「日本にもアルナーチャラがあれば良いのになあ・・・!」というのは、一介のバクタとしての自然な感情の発露なのだ。
もちろん「山としてのアルナーチャラ」が南インド・ティルヴァンナマライからの離れることは不可能だが、「勧請」して霊的なレベルとしてご本地から来ていただく・・ことは出きるのではないか?
「アルナーチャラには是非日本にも来ていただきたい!&日本の神様にもその件を是非ご了承をお願いしたい!」
という「純粋なるバクタ的発露」を起点として、
信奉者たちが集まって恒常的にサットサンガを営むことが出来る「活動の拠点」とでもいうべき場所があればどんなに素敵であろうか?
海外の某ラマナ・ケンドラ(ニューヨークかな?)のホール
「勧請」・・神仏の分霊を別の所に移して祭ること、である。多くの場合、お社にしろお寺にしろ御本地から(何らかの)要請により「勧請」されて、その分け御霊なり仏様なりが「御神体」・「御本尊」として鎮座・安置され、信仰の拠点となっているわけである。(キリスト教やムスリムでは様式が異なるにしても各地に「教会」や「モスク」があるのだし。)
もちろん「真我の探求(アートマ・ヴィチャーラ)」にアプローチする場合、そんなことは誰も考えないだろうし必要でもない・・しかし「信仰の道」を歩むものには、アルナーチャラの「そのような有り様」・・つまり真の意味で「ヤマトアンナマライ」として機能する何らかの物的対象・表象的オブジェ&スペースが、「日本というエリア」にあったって良いのではないか?
そしてラマナアシュラムのサマディホール
(実際にここにたどり着いた後、ほっとした表情を浮かべて「そのまま逝去してしまった」巡礼者もいる・・・とのこと)
祭壇と瞑想ホールがあり、関連資料が整備され、書籍やグッズを販売し、現地訪問のコンサルタントやツアーの主催、翻訳出版事業を手がける、遠来の訪問者のための管理宿泊設備など・・・それを展開するアシュラム的な機能を果たす拠点としての建物。
(「Sri Ramana Arunachala Satsanga Japan」はそういう営為の主体としてある)。