウィートだ。
Q:本当の愛というのは、誰からも何も受けとらないということですか。
真実の愛とは、見返りを得ることを考えないであなたが持っているすべてを与えることだ。しかし世界中で誰もが、他人から何かを必要としている。 神への愛でさえ見返りを期待している。 人々は、息子やお金や物を神に頼む。
もし何かを頼むなら、自由を頼むべきだ。 疑いのすべてを取り除いて下さいと頼むべきだ。そうすると、愛にみちた美しいハートを持つことができる。
Q:私自身を完全に知ることから、遠ざけているものは何ですか?
神の愛、あなたの「真我」への愛を見逃している。だからあなた自身を知らないのだ。愛なしには何も起こらない。あなた自身を愛することができないのなら、他の誰も愛することはできない。この結果は苦しむことだ。
あなたの「真我」を愛しなさい、そうするとすべての存在を愛したことと同じだ。どのようにしてあなたの「真我」を愛するのか学びなさい。自分の「真我」を愛しなさい。いつもあなたの「真我」を愛しなさい。
そうするとこの「真我」はあなたをもっともっと愛するだろう。真我に向かって一歩進んだら、真我はあなたに向かって二歩進んで来る。
Q:パパジ、海に私を投げこんで下さい。何が私の邪魔をしているのでしょうか?
自分でそれができないのなら、静かにしていなさい。私がそれをやる。もしあなたが自分でやりたいのなら、私の助けは必要ない。あなたが完全に降伏したなら、グルを愛するその人の世話をするのはグルの責任だ。
あなたがすべてをやるのだというエゴを持っているなら、グルは静かにしている。あなたが静かにしているなら、グルはあなたを助ける。静かにすることができないのなら、あなた自身でことをやり遂げなければならない。
昔、クリシュナ神に非常に帰依している人が、象に襲われそうになった。クリシュナ神は、妻女と一緒に座っていたがすぐに飛び上がって、その帰依者を救いに走った。
しかし、すぐに戻って来た。妻女は「なぜこんなに早く戻って来たのですか?」と尋ねた。「私の信仰者は石と竹の棒で戦っているので、自分で自分の面倒を見るだろう。彼には私が必要ない」と神は言った。
だから静かにしていなさい。そうするとすべての人が助けにやってくる。
Q:私の名前はチャイタニイアです。私はあなたと私の前の教師を愛しています。私のガールフレンド、家族、親せき、もまた愛しています。私はこれらのすべてから自由になりたい。真実の愛を見つけるにはどうしたらよいのでしょうか。
チャイタニイアを知っているなら、彼が愛したように愛すべきだ。あなたに付けられた名前のようにいつも振る舞うべきだ。チャイタニイアは神の愛の生まれかわりだ。
400年前、彼はインドで生まれた。彼は愛そのものですべての人に愛を伝導していった。ある日彼は、サルタンに支配されているパトナーの町を通り過ぎていた。チャイタニイアは道のまん中で神の名前を叫びながら唄い踊っていた。その時、象に乗ったサルタンが行列を伴なって進んで来た。
サルタンはこれに大変憤慨して、彼を道から移動させる為に一人の大臣を送った。大臣は後から彼を叩いて立ち去れといった。しかし大臣が彼に触れるや否や、大臣は唄い踊りだした。
サルタンは彼は冗談に振る舞っていると思ったが、大臣は踊るのを止めなかった。それで王は象使いに象を止めさせた。そして象から降りて、すでに神の名を叫んで唄い踊って手をたたいている大臣に、懲罰を与えようとやって来た。彼が大臣を掴むや否や、彼もまた唄い踊りだした。
これがあなたの中に変化を起こすに違いない。あなたが幸せであるばかりでなく、あなたに触れる人をみな幸せにするべきだ。
チャイタニイアの話は非常に美しい話だ。彼はパトナーからプリーへと旅して行った。彼は哲学の教授であったが、科目を哲学から愛に変えた。
あなたがジャナスプリに行くなら、彼が最後に座って神の名を唱えた洞窟を見ることができる。
Q:私はいくつもの質問をかかえてここにやって来ましたが、今はそれらは問題ではなくなりました。
ここで何が起こっているのか? 多くの人が明晰なマインドでここにやって来る。この動きは何か? 真我は同じだ。あなたは私の真我であるが、どのようにしてこれが起こるのか? 「それ」は「それ」が選んだ人に姿を現わすのだ。
あなたが真我を知ろうと選んだのではない。真我があなたと恋におちてその姿を現すのだから、あなたは非常に美しいに違いない。
これがここで起こっている事に対する私の説明だ。あなたは何もする必要がない。「それ」が「それ」自身で「それ」自身に魅惑される。魅惑されて行くにつれ、「それ」自身が「それ」自身に姿を現す。だからあなたは非常に美しいに違いない。