「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

 

~SRI H.W.L.POONJA

崎山綾子翻訳

 

 

 

第13章 自由 ☆Part2

(サイト管理者より・・・・画面構成の都合上、章全体を複数ページに分割して掲載します。用語解説は各ページ末に収録)

☆Part1 ☆Part3

 

 

 

前ページ(Part1)からの続き・・・・

 

悟り

 

 


Q:パパジ、あなたにはエゴはありますか?
     

 

 はい、あります。私にもエゴはあります。彼女は召使いとして私に使えている。召使いなしに家を管理するのは難しい。彼女は非常に役に立って、私に知らせることなしに出来事を処理している。彼女に何の不平もない。彼女を私の家に住ませている。私は彼女と何の問題もなくやっていける。彼女と私の間には何の敵対心もない。彼女は全く幸福にしている。

 ある人は、私がアイスクリームを食べたり、コカコーラを飲むのを見てびっくりする。なぜなら聖人やスワミはコカコーラやアイスクリームを食べたりしないからだ。

 しかし、アイスクリームは悟りと何の関係もないし、悟りはアイスクリームに影響されることはない。アイスクリームは舌から胃に入って行く。だから、アイスクリームがやって来るとそれを食べる。私には何の制約もないので問題はない。私にはスワミの修行としてのすべきこと、すべきでないことを持ち合わせていない。

 あなたがやりたいことは何でもやりなさい。普通の人生を生きなさい。社会からあなたを切り離して他の人と違った何かになろうとしないことだ。

 マラをつけたり、オレンジの服を着たりするのは「それ」と何の関係もない。どんな色の服を着ようが、どのように振る舞おうが問題ではない。これらのことは宗教に属している。

 すべきこと、すべきでないことは宗教だ。「教会に行くと天国に行き、行かないと死後地獄に行く」。死後何をするべきかと私は言わない。私が言いたいことは、「死ぬ前に時間を有効に使って自由になり、好きなように生きなさい」ということだ。
     


 

Q:あなたにはまだ思考がありますか?
     

 

 その機会がやって来ると思考はやって来る。しかし、私はそれらを追いかけて、掴まえて、実践するということはしない。道で車が走り過ぎて行くようなものだ。私は車を止めたりしない。多くの人は車を追いかけて、それに捕まろうとする。私は車を通過させ、それが行ってしまったら心配しない。私は車ではない。
     


 

Q:真理を実現した後で、なぜ「私」があなたと一緒にいるのですか?
     

 

 あなたの言う「私」と私の言う「私」の違いをあなたは理解していない。ほとんどの人が言う「私」はエゴ、肉体、マインド、感覚を意味している。それは生まれた誰かを意味している。あなたは自分は形を持っていると考えて、それに名前をつけたい。その基本的な名前が「私」だ。

 しかし、あなたが眠っている時、目覚めている時の両方にいるのは誰かね?


  ただ静かにしていなさい、
  静けさや形や名前を見ないこと、
  そうするとそこに何か気づきのようなものを見る。
  これが「ブラフマン」と呼ばれているものだ。


 対象や場所や概念に一秒間触らないこと、そうすると名前と形態のない至高の意識があることが分かる。それが本当の「私」である「それ」だ。あなたがそれに行き着くとあなたはもはやそこにはいない。「それ」が「私」として話すのだ!!

 ラーマティアサはこの「私」について美しく話している。24歳の時に彼は真理を実現し、そして語った;


  私が目覚めると全世界が目覚める。
  私が食べると全世界が食べている。
  私が眠ると全世界が眠る。
  この肉体は行かせよう、私は気にしない、
  私はそよ風だ。花や木に口づけをして、ヒマラヤの滝に触れるのだ。


 これが私の言っている「私」だ。「私」という言葉は単にエゴを意味して使われている。この意味で「私」を使う人は決して幸福ではあり得ない。

 サットサンガはあなたに何も与えないが、あなたのハートの洞窟に隠れている、見ることができない何かがあるという事実をあなたに評価してもらいたいだけだ。

 それは光、知識。「それ」に降伏するなら「それ」があなたの責任を持つ。そうするとあなたが、「私」がそれをやっていると言っても、それをやっているのは「それ」だ。それが違いを作るのだ。

 

 

Q:私はあなたが笑っているテープを聞いて、ここラクナウにやって来ました。私はあなたの笑いが大好きです。
     

 

 ここで私達は理由無しに笑っても問題はないが、西洋でこのように笑うと、人々はあなたが正気でないか、ドラッグを使っているか、両方かと見なすものだ。

 昔、私がスペインでサットサンガを指導している時、誰かが飛び上がって、私の足にキスしようと走って前にやって来た。彼は飛び上がって笑いながら、「私は神だ、私は神だ」と叫んで、それから外に飛び出した。

 「私は神だ」というのはインドでは問題ない、結局それは真理なのだから。これをヨーロッパで宣言したら受け入れられることはない。次の日、どのように受け入れられないか私は理解した。

 この人が至福に高揚して唄い踊っている所へ警官がやって来て、彼を逮捕した。そして彼の妻が彼を引き取りに行った。その後、彼女は何をしたか分かるかね? 彼女は直接、精神病院に彼を連れて行き、彼は気が狂ったというのを理由に離婚の手続きをした。

 これとは逆に、真の実在を味わったこの男は、おそらくその当時のヨーロッパで一番正直な人であったに違いない。彼は何の期待もなく、実在についての考えもなく、彼はただ「実在」であった。

 そう、私はこの男を精神病院に訪ねて、悟った後どのように社会で生きるかを教えた。その後まもなく彼は釈放された。これが笑いについての、社会の規則についての私の経験だ。


  


 

Q:なぜ、あなたはラマナ・マハルシの写真を飾っているのですか?
     

 

 ある人から恩恵を受けた時、どうしてその人を忘れることが出来るのかね? 誰も与えることのできなかった「それ」を与えてくれた人をどうして忘れることが出来るのかね? 

マハルシ以外に誰も幸福は内にあると教えて、苦しみを取り除いてくれた人はいなかった。だからこの地球に生きている限り、その人に恩を返すべきだ。

 誰かがあなたを助けてくれたら、有り難うと言って$100差し出すかも知れない。しかし、全ての苦しみを永遠に取り除いてくれた人にどのようにして恩返しをすることができるのか?

あなたがどこに行こうともその人が後について来て、全ての面倒を見てくれる。彼はパンジャブの私の家にも来てくれた。それは誰も信じることのできない奇跡であった。なぜなら彼がパンジャブに現れた時、彼はアルナーチャラにいたからだ。

 

 私は「それ」を求めてインド中を探し回った。「『それ』は内にある」ということを知らなかった。その時、マハルシがパンジャブの私の家にやって来て、アルナーチャラの住所を私に与えてくれた。

 しかしどのようにして彼のところに行ったらよいか? 軍隊を引退してグル探しに全てのお金を使ってしまった。その時新聞の求人広告で、マドラスの会社が引退した陸軍の士官を探しているのを見つけ採用された。そして前金も送られて、そのお金で真っ直ぐにマハルシのところに行き、その一ヶ月後仕事に着いた。

 

 私がアシュラムに着くと、パンジャブで私に住所をくれたその人がいるのだ。私はその人が自分自身の宣伝をしたに過ぎないと落胆して彼には会わなかった。

 その時ある紳士が私に話しかけた、「あなたは北部からやって来た人だね。」

「はい、そうです。」

「しかし、今着いたばかりなのにもう帰るのかね?」

 それで私は説明した。「この人はパンジャブの私の家にやって来て、私が尋ねた質問の答を得る為にはここにやって来なければならないと住所をくれました。」

 

 紳士は答えて、「それは何かの間違いだ。彼がここに来て以来50年間、彼は一度もアルナーチャラから離れたことはない、他の人にも聞いて見なさい。」

 このようにして全てが始まった。

 


 

慈悲と奉仕

 

慈悲は自由である人に飾られた宝石だ。
この種の慈悲は練習することはできない。
全てがあなたの真我だ。いったい誰が誰を助けているというのか。
この種の慈悲はボーディサットヴァとして人間に生まれかっわって来る。
慈悲はやり手が消えた後に生まれるダルマだ。

真理については愚かな人々に話さないことだ。
単に愛と幸福を分かち合いなさい。
ノーマインドは神からの偉大な贈り物だ。
話さなくてもその沈黙は全地球に行き渡る。
沈黙のバラの花がそのその美しさを放つように。
静寂のうちに座りすべての存在に平和を送りなさい。
海の水は空になっても愛と平和には限りがない。
無我の奉仕としてそれを分かち合いなさい。
これが礼拝だ。

 

 

Q:全てが消えていきますが、「私以外の他の人々を助けなければならない」という思考が消えません。


 

 この消えない思考は誰に属しているのかね? 消えないこの思考の根源を探し出さない限りどんな修行も瞑想も役に立たない。この消えない思考が「私」という思考だ。

 「私」は思考だと誰も知らない。「私」という思考が存在しないときは他の思考も存在しない。だから「私」という思考の根源を断ち切りなさい。あなたはうまくやっているが、誰が盗人か知らない。盗人を捕まえなさい。あなたを騙している盗人は「私」だ。

 他人を助けたいのならあなた自身が自由になることだ。地球上でもっとも裕福な人は全世界を2~3日養うことができるかもしれないが、仏陀は2600年間世界を養ってきた。

 

 

Q:どのようにして世界をよくすることができますか? 


 

 私の教えは世界を改革することでも、あなた自身を改革することでもない。私が話すことをただ聞いて理解しなさい。
  

  世界は存在したことはない。
  存在しないものをどのようにして改革するのかね?

 

 

次ページ(Part3)に続く

 

 

 

 

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