知人フミ・ガネーシャさんの体験談 (サイト管理人が若干のリライトを施しています)






私が初めてラマナアシュラムに行ったのは、2009年12月のクリスマス前後の1週間・・・その当時私はデリーのgovernment のinstituteでヨガを習っていました。


それ以前の2007年の7月に初めて行った伊勢神宮の風日祈宮にて、

「あれ、3歳くらいの子供の時に自分はここにいたよ!」

・・と初めて行った伊勢神宮なのになぜかとても懐かしくて、

「おじいちゃん、もうこの世界にいるのは厭だよ、早く帰りたいよー」

と勝手に泣いてどこかに帰りたがっていました。


今から思えば、「おじいちゃん」とは風日祈宮なのかラマナマハリシだったのかわかりませんが、それまでの人生で一度も考えたことがなかった、

「元いた場所に帰りたい、ホームに帰りたい・・・」

という思いで涙が止まらない不思議な体験をして、伊勢神宮というのは不思議な場所だなあ・・と感じたのでした。


そして内宮さんにて、

「私の天職はなんでしょう?何をする為に生まれてきたのでしょう?」

とお尋ねしたのですが、その後しばらくして流れが突然変わり、2008年にどういうわけかデリーに来てヨガをやる事になっていったのです。



デリーで毎朝せっせとインド政府のヨガに通った結果、ヨガはエクササイズではなくサマディ(解脱)が最終ゴールであり、そのためにはグルが必要だということがわかりました。
先生達はとても素敵な方たちだったのですが、「(自分たちは)グルではない」・・と言うのです。

「グル」という存在を全くわかっていなかった私は、「きっとヨガの先生の上級者版なのだろう」と勘違いをして、2009年に


「グルが必要なので、グルを見つけたいです」



・・・と神様にグルとの出会いをお願いしました。


その後ケララのシバナンダヨガのアシュラムへもインドのヨガを極める事とグルを捜す為に滞在していたのでしたが、グルは見つからずに自然の美しさだけを満喫してデリーに帰って、
相変わらず「グルはどこにいるんだろう?」と思いながら、一番しっくりくるインド政府のヨガに通っていました。



そんなある日知人Kさんからメールがあり、

「ティルヴァンナマライは素晴らしいところです。私は行く予定だったニュージーランドへの航空券を捨ててここに住む事にしました。」

とメールが来たのです。


航空券なんて高いものを捨ててもいいくらいすごい場所なんだ、ティルヴァンナマライというところは・・・「ぜひ、行ってみたい!」とKさんに返信しました。

Kさんは「ティルヴァンナマライに行くならラマナアシュラムに泊まるといいよ、食事が美味しいからね、メールで予約出来るから。」と教えてくれました。

当時の私は、アシュラムというのはシバナンダヨガアシュラムしか知らなかったので、シバナンダアシュラムと同じようにカリキュラムがあって、部屋も滞在期間も自分で選べるお金を払って泊まれる場所と勘違いして、ラマナアシュラムにメールで宿泊予約をしました。


ラマナマハリシのことも全く知らずに、そんな勘違いで宿泊しようとしている私にも、ラマナアシュラムは2009年12月20日から3日間の滞在許可のメールをくださいました。




そのティルヴァンナマライに行く1週間前のことです。


ヨガのクラスメートで全く話したこともなく名前も知らないインド人の男の子が3人くらいでやってきて、「ムンバイからエンライトメントした人が来るから会いに行かないか?」と言ってきました。

当時の私はエンライトメントがなにかもわからず、何かすごい人が来るらしいので行ってみることにしました。デリーの知らない場所の地名を聞いてもわからなそうだったので、ドライバーさんを頼んでドライバーさんに場所を聞いておいてもらい、自分がどこに行くかも知らずにエンライトメントした人に会いに出かけました。


会場に着くと受付の人に「上の階でやるから、そこの階段を上がっていってください」と言われたので階段を上っていると、
ものすごい視線を感じました。

「ん、なんだろう?」とその視線の方を見ると、階段の踊り場に掲示されていた来週行く予定のアシュラムのHPの中で見たおじいちゃんが笑っていました。

「あれ?このおじいちゃん、来週行く所の・・」と思って驚いたその瞬間、その写真の
おじいちゃんがとてもいたずらっぽく笑ったのです。


そのいたずらっぽい笑いのその瞬間に、
「えーー、この人がずっと探していたグルなんだー!」・・・と無条件に知りました。





ムンバイから来たエンライトメントした人の話は、始まったとたんに眠りこんでしまい起きたらちょうど終ったところで全く話を聞けなかった・・ので、「これはせめて質問をしよう」としたのですが、その質問も何を質問したのか全く記憶に残っていません。

ただ彼の答が
「surrender to God」だったことだけは覚えていて、いったい私は何を質問したのでしょう・・。



そして、その人がグルだ!と確信したのに、実際にはラマナマハリシのことは何も知らないままラマナアシュラムにやってきました。

ラマナアシュラムではみんな目をつぶって瞑想のような姿勢で座っていたので、私も真似をしてサマディーホールで目をつぶって「ラマナマハリシからのメッセージを聞いてみよう・・」と瞑想の姿勢で座ってみました。

しかし、いつまで待っても何もやってきません。ずっと、ただ無言です。


疲れたので「そろそろ休もうかなー」としたその瞬間です、ぶわーっと映像のような形で、

「おでこにのっかっている眼鏡を『眼鏡どこだろう〜?』と探している自分、しかもただ探しているのではなく、背中には公園のごみ箱みたいな『いらないものを4個も5個も重たく背負ってふらふらしながら歩いて』、既に自分のおでこにある眼鏡を探している自分・・の姿」

・・が見えました。



実はそれまで、何かを探してインドや日本の聖地をたくさん訪れていたのです。

ラマナアシュラムでの映像は、
「既に自分にあるものを、無い場所に探しに行っていたのだ・・」と瞬時に理解しました。

自分のおでこにある眼鏡を「どこだ〜」と探している自分がおかしくて間抜けで笑いが止まらない・・と同時に、

公園のごみ箱みたいな、
「背負わなくていいものを背負ってふらふらしながら一生懸命歩いている」自分の姿が哀れで、可哀そうで可哀そうで涙が止まりませんでした。


「あー、もう私は何も探さなくていいのだ。」、そして「もうこんなものいらない!」と背中の重たいごみ箱をおろしてすっきりしました。


・・・これらのことが一瞬で起こりました。

続いて、やっと
ラマナマハリシからのメッセージがやってきました。


「真理は自分の中にあるから何も心配いらない。そして、ほかの人がどんなに大変そうに見えても、ほかの人の中にも真理があるから誰のことも心配いらないんだよ。」


それが初めてのラマナアシュラムで、バガヴァーンから頂いたメッセージでした。


この体験で
「すごいなー、本物というのは内側から話しかけることが出来るんだなー」と、それまでの人生で内側から話しかけられたことがなかったので、インドの本物の聖者のすごさを知りました。


それから外に出てアルナーチャラを見ていたら、

「ああ!ここが私の探していた最後の場所だ。やっとみつけたのだ、もうどこにも探しに行く必要はないのだ。」

・・と、
「何を探しているかもわからずにひたすら何かを探して疲れていた人生」が終わったことを知り、また泣けました。










これらの体験でどうやらラマナマハリシはすごい人らしい・・とわかったので、どんな人なのか知りたくなりアシュラムのBOOK Depotに行ってみました。

すると、デリーでいたずらっぽく笑っていた写真が表紙になっている「あるがままに」という日本語の本が置いてあったのでさっそく購入しました。


デリーに戻ってから読んでみると、バガヴァーンは
「首にネックレスをしているのに、そのネックレスを探している女性」の例えを話されているところを発見し、


「ああ!私がラマナアシュラムで『おでこにある眼鏡を探していた映像』は、バガヴァーンの教えと一緒だ! 肉体はなくてもグルは存在しているんだ!」


と、本人が
「私は身体ではない」と言っていることを、事実としてラマナアシュラムで体験できた・・ことをあらためて感じました。


そして、デリーでエンライトメントした人に会いに行ったときに頂いた冊子・・をふと見てみると「ラマナケンドラ」と書いてありました!

「ああ・・ラマナアシュラムに行く直前に、何も知らずにデリーのラマナケンドラに私は行っていたのか! なんだかわからないけど、すごい有難い!インドはすごい世界だ!」


・・と、私の知らない何かすごいものが存在しているのだ!・・という感動に打ち震えたのが、私の初めてのラマナアシュラム体験でした。