バガヴァンの母堂はサニャーシンとなり、息子に帰依し生活を共にしていましたが、1922年5月19日に亡くなりました。死の直前にバガヴァン自らの手で「モクシャ」を与えられ「解脱」したことになっているので、母堂も聖者に位置づけられます。
当時はスカンダ・アシュラムに集まって住んでいたのですが、「アルナーチャラ山には遺体を葬ってはならない」というしきたりがあり、母堂の遺体をどうするのか?・・が問題になり、結局パリ・ティルタム(沐浴場)のそばのこの地(当時はただの空き地)に葬り、サマディが作られました。
同年12月以降バガヴァンはこちらに留まられてしまったので、結局全員がこちらに移動してきました・・・・これが現在のラマナ・アシュラムの始まりといえます。
というわけなのでアシュラムで最も古い部分になります(この建物全体が一度に完成したのではありませんが)。
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ニューホール側からの入り口です。 |
マザー・サマディの外観。1949年完成。様々な装飾があり、 アシュラム内で一番「インドチック」な場所ですね・・・。 |
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この奥に母堂のリンガムが安置されています。 「シュリ・チャクラ・プージャ」(アシュラム通常行事の一つ)は ここで行われます。立ち入り禁止ですが、写真撮影は自由です。 暑いですがここで瞑想している人もいます。 |
サマディ正面右側の「踊るシヴァ像」(中央)。右隅にはタミルの地元の神様九尊が安置され、ここをプラダクシナする人も多いです。 この左側にサマディ・ホールへの出入り口があります。
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このファイルは05年に制作したものなので、掲載している画像が随分と古いものになってしまいました。
近年ではラマナアシュラム自身が熱心にあれこれの画像・動画を公開するようになりました・・・ので、それらを集めて掲載いたします。
マザーの人物伝→ マザーに関連してラマナご自身が書かれた文章→
「熱く語る〜ラマナ=アルナーチャラへの信愛」第2回トーク前半(20年5月19日撮影)、冒頭5分ほどがマザーについての説明です。